鍛冶の街 その9
研修中ですので中々書く時間がありません。
次回も遅くなるのかな。
夕暮、当夜たち一行は宿屋のそばにあるドワーフ行きつけの店でその日の晩御飯に舌鼓を打っていた。この街に住まう者の大多数はドワーフであり、次いで小人族となっている。よって、必然的に彼らの好むような食が発達することとなる。すなわち、当夜たちの食卓に所狭しと並ぶ料理の数々がそれを雄弁と物語っている。並ぶは、串というには太い棒に刺さった肉類、ビールに似た泡立たない酒、炭水化物や野菜、魚介類は一切ない。
当夜には自らの胃が若干引き気味の悲鳴を上げているような声が聞こえた気がした。
(僕はどちらかというと和食派なんだよね。こってりよりはさっぱりの方が好みなんだよなぁ。)
「なんだ、トーヤ、食べないのか?」
(って、おい。こりゃ~焼きすぎじゃないか! もったいねぇなぁ。)
この食が実に似合うライナーが次々と脂身の脈波打つ肉が刺さった串を次々と網焼きの上に乗せては油の滴る焼き上がったそれを口に運んでは酒をあおっている。そんなライナーは緩慢な動きで肉の焼け具合を確かめている当夜を抱き寄せると先ほどまで当夜が突いていた串を抱き寄せた手でつまみ上げるとため息をつく。
「やめろって、暑ぐるしい。それにこれじゃ、まだ生焼けも良いところだよ。レアを通り越すどころか通り過ぎてもいないレベルだって。そもそも、ライナーが焼けてもいない奴を食べちゃうから僕が食べられないんじゃないか!」
当夜はライナーの手で踊る串を取り返すと反対の手で指さしながら反論する。だが、ライナーは奪い取られた串を持っていた手は反対に持つ酒をあおっているおかげか後半は一切耳に届いていないようだ。
「馬鹿だな~。これぐらいがちょうどいいんだよ。表面炙ったぐらいでな。」
ライナーが空いた手で未だ中は火が通っていない肉を噛み千切って見せる。引き裂かれたピンクの断面から油が血を薄めた淡いワインレッドの液体が零れ落ちる。
「それそれっ。どう見てもまだ生だって。」
二人のやり取りをレムが呆れて両肩を上げる。そんな横でアリスネルとフィルネールが何やら小声で打ち合わせをしている。
「ほ、本当にうまくいくのよね?」
「大丈夫です。相当強いものらしいですから。これなら鈍いトーヤでも野獣になること間違いなしだそうですよ。」
囁く側のアリスネルの方が耳を真っ赤にしながらフィルネールに不安と期待を含んだ声で問うと、フィルネールは懐から小指ほどの小さな瓶を取り出して少女に手渡す。アリスネルは受け取ったそれを神妙な面持ちで見つめていたが、フィルネールの強調して発した単語に思わず復唱する。
「や、野獣!?」
「声が大きいです。まぁ、例えですよ。」
フィルネールは周囲をうかがうと誰も注目をしていないことに小さく息を吐く。
「こんなちょっとで本当に効くのかなぁ?」
お弁当についてくる醤油さし程度の液体を振りながらアリスネルは世界樹の知識をかき集める。得られた情報の多くが肯定的な内容であると同時に色情に富んだものだけに苦笑いがこぼれた。
「ええ。とは言え、貴重品ですから一回分しか手に入りませんでした。慎重に気づかれないように焚かないと。」
いつになく真剣に当夜を色事に誘おうとするフィルネールに小さく笑ったアリスネルだったが、集結した情報を吟味するに単に笑い話にするわけにはいかなかった。
「でも、それって私たちもまずいんじゃない?」
「当然、私たちにも影響はありますよ。ですが、こちらもある程度昂っていないとつらいですし。」
アリスネルの疑問にさもありなんとフィルネールは飄々と答えるがムードも何もあったものでは無い。彼女からすれば既成事実さえ作ってしまえばどうとでもなるという大人の打算的な考えがあるのだろう。とはいえ、フィルネールが前段階にどのような雰囲気づくりをするのか知らないが、アリスネルの夢みる少女の心と大人の女の心がせめぎ合う。
アリスネルが更なる確認を進めようとしたときだった。レムが2人の上に小さな影を落とすと、サッとアリスネルの手の上の瓶を掻っ攫う。
「なぁなぁ、さっきから2人して何を話し合ってるんや? ん~、その瓶は何なん?」
「わっ!? レム、驚かさないでよ。それはね、強壮薬。強壮薬なのよ。」
苦し紛れの言い訳はある意味では間違っていないが、目の前の純朴すぎる少女の前では隠語もその言葉の響きそのままに受け取られてしまう。
「ふ~ん。ウチも飲んでみてええ?」
「駄目です。この薬は強すぎて子供には危険なものなのです。」
フィルネールが強い口調でレムの手から瓶を回収しようとするがいつになく切れのよい動きで回避したレムは光球の光にかざして中身を観察する。
