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世界を渡る石  作者: 非常口
第5章 渡界5週目
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鍛冶の街 その3

 当夜がエリアットとの出会いを果たす日の早朝、まだ眠る女性仲間たちを起こさないようにそっと部屋を抜ける影が一つ。それは彼女の日課だ。


(トーヤには負けられません。だけど本当にいつ起きているのかしら。常に先を越されているのは悔しいですね。)


 彼女が隣部屋を通り過ぎる時に感じるマナを組み立てていく少年の異質さ。彼への第一印象は戦いを知らない少年、だが今では背中を任せられる相方にまで上り詰めている。それこそ神童とまで呼ばれた彼女を上回る速度で成長していく。それが才能だけでないことは知っている。徹夜でもしているのではないかと疑うほど毎朝フィルネールより先に始まっているマナの操作訓練。今もまた彼はフィルネールの想像の上を行く修業を展開している。突如として現れるもう一人の当夜の存在。当夜が分身を作り上げた瞬間だった。


(相変わらず貴方は。そこに惹かれてしまったのでしょうか。)


 フィルネールはいつしか当夜を保護者としての立場から異性として意識するようになっていた。そのかじが大きくきられた瞬間こそ、赤神との戦いであろう。あんな少年に恋したなどとは正面切って言えないと冗談めかしているがかなり本気で狙っている。アリスネルには悪いのだが。

 フィルネールはしばし扉に越しに当夜の様子を見守るといつものように外に出て素振りを始める。入念な準備の後、18連にも及ぶ神速の突きを発動させる。大気が切り刻まれて悲鳴を上げる。


「さて、今日は自由時間もできましたし、少し実戦訓練に入りましょうか。」


 誰に言うでもなく自身の意思を固めるため、あえて声にする。早朝の爽やかな風に凛とした声が響く。宿屋の娘がその声と姿に見惚れて動きを止める。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「この辺りでしょうか。」


 森の中を気配を消して進む。そうでもしなければ魔物が彼女を避けて現れることはないからだ。しばらく彼女が足を進めると深緑の森に葉と葉が掠れる音に混じって小さな悲鳴が響いた気がした。その直感に従って足を速める。フィルネールの感覚では数瞬、強大な爪が首元に迫る少女から見れば長い長い恐怖の時間。その無音にも感じられる3者のみの空間は硬質な音によって本来の世界と交差する。巨大なタイタンベアの草刈鎌のような爪がフィルネールの剣によって受け止められる。狩る側だったタイタンベアが次の瞬間感じたものは狩られる側の恐怖だった。爪に沿うように流れた銀の一閃は胴に痕跡を残さず振りぬかれる。

 悲鳴を上げることも許されずに崩れ落ちるタイタンベアを一瞥し、その命が確かに消えたことを確認したフィルネールは足元で泣きじゃくる少女に目を落とす。見ればまだ12,3才くらいの小人族であろうか、栗毛色のショートヘアーが揺れている。その手にはいくつもの薬草が握りしめられている。


「大丈夫? 魔物はもうお姉さんが倒したからね。安心して。怪我は無い?」


 フィルネールが少女の顔を覗き込むように体を屈めて優しく声をかける。


「うん。でも、【トフの実】が食べられちゃった。お母さんを折角助けられると思ったのに...。」


 幸いなことに右手をわずかに怪我しているだけで他に大きな怪我は無い。その傷を負った右手をそっと両手で包むと治癒の魔法をかける。少女は気が動転しているせいかそのことに気づいていない。彼女の意識はただ一点【トフの実】の喪失に向けられている。


「お母さんを?」


「うん、クーのお母さん、坑道で怪我しちゃってもう危ないって。シスターさんが上級治療薬があれば助かるって言ったの。それで材料を調べて、全部そろえたのに食べられちゃって。あの実が最後の一つだったのに。もうお母さんを助けられない...。」


 クーと名乗る少女の姿はどこか見覚えがあった。強い既視感に憐れみ以外に僅かな苛立ちのような感情が沸き上がることを理解できずにフィルネールは少女から目を反らす。そこでふと苛立ちの原因に思い当たる。


(そうでしたか、私でしたか。あの時の力ない私とよく似ているのですね。)


 彼女は幼き頃に遭遇したあの忌まわしい記憶を思い出していた。孤児だった彼女を保護してくれた教会に蔓延した病とそれを治すために無謀にも森に単身入った自分の姿だ。結果は当然のように目の前で力なく泣きじゃくる少女と同じだった。


「大丈夫。それに貴女が怪我したらお母様も悲しくなっちゃうでしょ。貴女の笑顔で元気にしてあげなくちゃ。」


 彼女を助けてくれた騎士にかけられた言葉と似たような台詞が引用される。


「...うん。」


 一呼吸おいて涙をおさめた少女は小さな笑顔をフィルネールに向ける。


「さぁ、戻りましょう。私にもお母様にあわせて頂戴。」


「...はい。」


「ありがとう。私はフィルネール。よろしくね。」


「はい。私はクーシャ。クーって呼んで良いよ。それと助けてくれてありがとう。」


 クーシャと名乗る少女はフィルネールをじっくりと観察する。彼女もその年ともなれば高貴な騎士や有名な冒険者に依頼を出せば途方もない報酬を請求されることくらいは知っている。命を救われたともなればなおさらだ。その上に護送まであってはと不安の色が笑顔に再び影を落とさせる。


「気にしないで良いのよ。そっか、クーちゃん、か。じゃあ、お家まで私を連れていってくださいね。」


 フィルネールはその不安を即座に感じ取り、フィルネールからのお願いとなればクーシャの不安も治まるはずと逆に彼女の家までの案内を依頼する。


「うん、任せて。」



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 街に戻ったフィルネールは先を歩くクーシャの小さな背中を見つめる。


