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世界を渡る石  作者: 非常口
第5章 渡界5週目
202/325

鍛冶の街 その6

「トーヤ、この後、時間はありますか?」


 当夜とフィルネールはエリアットら一家の家を後にしてどこへ行くともなく何となしに来た道を戻る。二人の道が分かたれるその分岐点でフィルネールが意を決して声をかける。その声は普段通り冷静であって顔や仕種を目にしていなければ社交辞令と勘違いしただろう。フィルネールは両手を前で重ねて俯いている。


「んー、特に予定はないね。あぁ、夕方には武器を回収しないといけないね。それくらい?」


「そうですか。でしたら私の買い物に付き合ってもらえますか?」


 相変わらず感情の起伏が読み取りづらいが、顔色は何か達成感に満たされている。未だ相手からの返事も受け取っていないのだが。当夜はそんな彼女を微笑ましく見つめながらこの世界での女性との買い物履歴を脳内で再生する。


(フィルの買い物なら拘束時間も短そうだよなぁ。アリスネルやレムの買い物は一緒だと荷物持ちか面倒見に徹しないといけないから大変なんだよな。)

「フィルが買い物に誘ってくれるなんて珍しいね。それも良いかもね。何かほしいものでもあるの?」


(よし!)

「ええ。ちょっとした小物がほしくて。」


「わかった。候補のお店とかあるの?」


「いえ、私もこちらは初めてですので少し歩いて探してみませんか?」

(ここまでの流れ、予定通り。さすがアリスですね。)


 今回、この街での当夜との時間を許したのは誰でもないアリスネルである。実は彼女自身も当夜の煮え切らない態度にしびれを切らしていた。そんな彼女とフィルネールの思惑は一致し、共同戦線を張ることになった。その一番槍を勝ち取ったのがフィルネールであった。ちなみにその勝敗を分けたものは当夜が譲ったお菓子をどちらが取るかということであった。当夜の残したアップルパイはアリスネルの嗅覚にドンピシャだったのだ。これによって誘惑にアリスネルは負けた。


「うん。ドワーフなら中々良い物を作りそうだよね。」


「? あ、えっと、私が探しているのはどちらかというと小人族の方が得意としている分野なのですけど。中央の公園そば辺りでそれらしき店があったようなのでそのあたりをまずは目指しましょう。」


 当夜はてっきりフィルネールは防具としての装飾品を求めていると思い込んでいた。この辺りがフィルネールへの印象を如実に表しているといっていいだろう。お互いに話がかみ合わないままに目的地が定まった。


「はい。」


「えっと、何ですか?」


 二人の道が再び重なると当夜はその手をフィルネールに差し出す。

 フィルネールの目がその求めの意図するところを計りかねて当夜の顔に移る。


「いや、手でも繋いでみない? 嫌、かな?」


「あ、いえ、そんなことはないです。では、

 ふふ。私の方がリードしていると姉と弟にしか見えないでしょうね。」


 フィルネールは先を歩いていた当夜の手を握ると追い越す形で一歩先に踏み出す。振り返った彼女はいつに無く上機嫌で少し照れたような顔を向ける。


「全然見た目が違うじゃん。フィルとアリスとだったら姉妹でも全然違和感ないと思うんだけど。」


 フィルネールの照れ隠しに当夜は気づきながらも反論を繰り出す。確かに当夜の目線では外見上フィルネールが姉、アリスネルが妹といわれても違和感がないが、この世界では人とエルフの違いはかなり大きい。


「でも、深き森人と人ですよ。それこそ大きく違います。トーヤ、せっかく手と手がつながって恋人同士みたいな雰囲気になりそうなんですから他の女性の話を出すのはいかがなものでしょうか。」


「ごめん、ごめん。って、先にこの話題にしたのはフィルじゃないか。」


「あら、気づいてしまいました?」


 フィルネールは自身の告白を思い返して苦笑しながら当夜の頭を優しく撫でる。


「そりゃ、気づくよ。ほら、もうすでにこのやり取りがそんな感じじゃないかい。」


 当夜が小さく吐息を吐き出すとフィルネールはその姿に小さく笑う。


「ふふふ。本当ですね。」

(私も照れるとこういう行動に出てしまうのですね。アリスのことを笑えません。)


「やれやれ。あの告白が本当に有効なのかわからなくなりそうだよ。悪戯ならあんまり真実味を持たせるのは相手に失礼だぞ。」


「ふ~ん、トーヤがそれを言いますか。」


 当夜の苦言の後半に突っかかりを覚えたフィルネールは声を低めて問いかける。その目は日頃の当夜の行動を咎めるように半目で軽蔑や呆れに近い感情を表していた。


「どういう意味だよ?」


「別に~。八方美人様なことで。」


 フィルネールという人物を一瞬忘れたように彼女は投げやりな言葉を放つ。


「何だかキャラが崩れてきてますよ、フィルネールさん?」


 当夜が額に汗を浮かべてずいずいと先を行くフィルネールを呼び止める。


「誰のせいですか!

