ルーキーの受難
当夜はギルドの敷地から神殿を見上げる。
(でかい。こんな建物どうやって作ったんだろう。古代ギリシャみたいに人の手で頑張ったのか、魔法が存在する世界ゆえに魔法で作ったのか。いや~、ロマンがあるね。)
芝生の庭を後にした当夜は大通りに再び足を踏み入れる。
突然、けたたましい金属がたたきつけられたような音が響き渡る。人々の目線がそちらに移る。もちろん当夜もだ。だが、人影に隠れてその正体は判別しない。それでもいったんは足を止めていた人々が再び何事もなかったかのように動き出すとその理由は当夜にも流れ伝わる。
「ルーキーが******」
「***が撥ねられたみたいよ」
「可哀想に...ゾ**ク*軍の馬車が*******」
軍馬ともいうべき金や銀に装飾された勇ましい馬に引かれた黒塗りの馬車が人の波を押し分けて姿を現す。その蹄が進む度に赤い跡が残る。総合してみると人と馬車が衝突したようだった。その上で馬車は悪びれることなく轢き逃げしようとするかのようだった。その証拠に乗り手は一切顧みる様子は無い。だが、誰一人その行為を止める様子は無い。
では、当夜ならできたかと言うとそうでもない。群集心理とは恐ろしいものだ。だが、この世界の常識に疎い当夜であったからこそ動けたはずだった。それができなかった理由は別の光景にある。轢かれた当人である血まみれの男が頭を地に伏せて謝っているかのようだったからだ。
(どういうこと? 轢かれた方に落ち度があったのか。って、誰も助けないじゃないか!)
皆、それが日常から外れた事件に映らないのか、怪我人に誰一人手を差し伸べることは無かった。当夜は距離にして30m、神殿に向かうよりも遠い距離を人波を分けて走る。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ。」
灰色の髪を赤く染めて男は顔を上げる。すり傷だらけだ。体は木の板をつなぎ合わせたような鎧に護られて大きな怪我は無いようだ。だが、やはり無事なはずが無かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺の名はゴーダ。冒険者登録から一年半の駆け出し冒険者だ。今日もいつも通り街道のゴミ拾いの依頼を受けていた。剣も買えない初心者は生活費と活動資金を得るために雑用とも呼べる依頼を数多くこなさなければ生きていけない。たまにルーキーが無謀にも討伐依頼を受けて帰らないことがよく聞かれる。彼らは剣も防具も買えずに包丁を片手に【迷いの森】に突っ込んでいった口だ。その点、俺は慎重な方だった。コツコツとレンガ貨を貯めてウッドアーマーを手に入れた。240シースもした。おかげで貯金はゼロだ。それでも、次は剣を手に入れるんだ、と意気込んだばかりだった。
「おんやぁ、ゴーダ。あんた、今日もゴミ拾いかい?」
受付嬢と言うにはいささか年を取り過ぎたヘーゼルさんが僕の憧れの受付嬢を押しのけて俺をからかう。
「エメルさ~ん...」
後方で小さく手を振るエメルはゴーダが冒険者登録した時に対応してくれた女性だ。ゴーダよりも5つ年上だが未婚であることは調査済みだ。良く言われることだが冒険者登録に立ち会った受付嬢と冒険者が結ばれるケースは鉄板の話題だ。つまるところ、俺が彼女に惚れてしまったのは仕方のないことだといえる。
「何だい。あたしじゃ不満だって言うのかい?」
このヘーゼルさんは若かりし頃はものすごい美人だったらしい。たまに冒険者を引退した先輩方の話の中で聞く。面影には美人の要素が多数埋め込まれているのはわかる。それでも年齢を重ねるのは人のあるべき姿だ。まぁ、その、なんだ、平たく言うと美人だった彼女は貢物を集めているうちに婚期を逃したのだ。でも、おかげで他の受付嬢は彼女のようにならないように焦りを抱いてくれている。可能性はゼロでは無いのだ。
「ええ。あ、いえ、そうじゃないですけど...」
つい心の声が口から這い出る。慌てて訂正するが時すでに遅し。ヘーゼルはゴーダの髪をつかむと引き寄せてその頭を彼女の腋に挟む。
(これで若かったらなぁ。)
「ぐへぇっ」
「あんた、私をババアだと思っただろ!」
「スイマセンッ」
「まぁいいや。それでまたゴミ拾いかい? もうそろそろ討伐に挑んでもいいんじゃないかい? 魔獣は無理でも獣くらいなら問題ないはずだよ。」
「まぁ、そうなんですが...」
「じゃあ、【カミツキギツネ】二頭討伐の依頼に変えとくよ。」
「いやいや、待ってくださいよ! 一度とった依頼の中断は厳罰でしょ。」
「そ、そうですよ。先輩。」
「エメルに見つかっちゃ~、内緒で取り消せないねぇ。しかたない。ただし、次の依頼はこれに決定だからねっ」
