鍛冶の街 その5
「お久しぶりね、アリス?」
ドワーフに良い印象を抱いていないアリスネルは街の外、それもフィルネールとは真逆の森に陣取り、魔物を相手に魔法の練習をしていた。そんな彼女の背後からその索敵網をやすやすと潜り抜けた異質な存在が声をかける。
驚愕に振り返ったアリスネルが目にしたその者の姿は彼女に見覚えのあるものでは無かった。アリスネルと同じく金箔を裂いたような柔らかな糸が集まった長髪は肩を超えて流れている。漆黒のマントは着慣れていないような真新しさがあるが、その容姿に実に適合しているといえる妖艶さを醸し出している。何より彼女の血に満たされたような紅い瞳に引きこまれそうになる。
「? えっと、申し訳ありません。どちら様ですか?」
アリスネルは警戒に警戒を重ね、無詠唱魔法の発動準備としてその細い足に狙いを絞りつつも笑顔で相手の正体を探る。上位の冒険者でさえ見落とすほどに表情に疑惑の色は浮かんでいないはずだが、目の前の女性からはそんなアリスネルでさえ看破されているどころか心臓を鷲掴みにされて心情を量られているような怖気すら感じさせられる。そんな少女の口角が吊り上がると長い犬歯がその先端を現す。
(あら、私に警戒? 情報端末は無条件に私たちを受け入れるように刷り込まれているはずなのだけど。収集装置が勝手に解除したってことかしら。まだ中にモルモットどもの意思が残っているというの。ふん、何にしても儀式が完了して神がお戻りになられたらすぐさま叩き折ってあげないと。)
「ふふふ。そう、モルモットのくせに手駒にずいぶん自由を与えたみたいね。
私はフレイアよ。貴女たちの管理者であって検閲者。
まったく、記録の検閲って手間なのに。まぁ、どうせこれがアリスシリーズの最終ロット。どう処分しようが問題ないか。」
(何なの、この人。手駒、検閲、処分ってずいぶん不気味な単語を並べたわね。それにモルモット、ロット、いえ、それよりアリスシリーズって一体? アリスだなんて私に関係でもあるというの?)
「アリスシリーズ?」
アリスネルの耳に世界樹の情報ネットワークを持ってしても聞き覚えのない単語がちらつく。中でも自身の名前に似た響きを頭に冠むるその単語を問わずにはいられなかった。
「そうね。これは機密情報ですもの。貴女では知る由もないわね。
シリーズの話をする前に基本情報を共有しましょうか。盟主様がお創りくださった最も強い感情に染まるマナを収集する装置、それがこの世界の住民が【世界樹】と呼ぶ精霊の正体よ。」
「なっ?」
母親のことを装置と言ってはばからない女の言葉は妙な説得力があった。嫌な予感がふつふつと湧きあがるアリスネルの続く疑問の投げかけを無視して遮るようにフレイアは続ける。
「アリスシリーズはそんな動けない固定装置から生み落された情報収集端末、そんな1つの形態の名称よ。つまりは量産品。貴女たちは【世界樹の目】とか名乗っていたかしら。ちなみに貴女たちが集めた情報が送られる先は【世界樹】だけじゃないのよ。私たちが検閲しているの。そうそう、貴女らの痴態、最高だったわ。モルモットの道具と虫けらの恋、特によかったわ。思わず子供ができないようにいじってあげたくらいよ。ともかく余分な情報を除いた知識が我らの盟主様の元に届けられるの。本当に貴女らは働き者で助かったわ。」
「な、何を、言っているの?」
(私が道具? お母様も作られた存在?)