 あ、ほら、馬鹿なことを言っているうちに広場まで来ちゃったじゃないですか。もっと気の利いた女の子を楽しませるような話は無かったのですか?」


 振り返ったフィルネールは語気を少し強めてはいるもののどこなく愉しげだ。


「うぐっ。フィルは手ごわいなぁ。だけど、普段の丁寧語も良いけどこなれた感じの話し方も良いよね。可愛く見える。」


「普段は可愛くないと?」


「あ、いや、そうでは無くてですね。何だか真面目な話しかしてはいけない雰囲気というか、」


「冗談です。雰囲気が硬いですか? 仕事柄、どうしても丁寧な言葉遣いに慣れてしまいましたからね。これでもだいぶ砕けた感じに話しているつもりなのですよ。」


「まあ、僕もそれについては慣れて来ちゃっているんだけどね。

 ところで、探し物の小物ってどんなものなんだい?」


 公園の中央では見事に【鍛冶の精霊】の姿を模した像の持つ槌から勢いよく地下水があふれている。そのすぐわきで涼みながら当夜はフィルネールに本来の目的を進めようとする。フィルネールは一瞬残念そうな表情を浮かべたが、すぐに真剣な表情をとって逆に当夜に問いかける。


「感じませんか?」


「ん? 視線とか? まさか狙われている? んー、僕にはわからないな。」


 当夜はフィルネールの周囲を探る真剣な表情から敵対する存在に見られているのかと思考を臨戦態勢に移した。だが、周囲を探る空間把握の網には何一つ敵意を持った者は引っかからない。


「はぁ、本当に私ってトーヤの中でそう言う扱いだったのですね。」


 本当に呆れたといった表情を受かべてフィルネールは当夜に向き直る。思わず当夜は間の抜けた声を出す。


「へ?」


「匂いです。匂い。」


 当夜の鼻先を人差し指で叩きながらフィルネールがその誤りを指摘する。


「んー、匂い? いや、特に感じないけど。」

(はっ、まさか僕、匂っている? た、確かにこっちの世界に来てから風呂に入る頻度は減っているけど。いやいや、きちんと朝昼晩と体を濡れタオルで拭いているではないか。それこそ、他のメンバーに生暖かい目線を送られてまで。)


 一瞬自身の匂いを指摘されたのかと勘違いした当夜は慌てて自らの体臭を調べ始める。そんな姿に込み上げる笑いを抑えながらフィルネールは再びの指摘を口にする。


「違います、違いますよ。ほら、セレアラの香りがしませんか。」


「セレアラ...。ああ、あの蒼い花の。」


 当夜はクラレスの神殿の白い内壁を鮮やかに彩っていた蒼い花を思い起こした。その記憶に香りについての印象は残されていない。


「そうです。あの花の蜜には浄化作用があるのですよ。」


「へぇ。しっかしよくわかるね。僕には全然わからないよ。」


「まぁ、淡い香りですから。ん、あのお店でしょう。薬瓶の紋が見えます。」


 フィルネールが直線距離で50mはあろう先の一軒のレンガ造りの店を指さす。何か点のようなものが有るような無いようなレベルで紋が刻まれている。それすら彼女の目には判別がつくらしく、近くまで近づいてその事実を確認した当夜はその視力に愕然としたものを覚えた。


「めっちゃ目が良いね。とりあえず入ってみようか。」


「ええ。」


 二人は木の一枚板で作られた引戸を開ける。中からは淡い香りに包まれた風が逃げ出す。


「こんにちは~。お邪魔します。」

「失礼します。」


「あら、こんにちは。オリース雑貨店にようこそっ。

 本日はどのようなものをご所望で?」


 応対に出たその娘は小人族の快活な少女であった。木の戸棚にはペットボトルほどの大きさとなる木製の瓶が数多く陳列されている。表書きには名称や効能などが可愛らしい字で書き記されている。


