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世界を渡る石  作者: 非常口
第5章 渡界5週目
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それぞれの行方 その2

 道なき道を強引に突き進む三者の歩みを突き出た枝やうねり這う根が奪う。それもこれもドワーフの国に戻ろうとしていた一団を教会騎士の集団が襲ったためである。雨のごとく降る矢を避けるために彼らは街道から障害物の多い森に退路を求めた。結果、茨に肌や服を裂かれ血を流し、根に足を取られて転倒し泥まみれになっていた。


「何やこれ、全然進めへんやん。」


 一団の最後尾を歩く傷だらけの汚れた少女が愚痴を吐く。


「...。」


 普段ならレムの小言に軽く笑いながら相手にするライナーだが前を行く今の彼にはその余裕は一切ない。背負う女性の背中には浅いものの一筋の赤い傷跡が残る。だが、特筆すべきは背負う側のライナーの左肩に深々と刺さる3本の矢だろう。彼は血液を失わないため、それにより足取りを悟られないためにその矢を抜くことはできない。手当をする余裕すらない。立ち止まれば僅かな隙間を縫って後ろからあの者たちが容赦なく3人を射抜くだろう。


「もう充分です。ライナー殿、私はここでお別れしたく願います。お二人は先を目指してこのことを世界に伝えてください。」


 ライナーが背負う女性は息を荒く乱しながらも凛とした声で自らの意思を示す。


「...何を馬鹿な。」


 ライナーは僅かな間を置いて息を整えるとその言葉を否定する。彼の背中に乗る女性は一国の王女であり、結ばれるつもりは無いが彼の許嫁の母でもある。何より女子供を見捨てるなど騎士道の頂点に立つ王族が取るべき行動ではないと生まれてからこのかた育まれてきた精神が冷徹な判断を鈍らせる。


「貴殿もお判りでしょう? これ以上はこのような無茶な逃避行など続けられないということぐらい。貴方もかなりの深手を負い、後ろの少女も満身創痍、私もこの怪我です。次の強襲では真っ先に頭の貴殿が狙われる。それも私を的にして。そして、私を庇い、貴殿が落ちれば私は当然、あの娘も逃げ延びることはできないでしょう。」


 王女がライナーの腕を力を込めて握る。ライナーは自身の母親と同じくらいの年齢に達した年長者の冷静で厳しい言葉に自らの力不足を痛感して唇を強く噛み締める。


「それ以上は言わないでください。」


 思わず母親に対する反応が口をつく。彼女をしても同じ状況に立たされたなら似たような助言を残しただろうことがライナーには容易に想像がつく。それゆえに自身の母親にその姿が重なって見えた。


「いいえ、私はどのみち助かる見込みはありません。それならば貴方たちを逃がすための時間稼ぎをわずかでも試みた方が賢明でしょう。

 貴殿は娘を許嫁としていただいたお方です。そんな貴方をここで失えば娘に合わす顔がありません。どうか、あの娘をお願いします。」


 この事件の直前にその娘でなくレムを選ぶことを決意したライナーには振り返ることはできなかった。それでも彼女がほほ笑んでいる姿が目に浮かぶ。ライナーは彼の選択を告げることができなかった。


「...それは、」


「後ろの娘を愛しているのでしょう。そうであったなら私の娘は彼女を受け入れるでしょう。それこそ彼女の次であったとしても。それだけの器はあります。ですから、」


 どちらの答えにも窮するライナーに王女は優しいほほえみを浮かべてその心にかかる負担をほぐすように語り掛ける。その先にはもう一つの選択を促す言葉が用意されている。


「黙っていてくれ、...お義母さん。」

(貴女はずるい人だ。もはや選択の余地など残してくれていないではないですか。)


 ライナーの目に輝くものが浮かぶ。その姿に王女が息を呑む。


「ライナー殿っ。

 ...ありがとう、そのように呼んでくれて。そして、ごめんなさい。」


「あ、あかんで! ライナー。敵の気配が近づいてきとる。」


 2人のやり取りを見守っていたレムであったが、背後から枯れ枝を踏み潰す複数の足音に気づき警告を発する。


「ちっ。」


 レムの警告が合図となったのかは定かでないが追跡者が声を上げる。


「居たぞ! 目標だ!」


 声と共に数本の矢がそのそばに風斬り音と共に突き刺さる。レムが小さく悲鳴を上げる。ライナーがレムの目を力強く見つめて声を張り上げる。その声には頼りがいのある男の威厳が乗せられる。