「えー。せやけど、そないなもんを誰が飲むん? あっ、ライナーやね。えらい気張ってやからね。」
「あ、いえ、ライナー様ではなくて、」
フィルネールの言葉を最後まで聞くこと無く駆け出したレムはライナーにその薬をさも自身が用意したものであるかのように差し出す。
「ライナー、これ飲んでみぃ。疲れが吹っ飛ぶでぇ。」
「ちょ、ちょっと、レム。待って!」
アリスネルが慌てて回収に向かう。彼女の集めた情報が確かならレムやアリスネル、フィルネールはもちろん周辺の女性陣にライナーが襲い掛かる恐れがある。まして、子供ができようものならば王族の血縁者が予期せぬ形で他国に広がってしまう。そして何より中性的な顔立ちの当夜が狙われてしまうかもしれない。そんな姿を思い描いた彼女はすぐさま行動に移ったのだった。
だが、それも間に合うはずも無くライナーがレムの手からそれを抜き取る。
「ん~。おう、なんだこいつは?」
「ぐいっといったってや。」
受け取ったライナーに対して自身が一気飲みをするかのような格好で勧めるレムは目を輝かせる。どうやら自身の行動を褒めてもらいたいようだ。
「んー、そうか? だが、俺よりこいつの方が必要じゃないか?」
酒のおかげかだいぶ雑な観察を行ったライナーは隣でぐったりとする当夜にその行方を託す。その予定外の行動にレムは落胆し、アリスネルは困惑し、フィルネールは笑みを浮かべる。
「僕? ん~、そう言えば最近疲れがひどいような。じゃあ、僕が貰ってもいいかな?」
ライナーが吐きかけるアルコールと肉の混じった匂いにうんざりしていた当夜は気分転換がてら特段確かめること無くふたを開けて呷ろうとする。だが、そこにかかった声の内容に思わず手を止める。
「あかんで。それ、子供には危険な毒らしいねん。トーヤはお子さんやから危ないで。」
「え!? マジ?」
子供じゃないけどという言葉はさておき、今の自分の体格を考えると子供程度の解毒処理しか持たないのではないかという不安が鎌首を上げてくる。そんな不安に不安を重ね塗る形でレムが畳みかける。
「そやで、マジ危険な代物や。トーヤなんて一発であの世行きやで。」
「そりゃやばいな。パスしてライナーに譲るよ。」
「おいおい、そりゃ何だか俺でもやばそうな気がするぞ。
ん~、ちょい待て。これはどこで手に入れたんだ?」
ライナーがここにきてようやく重い腰を上げる。冷や水をのどに押し込むことで一時的に覚醒した頭でその瓶に記載された用法容量を確認する。そして、確信する。本当の所有者とその目的を。だが、あえて彼は問いたのだった。
ギクッ
そんな音が2人の少女たちから聞こえたのは聞き間違えではあるまい。3人の目線がその音の主に集まる。
「アハハハ...、」
「あの、その、」
から笑いでごまかそうとするアリスネルと言い訳を必死に探すフィルネールの姿がそこにあった。
そんな2人はライナーに連れていかれて廊下でお叱りを受けていた。
「悪いがこいつは没収だ。そんな身もふたもないやり方じゃ、いい結果には結びつかないぞ。まぁ、気持ちはわからんでもないが。トーヤがアレでは、な。」
「「...はい。」」
時折向けられる視線に当夜は小首を傾げながら事態の行く末を見守る。そんな光景を見つめる当夜のある意味救世主であるレムが食べかけの串を片手に声をかける。
「結局、何やったんやろ?」
「さぁ?」
戻ってきたライナーはすがすがしい声で高らかに閉会を宣言する。
「よし! 今日はお開きだ。」
肩を落として宿屋に戻る一見姉妹のような2人組を見送る当夜にライナーは近寄るとそっと助言する。
「トーヤ。もしあいつらのところに行くなら気を付けろよ。」
「ああ。香りを楽しんでアリスを励まそうってやつのこと? フィルに誘われているの良く知っているね。ライナーも一緒に来る? いっそのことみんなで集まった方が楽しいかもね。」
まったく気づいていない当夜に頭を掻きながらライナーは自身の行動が正しいものであったという自信を無くしていた。
「香りを楽しむか、なるほどな。はぁ、あのまま放置した方が良かったかもしれんな。」
「うん? どういうこと?」
「なんでもねーよ。この色男がっ。」
「痛~。何すんだよ!」
ライナーは悔しさ半分情けなさ半分の気持ちを込めた一発入魂のビンタを背中に叩き込む。前方に吹き飛んでバランスを失ってよろめく当夜は涙目ながらに抗議する。
「うるせぇ!」
かくして、夕食を終えた3人は約束通りフィルネールの部屋に集ったのだが、肝心の2人はいつにもまして黒いオーラを漂わせていた。