「【清めの水】を。とりあえず試供品をいただけます?」


 フィルネールが手慣れた形でカウンター向かいのテーブルの椅子に腰かけるとその旨を告げる。


「はいはい。こちらになります。本日はセレアラの香りがお勧めですよ。」


「でしょうね。では、それを。」


「こちらです。」


 フィルネールの前に置かれた木の瓶には確かに【清めの水】と記されている。そのそばに白い陶器製の小鉢が置かれる。フィルネールは木の瓶の蓋を抜くと小鉢に注ぐ。ブルートパーズのような淡い水色の液体がサラサラと小鉢を満たしていく。注ぎ終えたフィルネールが一枚の無地のハンカチ状の布を広げて浸すとそのまま持ちあげて香りを楽しんでいる。


「はぁ、良い香りですね。ほら、トーヤも確かめてください。」


 しばらく香りを確認したフィルネールがホッと息をつくと当夜に差し出す。


「へぇ、これが。う~ん、かなり淡い香りだね。」


 ミント系の爽やかな香りに加わる仄かな甘さはイランイランのそれを薄めたものか。兎にも角にも地球の現代社会にあふれる香水に比べて全体的にかなり薄い香りと言っていいだろう。


「いやいや、これは相当濃縮してある優れものですよ、おにーさん。これ以上となると王族クラスのものとなりますよ。」


 財布のひもを握る相手が当夜と判断した受付の少女は栗毛色のショートヘアを宙に浮かせて飛び寄るとすり寄るように商品を推しはじめる。


「ふ~ん、そういえばみんなそう言うの使っているよね。香水みたいなものなの?」


「香水って。そんな高貴なもの戦いに身を置く者は使いませんよ。そう言えばトーヤが使っているところを見たことがありませんね。体を清めるときは何を使っているのですか?」


 当夜の疑問にフィルネールは首を傾げながら彼が【清めの水】を使っている姿を記憶の隅から探そうと試みたが見つけるに至らなかった。彼ほどの不思議な存在ならば代用するような何かを特別に持っているような気がしてそれと関連付けることで説明しようとした。


「清めるって濡れタオルで拭き取っていたじゃないか。」


「えっ、あれで清めていたのですか? てっきり体を冷やしているものかと。まさかレムが当たっていたなんて。」


 当夜の何を言っているのという表情に大きく期待を裏切られたことを悟ったフィルネールはレムが冗談交じりに推測したまさかの事実に大きく肩を落とした。


「ということはみんなはアレを使っていたってこと?」


「もちろんです。それにしても【清めの水】も無しによく清潔を保てましたね。」


「いやまぁ、そこは努力とアイテムボックス頼りでね。この事実をもっと早く知りたかったよ。」


 当夜は水の確保に奔走した遠くもない昔話を思い返しながら木の陰に隠れて体を洗っていた過去の自分を遠い目をもって見つめていた。


「でも、トーヤの体は良い匂いしかしませんよ。」


「え゛っ?」


 当夜は異性に匂いを嗅がれていたという衝撃の事態に、いつ、どこで、どこをと問いただすべきか否かを判断に困りながら慄いていた。


「あ、いえ、その匂いを嗅いでいたとかそう言うんじゃないですから。一緒に居て気になるようなことは無かったということですからね。誤解の無いよう念のために強調しておきますよ。」


 顔にその感情を豊かに表す当夜に彼が感じ取った言葉の意味を理解したフィルネールは慌てて訂正を入れる。


「ああ、そう。まぁ、変なにおいがしてなくて良かったよ。まぁ、水浴のときに都度ボディソープとかシャンプーとかで洗っていたし、良い匂いってのはそのあたりかな。

 とりあえず僕にもそれ、売ってもらえる?」


 当夜は安堵した表情を浮かべて受付嬢に振り返る。そこには2人のやり取りに少女とは思えないねっとりとした笑みを浮かべる小人族の妙齢な女性は数本の瓶を準備して待ち構えていた。


「毎度あり~。1本2,000シースですけどどうする?」


 かなり悪戯めかした表情で問うその顔には格好の得物を見つけた狩人の気配が漂っていた。その姿に苦笑しながら当夜は囁くようにフィルネールに助言を求める。


「1本でどれくらい使えるの?」


「そうですね。日常生活の汚れ程度で10日ほどですかね。戦闘とかでひどく汚れると3回も続けば底を着くくらいですね。」


「そりゃ早いね。」


 はぁ、とあからさまな溜息をついた当夜に売り子は勝者にのみ許された笑みを浮かべるのであった。

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