「レムは煙幕を投げろ! その後直ちに俺の後に続け!」


「任せとき!」


 レムがあらかじめ用意していた煙幕の導火線に火をつけて周囲に投げ込む。3つの煙幕がおびただしい量の白煙を生み出し、仕組まれた火薬が炸裂することで周囲にけたたましい音が鳴り響き足音をかき消す。


「逃がすか。放て!」


 リーダーとみられる男が剣を3人がいたあたりを指し示し矢を放つよう命令する。即座に3人が豪華な飾りを施された白い弓に矢を番えてぴゅうっと放つ。煙に消えた矢が何かを捉える重い音を響かす。同時にそれと反するような高くか弱い呻きが漏れる。


「うあ゛っ!」


 矢はレムの左肩を射抜き、その鋼鉄の鏃は先端から半ばまで飛び出るほどに深く貫いている。矢の勢いに引きずられるようにレムが前のめりに倒れこむ。もしもその矢がレムの肩を射抜かなければライナーの足を貫いていただろう。


「レム!?」


「ライナー殿、私を置いてレムをお連れしなさいっ。これは義母としての命令です。さぁ、早く!」


 レムを振り返ったライナーに王女が強い口調で命令する。


「ウチのことはええから先行きっ。ウチは平民や。大して価値のある人間や無い。早う!」


 レムが涙を浮かべて風斬り羽ごと矢を折って投げ捨てる。ライナーの目には姿こそ白煙に紛れて見づらいが強がっている中で痛みと恐怖に震えて泣く少女の姿が映っていた。


「ぐっ!」

(ここでどちらかを見捨てねばならんと言うのか。それが為政者として許される姿なのか。大切な者を守れずして何とする!)


 ライナーはレムを拾い上げて近くの巨木の立つ丘に滑り込むと王女を下して木を背に隠す。そして、レムの額に口づけをすると王女の横に横たえる。


「ライナー殿、貴方。」

「ラ、ライナー?」


 2人の声に小さく頷いたライナーは剣を強く握りしめて腰に括りつけていた盾を取り寄せて追跡者たちの下に向かう。

 白煙の切れ間にライナーの金髪が揺れて煌めく。教会騎士団の男は口角を上げて両手を広げて仰々しく出迎える。


「ふぅ、ようやく逃走劇も終幕だな。我々も暇ではない。これ以上手間取ってはフレイア様に殺されてしまうのだよ。

 全員、油断なく殺せ。確実に息の根を止めよ!」


「「「はっ!」」」


 上官の命令に一人を除いて統率された返事が返る。 

 だが、矢が放たれるよりも先にライナーが先手を打つ。


「このライナー・アウロ・クラレシア、貴様に決闘を申し入れる! 1対5の闘いだ。王族に対する礼儀として受け取っていただこう。」


「何を言っている。自分の立場がわかっているのか?」


 威厳溢れる声に圧倒された部下たちが矢を番える手を離せないでいる姿に苛立ちを覚えたリーダーは低く冷たい声と鋭く絞られた目で応える。


「ふん。まさか教会、いや貴様らの主とやらはここまで圧倒的優位な立場にありながら弱った王族や女子供を嬲り殺すような蛮行を認める程度の器の小さい存在か?」


 ライナーの挑発に騎士たちが一斉に弓矢を下げる。リーダーの男は憎々し気に舌打ちをして部下をにらみつける。


(おいおい、あの御方はそれをむしろ推奨するだろうよ。こいつらは美化しすぎた。)

「ちっ、まあいいだろう。しかし、1対5ではあまりに可哀想だ。こちらは3人でまずは出向こうではないか。これでもずいぶんと譲歩したぞ。こちらも部下の命を預かる身だ。そのような妄言を真に受けて部下を失っては言い訳のしようがない。

 レード、バミル、コークレット、相手をしてやれ。生け捕る必要はない。殺せ!」

(わざわざ正面切って出てくるなど何か奥の手でもあるのかもしれん。ここは様子を見よう。仮にこいつらが死んだとしても主を立てるために殉じたといえば盲信的なフレイア様ならお許し下さるだろう。あのまま矢を放っていれば何のリスクを負うことも無かっただろうに。馬鹿どもめ。)