(小さくて頼りない背中。あの時もこのように後ろを守りながら歩いてくれていましたね。私はこの子を救えるのでしょうか、あの方のように。ふふふ。彼女はどのように幼かった私の背中を見ていたのでしょうね。)


「フィルネール様ってすごい騎士さんなんだね。」


「そう見えますか?」


「うん。おっかない魔物も簡単に倒しちゃったもの。」


「ありがとう。でもね、私はまだまだ。私の尊敬する騎士様はね、力だけじゃないの。心も救ってくれたのですよ。きっとそう言う方をすごいって言うのだと思いますよ。」


「フィルネール様も助けて貰ったの?」


「はい。今でも憧れの方で、追いつきたい目標です。ふふふ。ちょっと恥ずかしいですね。」


「そんなこと無いよ。私の命を救ってくれたもの。」


「ありがとう。」


「どういたしまして。」


「アハハ。」「ふふふ。」


 お互いに照れ隠しに小さく笑う。


 しばらく殺風景な石造りの通りを歩いていく。至る所に建つ小屋のような建物には小さな入り口が同じような規格で存在している。ドワーフや小人族の長屋である。そんな中で一つの入り口の前で小さな案内人が止まって振り返る。


「ここ、ここがクーのおうち。おかーさん、お客さんを連れてきたよ。」


 クーシャが勢いよく戸の無い入り口に駆けこんでいく。フィルネールはその小さな戸口を潜ると部屋から漂う腐臭に一瞬目を細める。


「失礼します。これは、」

(思っていたよりもひどい。上級治療薬で傷は治せてもこれほど栄養状況が悪いのでは体力が持たないかもしれません。)


 奥で敷物もなく横たわる女性は両足を壊死させて蛆虫に侵されていた。顔色は土色に染まり、頬はこけ、虚ろな目はくぼみ、服の下の体の状態は想像に難くない。クーシャの母親である彼女は苦痛に顔を歪めながらも娘の身に何かあったのだと母親の直観を働かせて謝りを入れる。


「これは娘がご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません。どうか、その御恩は私の残り少ない命に免じてお許しください。」


「そのようなことは気にしないでください。」

(まだ意識ははっきりしているようですね。ならば、)


 フィルネールは布袋を取り出すとその中を漁る。その手が引き戻されると真っ赤な液体が満たされた治療薬が詰め込まれた瓶を取り出す。そして、彼女は再び袋に手を差し入れる。


(今からトーヤを探したら間に合わないかもしれない。どうかお願いです。)


 フィルネールが求めたものは砂糖、当夜から聞いた栄養の塊である。それをクーシャの母親に与えるのだ。だが、一つの心配があった。それはレムに当夜が忠告していた通り利用の制限対象となっていないかどうかである。これはレムのお菓子泥棒を阻止する最高の手立てであるが甘味料である砂糖もそれに含まれる可能性がある。


―――砂糖


 フィルネールがその姿を思い描いた瞬間、その手に重みが伝わる。思わず笑みと涙が浮かぶ。袋から一袋の砂糖が引きだされた。


「クーちゃん、お母様を助けたいのですよね。でしたらお湯を沸かしてくれますか?」


「う、うん。お母さん、助かるの?」


「頑張ってみましょうね。」


「うん!」


 フィルネールはクーシャが沸かしてきた水に上級治療薬と砂糖を溶かし込むと味見をして彼女の母親の口にスプーンに掬って運ぶ。それを啜った彼女の目が見開かれる。


「こ、このような高価なものはいただけません! おやめください!」


 咳き込みながら声にならない声で訴える。そんな母親の様子にクーシャが悲しそうな目をフィルネールに向ける。フィルネールはそんな不安を払しょくするように笑顔をクーシャにむけると再び彼女の母に向き直って優しく諭すように語り掛ける。


「これは貴女の娘さんが用意してくれた湯ですよ。心清らな者が温めた水には【癒しの精霊】の加護がかかるものです。それがそのように感じられたのでしょう。彼女の心を素直に受け取ってあげなさい。」


「え? そうなの?」


 フィルネールの言葉に反応したのは母では無く、娘だった。久しぶりについた嘘がこうも鮮やかに少女に受け取ってもらえたからかフィルネールは思わず笑みがこぼれる。


「ええ、そうですよ。貴女は聖女の素質があるのかもしれませんね。」


 その純真無垢な心にフィルネールは聖女と呼ばれる自身よりもこの少女の方がふさわしい名だと感じていた。


「そうなんだ。だったら私もフィルネール様のように人を救えるようなすごい人になる!」


「えっ?」


 心から賞賛していた相手から唐突に差し出された自身を讃える言葉にフィルネールは思わず振り返る。そこには満面の笑みで憧れを表現するクーシャの姿があった。


「フィルネール様は私のとっての憧れの方で、追いつきたい目標だもん。」


 付け足すようにクーシャが発した言葉はフィルネールにいかなる彼女を讃える評価すらも霞んで見えるほどの衝撃を与える。


(そう、そうですか。私もあの方に少しは追いつけたということでしょうか。虚言と横領で固められた偽善行為ではそうも言えませんね。それでも、それなのにどうしてこんなにも温かいのでしょうか。)

「ありがとう、クーシャ。」


「ありがとうございます、フィルネール様。それに、クーシャも。」


 いつの間にか顔色を良くし始めたクーシャの母親とフィルネールの目には溢れ出す涙が同じく流れていた。そんな2人の様子に心配そうにクーシャが問う。


「なんで2人とも泣いているの?」

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