依然として不確かな部分が多いが、相対する存在はアリスネルのことを道具扱いしていることが強く伝わってくる。それでも彼女を人として、生命として証明しようとする記憶と意識が認めようとしないのだ。
「はぁ、理解できない? そうよね。オリジナルが優秀すぎて可哀想に思えてしまうわ。」
予想通りの反応に呆れるようでいて愉しげに笑う女はアリスネルを見下すようにあるいは馬鹿にするような言葉で突き放す。
「おりじなる?」
アリスネルは目を細めて女の真意を読み取ろうとする。嘲笑を浮かべていた女の顔がアリスネルのその表情にどこか不快なものを感じたのか頬を引き攣らせて負の感情を表す。彼女の深い記憶に埋もれていたある少女の姿と目の前のアリスネルの姿が重なる。フレイアの脳裏に途端に溢れ出す記憶、神の復活に捧げる計画を遅延させた忌々しい出来事がよみがえる。
「アリス・ネルメール。あのガキめ、思い出すだけでも忌々しい。」
「っ!」
フレイアを包み込むどす黒く禍々しいマナがアリスネルの体に蛇のように巻き付く幻視を覚えてアリスネルは顔をこわばらせると大きく息を呑む。
「良い! 良いわ、その表情っ。あの小娘もそんな表情を浮かべてくれれば少しは可愛がってあげられたものを。これだから、アリスシリーズは壊すときの快感が堪らないのよぉ。知ってた、これまでに処分してきたアリスシリーズはみんな私が直接下してきたの。処分前にこうやってすべてを教えてあげながらね。
さぁ、さっさとひれ伏せ!」
女は赤い瞳をさらに狂気と血の色に輝かせながら、その舌で妖艶に唇をなめまわす。記憶に向けられた害意が自らに向いた瞬間、アリスネルは自らの体が力なく引きちぎられる様子を想起させられる。
「ひっ!」
唇は震えて止まらず、恐怖に涙が頬を伝う。溢れ出す汗が服を一瞬にして体に貼り付け、締め付けられるような感覚に包まれる。いつの間にか四つん這いに両手両膝をつかされていたアリスネルの地面についていた両膝は小刻みに揺れ、その腕は生まれたばかりの小鹿のように震えている。この姿こそ【世界樹の目】たる彼女らが深層心理に刻まれた管理者に取るべき姿であった。
「アハハハッ。安心なさい、気が変わったからすぐに処分するわけではないわ。貴女には私を十分に愉しませてくれないと。その価値が生まれたのよ、喜びなさい。」
従属者の本来執るべき行動を執っただけではあるものの、煮え湯を飲まされた者と瓜二つの容姿であるアリスネルが自身の前に膝間づく姿に気分を良くしたフレイアは細めていた目を一瞬緩めたかと思うと今度は奸悪な笑みを浮かべる。
「役立つ?」
アリスネルは彼女を絡めていた威圧から解き放たれたことでどうにか顔色に血の気が戻りかけるが、それによりようやく落ち着き始めた脳にフレイアの言葉の意図するところを理解しようとする。明らかな敵方の役に立つことが求められていることに愕然とするアリスネルに対してフレイアは聞き覚えのない精霊語を放つ。
「ええ、そうよ。
【オペリーレン ディ ゼーレ、ベシュテメン フューア アリス】」
「えっ?」
フレイアが謎めいた詠唱を終えた途端にアリスネルの体は一切言うことを聞かくなくなり、疑問符を投げかけるだけで精いっぱいとなる。アリスネルには元凶たるフレイアがただ彼女を見つめているようにしか見えないが、相対する彼女の目にはアリスネルを構成する魂の在り方が手に取るように見えていた。
「ふ~ん、ずいぶん面倒なデータだらけね。感情なんか潰してくれればいいのに。はっ、何これ。アハハ、収集装置とはいえ女どもね。異世界の人間をたらし込もうってこと? それとも栄養にでもしようっての? 愛していると思っていた男は母親の得物だなんて、いやはや笑うしかないわね。」
(いえ、これは盟主様の御意思? その線もあるか。エレールも今回の複線、あの異世界人の取り込みを見越したものだということかしら。)