窓のカーテンはすべて閉められている。一つのベットに3つの枕。水浴の準備も完璧である。どれもこれも店主にフィルネールが頼んでいたことだがすでにご破算となったに等しい。
「...はぁ、では始めますか。」
「...ええ。」
「何だか元気ないね、2人とも。」
当夜が心配そうに2人の顔を覗き込むが、今の2人には視線を逸らしてから笑いすることしかできない。
「そんなことはありませんよ。ただちょっと気が抜けてしまったと言いますか、はぁ。」
「そうそう、トーヤが来てくれただけでもうれしいよ。...はぁ。」
ため息には理不尽な体験を聞いてほしい時のアピールという意味合いもあるのだが、今回のそれはそういう意味で無いことは当夜をしても十分に理解できた。どうにかこの場を離れて雰囲気を持ちなおす策を練らなければと当夜は頭を巡らす。そこで思いついたものは香水ではないが芳香剤であった。普段は無臭を好む当夜であったが、いつぞや妹に指摘された香りのエチケットの強すぎない適度な香りは必要という苦言に負けて購入したものの、センスの無さを問われて封印した思い出の品である。妹をしてこれは女性が好むけど男をアピールできる香りでは無いとのことだった。
「ああ、そうだった。僕の用意したものを持ってくるのを忘れてたよ。ちょっと車から取ってくるね。」
いそいそと去っていく当夜の背中を見送った2人は向き合う。最初に口を開いたのはアリスネルだった。
「ちょっと、フィル。あからさまに態度に出ているんですけど。あれじゃ、トーヤが困っちゃうじゃない。」
「それはアリスも同じでしょう? それにしても気合を入れていただけに反動が大きいですね。」
「うん。何だか、昼間も変な目に遭ったし。今日は散々だよ。」
最初こそ不機嫌そうに言いだしたものの、アリスネルとて今回の件はフィルネールと同罪であることは十分理解しているだけに勢いは尻すぼみに消えていく。
「しょうがないですね。とにかく今日は香りを純然と楽しみましょう。実際、あれを使う前に香りを楽しむ予定でしたからね。アリスは最近思い詰め過ぎている節がありましたから心配で。」
「ありがとう。そうね。それはそれで楽しませてもらうとしましょうか。」
「ええ。トーヤもずいぶんと気にしていたみたいですよ。」
「どうせフィルのおかげでしょ。」
2人してさらに負の感情の螺旋回廊に囚われそうになったところでフィルネールが前向きな発言で持ちなおそうとする。そんな心遣いに感謝しながらアリスネルはライバルの強さに改めて敬意を払うのだった。そして、アリスネルは前々から気になっていたことを打ち明ける。
「それより良い? フィル、私に遠慮して一番になるのをあきらめないでほしいの。」
「突然どうしたのですか?」
フィルネールが怪訝そうな顔でアリスネルの言葉の意図を見出そうと次なる言葉を促す。
「ん~ん。ただフィルが私とトーヤをくっつけてから自身との話を進めるつもりだと思うんだけどなんか違うかなって。」
「何が違うのですか?」
「確かに私の方が先にトーヤに恋したかもしれないけど、愛って時間の長さじゃないと思うんだ。どれほど私が愛していてもトーヤが秘めている想いと合致していなければ意味がないじゃない。」
アリスネルは自ら当夜の関係性が薄まる発言を口にしたことに内心驚きながらもどこかで安堵していていた。それと同時に頭を締め付けるような痛みが襲い掛かる。その痛みはいつもいつも当夜とアリスネルを結びつけることを遠ざける事態が生じると発生し、アリスネルを必要以上にいらだたせた。
(うっ。やっぱり当夜のことを自分から離そうとすると起こるこの痛み、これは嫉妬の念だと思っていたけど違う気がする。知らず知らずにお母様の命令に背いていた時に生じる警告に似ている。まさかとは思うけどトーヤと結ばれることが命令だとでも?)
「そのようなことは無いとおもいます。トーヤはアリスを愛していると思いますよ。それに私も遠慮なんてしてませんから。」
フィルネールは事実は事実として伝えはしたものの、当人の真意だけは表情を変えること無く隠し通した。彼女はこの時確かにアリスネルを当夜の第一夫人にすることを必然として捉えてまずは応援に徹することを決めていた。
「そうかな?
でも、これは私の本当の気持ち。一応覚えておいて。」
アリスネルはどこか悲観した表情でフィルネールを見つめながら念を押した。それは自らの胸に去来する世界樹への不信が生んだ行動なのかもしれない。
そこへ見計らったかのように当夜が戻る。
「ごめん、お待たせ。なんだよ、フィル。全然準備が進んでないじゃん。どうやってそれを焚くのさ?」