 男に呼ばれた者たちが無言で前に出る。それぞれはライナーに相対するように横一列に並ぶ。それぞれの顔には主を侮辱されたことへの怒りと冷徹に処分しようとする無慈悲な感情が見える。ただ、このような形式をとったのは彼らなりの騎士道を貫いたからだろう。


「感謝する。」

(3人か。果たしてここで切り札を切るべきか。切ったとして残り2人をどうするかだな。だが、5人を相手するよりも生存率が上がることは確かか。この時を以て他に無し。)


 ライナーが王国の儀礼的な最上級の礼の態度を示す。クラレスレシア王国民が見れば大きなどよめきが起こったことだろう。それほどまでに王族であるライナーが他国の王族以外の者にこのような態度をとるということは異常な事態だった。

 木の陰から飛び出たレムがライナーの傷口に治療薬を塗ろうと駆け寄ろうとしたところで男がレムの足めがけて小剣を投げつける。辛うじてのところでライナーが盾を伸ばして防ぐ。左肩に走る激痛にライナーが顔をしかめる。その様子に思わず笑みを浮かべた男が戦いの火ぶたを切って落とす合図を下す。


「では、始めるとしよう。双方、構えよ!」


「なっ!? 手当くらいええやろ?」


「馬鹿を言うな。そこまでしてやる義理は無い。双方、始め!」


「レム、下がっていろ。」


 ライナーが右手の剣を地面に突き立てて空いた手でレムの腕をつかむと草むらに放り投げる。その行動はあまりに致命的であった。対する3人はすでに弦を十分に引き終わって矢を放つまさにその瞬間までたどり着いていた。


「ラ、ライナー!」

「ライナー殿!」


 女性陣の悲鳴にも似た叫びがライナーの耳に届く。痛みが全身を駆け抜けたのもまさにその瞬間だった。


「ぐっ、ぐあぁあっ」


 盾の隙間を縫って確実に体を裂く鋭利な切っ先が3つライナーを捉える。一つは右足の太もも。一つは左足の脛、一つはレムを放ったことで伸びた右腕の上腕。もはや、戦闘継続は不可能だった。誰の目にも勝負は決したように見えた。ライナーは両膝をつき、盾で体を支えるだけで精いっぱいとなっていた。


「確実に止めを刺せ。首を落とし、胸を突き、腹を裂け。」

(ふん、王族としての死に方を求めていただけか。下らん。)


 盾のせいで遠距離から止めを刺すことは困難だと判断したリーダーは近接戦による決着を求める。部下たちもそこに至っていたのか命令とほぼ同時に抜剣してライナーに襲い掛かる。


(ウ、ウチのせいや。ウチが飛び出て余計なことをしたからっ、)

「嫌や、嫌ですっ。ライナー、逃げて!」


 レムの声が響く。ライナーは首を折って地面を見つめる。その剣がその差し出された首を真っ先に捉える。その距離は残り3cmを切る。


(今だ!)


 ライナーの鎧の中央から揺らぎのかかった青みがかった空間が同心円状に広がる。王手を突きつけたはずの3人がライナーから引き離されて外縁部に磔にされる。


「な、なんだと!?」

「何が!?」

「なんだこれは!?」


「———すまんな。」


 ライナーが顔を上げて盾を放り、地面に突き刺さったままの剣をつかみ横薙ぎに払う。


「ぅがぁっ」

「がはっ」

「や、やめ、う゛ぐぁああっ」


 青い球体が赤く濡れる。やがて、泡がはじけるようにそれは消える。そこには大剣を杖に立つライナーと胴体を真っ二つに裂かれて果てた3人の騎士の姿があった。


「何をした、何をしたーーー!」


 リーダーが血走った目を見開き叫びを上げる。その体は怒りあるいは恐怖からか小刻みに震えている。ライナーの威厳ある声と未だ勝利をあきらめていない力のこもった視線が男を射抜く。だが、その心情は真逆の状況に追い詰められていた。


「どうする? まだやるか?」

(退け、退いてくれ! 切り札は一度きり。ここで退いてくれねば俺たちはここで終わる。)


(だ、駄目だ。あの技は危険だ。それに奴はまだ何かを隠している。そんな目をしてやがる。ここは退こう。どうせあいつらもあの御方が復活すればどうせ死ぬんだ。ここでやらなくとも変わりない。)