そこには幾重にも厳重に保護された感情を司る奔流が見て取れる。それは前任者たるエレールシリーズの最終ロットが組み上げた愛情という感情に近い。だが、エレールが自ら組み上げたものであるとすれば、アリスネルのそれは前者のそれを模して作られたものだ。管理者でもあるフレイアですら時間をかけねば解除することは難しいであろう。だが、その力をもってすればその最終的な目的まで見当がつく。彼女を当夜の下に遣わし、世界樹に導き、取り込むべく一連の流れが組み立てられている。そして、事実獲物は最終段階にまで近づいている。フレイアの目にはそれは世界樹が盟主に与えられた命令にも思えるほどだった。それゆえに敢えて取り除くべき障害とは思えなかった。それどころかこのまま進行すればかつてないほどにアリスシリーズが苦悶に埋もれる姿を拝めるかもしれないとフレイアはほくそ笑む。
「取り込む? 異世界の人間? っ、トーヤのこと? それもお母様が?」
「ええ、そうよ。まさか、貴女はその感情が自身のものだと本当に思っていたの? あらら、これは悪いことを教えちゃったかしら。そうよ、貴方の感情は【世界樹】から与えられた命令でしか無いのよ。作られた感情、偽りの愛情、さすがお人形さんね。」
「う、嘘よ。私のこの気持ちは本物よ。トーヤのことを愛しているもの。」
必死の様相で管理者に逆らうべきでないというプログラムを押しのけて立ち上がったアリスネルは心情を口にすることで更なる奮起を計る。そこには僅かに生まれつつある生みの親たる世界樹への無意識の抵抗も含まれていたのかもしれない。
「哀れね。
あー、面白いことを思いついた。貴女が守ればいいのよ。命令者たる【世界樹】に逆らってあの異世界人を守ってみせなさいよ。そうすれば貴女の愛は本物。何の抵抗もできない、あるいは貴女自らが取りこませるように仕向くのであれば、それこそ偽物の愛である証とは思わない?」
「お母様に逆らって...。それでも私はっ。」
フレイアの試すような問いかけに唇をかみしめ、血を流すアリスネルはその碧眼に強い意思を宿らせる。その瞳を目にしたフレイアはその意思よりも深層に深く刻まれている命令に逆らえない彼女の未来を嘲笑いながら最終章の幕開けの宣言を発した。
「アハハハ、これは見ものになりそうね。私もその景品がほしくなりそう。まぁ、神、復活の前夜祭、その余興には打ってつけじゃないかしら。」
「貴女はっ。トーヤには手出しさせないんだから!」
「調子に乗って、しょうがないわね。
ひれ伏せ。」
先ほどアリスネルを膝間突かせたその命令が再び下される。その命令に逆らうべく膝に力を込めたアリスネルだったが想定外なほどにその拘束力を感じられない。
「っ。」
(え? 束縛が無い。これって。いえ、これなら戦える。)
「貴女はここで倒しますっ。トーヤには手出しさせない!」
アリスネルは魔法による光剣の切っ先をフレイアに向ける。その姿はもはや管理者であるフレイアに逆らえない【世界樹の目】の枠を超えたかのように見える。
「私じゃないの、貴女なのよ、手を出すのは、彼の命を差し出すのはね。せいぜい頑張りなさい。」
(んふふ。精々足掻きなさい。足掻けば足掻くほど終焉は悲愴さを増す。今もあえて足枷を外してあげたのだから期待にぜひ応えてほしいわね。)
「ええ、ありがとう。それにしても貴女は、だれ?」
「いえ、そちらから声をかけてきたではないですか。私に何か?」
「ごめんなさい。私、何か勘違いしたみたいで。
っ、そんなことよりトーヤが危ない。...でも、どうして?」
アリスネルは勘違いをした。いや、させられたのだ。フレイアは敢えて彼女に組み込まれた【世界樹の目】としての束縛を解いた。併せていくつかの記憶をいじり、フレイアとのやり取りを消し去ったのだ。
フレイアは愛するよう仕組まれた男の下へと駆け出したアリスネルを意地の悪い笑みで見送る。そんな彼女の耳に風魔法で部下からの報告が伝えられる。
(フレイア様、コートル王国の首都で亀裂が生じたようです。いかがしましょうか?)
「ん? 異世界人の結界でも抑えきれなくなってきたか。そろそろ私が本格的に儀式に入らねばならないわね。コートル王国、人口的にもこれで神への供物は揃うかしら。
ああ、アリス、貴女の悲劇を見られるのはその後かしら。神の復活を盟主と共に待ちながら鑑賞させていただくとしましょう。それまで不安におびえるがいいわ。」