「は、はい。」
ギルド恒例のチキンルーキーへの激励に俺は当たってしまったようだ。まぁ、確かに思い起こせば請け負ってきた依頼は皆、街の中で完結するものばかりだったから致し方ない。馬糞清掃やお弁当配達、トイレ清掃、ペットの散歩、ああそう言えば、ペットの散歩といえば貴族様の飼われていたハネリスに逃げられたときはとんでもない弁償額を要求されたっけ。あの時はギルドが仲介に入ってくれなかったらきっと殺されていたな。俺が逃げたハネリスの捜索依頼を出してんだった。328シース。あれは痛かったなぁ。有り金すべてだったもんなぁ。あれっから貴族の依頼には気を付けようと思ったんだった。
で、結局俺は馬糞清掃をやれることになった。みんな馬糞掃除と馬鹿にするがこの依頼が一番うまいと俺は知っている。出来高制もあって基本給の2シースに加えて運が良ければ25、6シースは稼げる。さらにおまけがあるのだ。それは貴族街や高級住宅街にある。馬車が頻繁に通るおかげで物が多いのももちろんだが、貴族らが自分の家の前を入念に仕上げてほしいらしくチップを寄越すのだ。頑張ればそのうち顔を覚えられてよりチップも弾む。それこそ50シースはくだらない。チップだけで生活費が稼げてしまう。残りの収入はまるまる貯蓄や装備に注ぎこめる。
「いやぁ、今日も良かった。チップだけで56、57、58、58シースと23メダかよ。ぼろ儲けだぜ。」
大きく膨らんだ財布の中身を道端で確認する。今日のチップは良かった。お得意さんから大銅貨1枚が転がり込んだのだ。加えて42枚の中銅貨と小銅貨48枚、レンガ貨143枚にもなる大収穫だ。ああ、どうしてそんなにレンガ貨が多いかって? 実はこれも旨みの一つだ。貴族ともなるとレンガ貨はお金とみなしていないらしく、道端に小石のように打ち捨てる。そのタイミングがチップを放るタイミングと合致するのだ。浮浪者と一緒になって慌てて拾う俺をある者はののしりながら、ある者は嘲笑いながら最後まで見届ける。どいつもこいつも優越感に浸っているようだった。まぁ、俺はどうみられようが構わないんだが。
俺は自分でも気づかないうちにほくそ笑んでいた。誰にも見られていなかったはずだが、精霊様は見ていたようだ。舞い上がった俺が不注意にも路上に足を踏み込んだ時だった。後方からとんでもない衝撃に襲われた。
「なっ!? ぎゃぁあああっ」
自分でも信じられないような情けない悲鳴だった。目の前の景色が激しく入れ変わり、赤いしぶきが舞うのが映る。同時に走る猛烈な痛み。意識が飛ぶ。かなりの時間が経っただろうか、あるいはほとんど時間は流れていないのか定かではないが目に光が入る。上半身は無事だった。痛みがあったのだから。だが、足は裂け、尖った折れ目が見える乳白色の骨が飛び出ていた。まだ冒険してもいないのに俺は冒険者生命を断たれるような怪我を負っていた。
(ぐっ。いったい何が、)
体の後ろには黒塗りの高級そうな馬車が止まり、豪華に装飾された黒い馬がこちらをにらんでいる。新調したウッドアーマーは砕け、激戦でもあったかのようだ。腹筋に力を入れて目線を足の先に向ければ地面を転がる銅貨やレンガ貨が数十と転がっている。その距離、後方の馬車3台分はあろうか。その転がる硬貨を次々と子供や浮浪者たちが拾い集めている。一瞬、それが何の金かわからなかったが理解した瞬間にその多くを失ったにもかかわらず顔に血が寄せ集まる。大声でどなろうとしたとき、冷たい声が後ろからかかる。
「何だね、私の足を止めるなどとは。急いでいるんだ。さっさと出ろ。」
(ふざけんな。俺を轢いといてその言い様はなんだ。)
「ああ? 糞拾いかの小僧か。まったく恩をあだで返しおって。気にせず行け。」
窓から顔を出した人物は大銅貨を投げてよこした貴族だった。その男が乗る黒塗りの馬車はクラレスレシア王国軍の軍人でも将軍職にある者のみが許された紋章が画かれていた。
(ああ。ツイてないな。いや、これが貴族に集ったものの末路か。あんだけ貴族で痛い目に遭ったのに縋った俺が馬鹿だったのか。)
命を失うような大けがを負わされたのに黙っているのにはわけがある。冒険者と貴族では大きな地位的な隔たりがある。単に貴族が冒険者よりも偉いのだ。何がどうとかでは無い。国によって保障・保護される存在。それが貴族だ。それはこのようなときに大きな壁となって冒険者を苦しめる。まして軍の将軍ともなれば足を止めただけで不敬罪という言いがかりをつけられて殺されてもおかしくない。ここは刃向うよりも頭を下げて憐憫を乞うた方が得なのだ。ゆえに、ゴーダは顔を地に伏せた。悔しさに涙を流しながら。