 男が撤退を意識した瞬間、フードを被ったもう一人がその肩をつかむ。男は体を大きく震わせて振り返る。無感情な青い瞳が男を捕まえる。


「退く必要ない。このまま処分する。良い。次は無い。初めからもっと多用する。念のため遠距離から殺す。良い。」


 高音で抑揚のないソプラノ声が血の気の引いた唇から奏でられる。その瞳に魅入られた男の心から焦りの感情が消滅する。


「...。冷静になれば安い挑発だな。」


 男が弓を強く引き絞る。その矢がライナーの胸に向けられる。


「っ」

(やはり厳しいか。ならば相討ってでも2人は助ける。)


 ライナーは地面に倒れ伏すと転がって投げた盾を拾い上げて正面に構える。盾の窓から確認した男の行動はライナーの予想を裏切る。


「はっ、死ね!」


 放った矢の向かった先は尻もちをついたまま呆然とするレムの頭部だった。


「ぐっ、しまった!

 レムっ、避けろ!」


 どうにか駆けつけようとするライナーであったが射抜かれた足はその意思に従わない。盾を投げつけようにも肩は上がらない。その矢がレムの頭を貫通する光景が脳裏をよぎる。レムの小さな間の抜けた声がライナーの耳に届き木霊する。


「あ、」


 レムは自身の死を覚悟することもできずにただその光景をスローモーションの中で眺めることしかできなかった。ただ、おぼろげながらに理解した。終わりを。

 矢の先が視界から消えた瞬間、レムは目を閉じていた。しかし、いつまでたっても痛みは襲ってこない。痛みを感じることもなく死んだのかとレムはゆっくりと視界を取り戻す。そこには女性の背中が間近にあった。


「ふ~、危ないところだったわね。」


「えっ? ライラ、さん?」


「お久しぶりね、レムちゃん。もう大丈夫よ。」


 振り返った女性は見慣れた、それでいて懐かしい笑顔でレムを迎える。ライラは指で挟んだ矢を振って見せる。レムが浮いた腰をストンと落として泣きじゃくる。ライラはお腹にレムの頭を抱え矢を持たない手で優しく撫でる。


「うあ゛っ、あ゛あ、」


「何者だ!」


 男の中に失われていたはずの焦りが再び湧きあがる。


「そんなことよりよそ見してて大丈夫?」


 ライラが敵に向ける顔とは思えないほど慈愛に満ちた笑顔を向ける。風がつぶれるような音と共に高速の拳が男に迫る。


「危ない。」

「なっ?」


 フードの女が男を蹴り飛ばす。嵐のような一撃が女のフードを巻き上げる。長い青白い髪が舞い上がったかと思うと陶器のように不自然に白い肌に落ちる。避けられた拳が行く先を見失い地面に落ちる。爆風と共に小さなクレーターが出来上がる。


「避けたか。ライラ、その女は任せる。俺はこちらの御仁を相手する。」


「———ワゾル殿。」


 圧倒的な力を見せつけた声の主を呆けたライナーがどうにか声にして呼ぶ。


「ライナー様、遅れて申し訳ない。だが、もう大丈夫だ。2人のそばに居てやってくれ。」


 ライナーとレムを抱えて王女のいる木の根元に移動したワゾルは2人を降ろして戦場に戻る。


「旦那様のお言葉じゃしょうがないわね。このツケは後で肩もみしてもらうんだから。」


 戻ったワゾルにライラがウインクする。ワゾルは腕組みをしてライラの前に立つ。


「ふぅ、やれやれ。早く彼らに札を。」


「もう。つれないなぁ。それと彼はあれをカードって言っていたわよ。ま、いっか。それじゃ、私はちょっと外れるわ。」


 ライラがゴルディロアがフィルネールたちに渡したものと同じタロットカードを指で広げて見せると木の陰に横たえられた3人のそばに尋常ならざる動きで移動する。


「ぐっ? 御二人は一体?」


 ライナーが代表してライラたちの正体を問う。


「それは今は秘密ね。それより。はい。お守りよ。大事に持っていなさい。

 さぁて、フードのお姉さん、相手をしてもらおうじゃないの。」


 ライラはライナーの問いに唇に指を立ててはぐらかすと、カードをそれぞれの胸に置き両手を添えさせて元居た場所に戻る。その場で両手を二拍すると相手を指定する。


「仕方ない。相手する。でも、...時間あまり無い。」


「くっ、セレス、そっちは任せたぞ。俺はこの大男を殺る。」


 セレスと呼ばれた少女はどこからともなく木の杖を取り出す。ライラの姿が消えると同時にセレスを中心に衝撃波が生まれる。両者の姿がその場から消えた。


「二手に分散して構わなかったのか?」


 何が起こったのか理解できない男は呆然としていた。そこにワゾルの低く重い声がのしかかる。男は一瞬にしてワゾルの放つ異質な強さを感じとる。それは彼らの長たるフレイアが放つ威圧に似ていた。


「それはこちらの台詞だ。こっちは今日初めて組んだ相手だからな。連携など取れるはずも無い。こちらの方が好都合だ。」

(この男、確かに強い。だが、その巨体では高速戦闘には向いていないであろう。完全なパワー型だ。むしろ、あの女の方が警戒すべき相手だ。ちっ、あいつらがいれば囮に使えただろうに、)


 男はライナーによって二つに裂かれた部下たちに侮蔑の目を向ける。


「そうか。こちらとは真逆の理由だな。こちらは相方を信頼しているからこそ任せられるのだ。仲間をそのように見下すようでは器が知れるぞ。」


「ほざけ。さっさと死ね!」


 ワゾルの挑発に乗った男は体を低くかがめながら彼の巨体ゆえの死角を突くように接近する。一方のワゾルはまるで固まっているかのように動かない。男は勝利を確信して笑みを浮かべながら剣を突き上げる。剣がワゾルの肉体に触れる間際、その体が蜃気楼のように一瞬歪む。男が手ごたえの無さに目を見張る。剣は僅かな隙間を残してワゾルの体に届くことなく空を切る。


「動きが直線的だ。それでは動きを読んでくれと言っているようなものだぞ。」


 足の位置だけが10cmほど後ろに下がっただけでそれ以外は一切動いた形跡を残さないワゾルが冷静に指摘する。


「うるさい! だが、貴様とて防戦一方ではないか!」


「そうだな。では攻撃に転じようか。」


 ワゾルの体がぶれる。男の身にまとう鎧が鏡を高いところから落としたように粉々に欠片をまき散らしながら砕け散る。


「がっ!? う゛ぅ、 な、何が?」

(ま、負けた、のか?)


 男の全身の骨にひびが入り眼球や内臓が飛び出そうになる。宙を舞う男には何が起きたのかまるでわからなかったが、消えゆく意識の中で自身が敗北したという事実だけは理解できた。

 ワゾルはつまらないものを見るように男を一瞥するとライナーたち負傷者のもとに向かう。


(向こうはまだ終わっていないか。そろそろ引き際だ。迎えに行くとするか。)


 ライラの包丁がセレスの木の杖にうっすらと食い込む。セレスは片手で杖を支えながら表情を変えずにライラを賞賛する。


「...なかなかやる。」


「貴女もね。何だったら本気出して良いのよ?」


 両者ともに距離を取る。突然2人の目線が一点に向かう。莫大なマナが強力な魔法として解放されようとしているのを感じ取ったのである。


「時間がない。私、退く。」


「あら~、残念。今回は引き分けね。」

(まぁ、ここで落とせるような相手では無いか。)


 巨大な木に包まれたセレスを片手で傾けた頬を支えながら見送る。そこへライナーらを抱えたワゾルが声をかける。


「迎えに来た。相手も退いたみたいだな。」


「ええ。聞いていたとおり相当な使い手さんね。貴方に似ているわ。強くてぶっきらぼうで。さて、私たちもここを離れた方が良さそうね。対象の魔法の発現を感じたわ。さぁ、こちらの準備は整ったわよ。お願い。」


 遠くに生まれた赤橙色の球体が急激に迫る光景にライナーやレムが息を呑む。だが、即座にその光景がゆがみ、まるで見覚えのない景色にすり替えられる。


「ここは?」


「世界樹の森の入り口の村、トワージよ。他のお仲間さんも集まっているわ。行きましょう。」


 ライナーの問いを受けてライラが振りかえって答えるとスキップを踏みながら世界樹に向けて進み始める。


(トーヤ、ちゃんとアリスを救いなさいよ。アリスもちゃんと戻ってくるのよ。できなきゃお母さん許さないんだから。)

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