港町ホロスバン その3
「トーヤ。はぁ、もう歩こうよぉ。はぁ、疲れたよぅ。」
アリスネルは当夜に手を握られて精神の高揚が著しく、魔法を発動できずに移動力を高める風魔法による補助効果を得られずにいた。おかげで肉体的に圧倒的弱者となるアリスネルは当夜に引きずられるようについていくしかなかったのだが、肺が、足が言うことを聞かなくなる。その場に倒れるように屈みこむと当夜もまた足を止めて振り向く。
「はぁ、はぁ。あ、あぁ、ごめん。何だか厄介事に進んでいきそうな予感がしたんだ。」
いつの間にか血の気が引くまで強く握っていた手を慌てて話す。途端に血の気が戻った手に強い赤みがさす。
「はぁ、はぁ。もう、大丈夫だってぇ。」
アリスネルが両手を膝の間において当夜を見上げる。
「そうだね。ごめんね。」
当夜の謝罪にアリスネルはどこか満足げである。もちろんここまで走ってきた間も笑顔を浮かべていたが。
「ちょっと、ちょっと、お兄さん。そこの可愛い女の子の手を取っていたお兄さん。」
背後の露店商から声がかかる。振り返るとその露店には一つのテーブルが置かれているが商品らしきものが一切ない。明らかに商売する気が無いか、あるいは類稀なる商才によってすべてを売り上げたとでもいうのだろうか。はたまた、怪しい占い師とでもいうのか。まぁ、見かけがシスターなだけにあこぎな商売はしていないと信じたいが、顔が身にまとうローブに隠されていることで生まれる怪しさによって否応なく当夜の警戒度は高められる。
「ん? 僕?」
当夜が関心なさそうな態をとって返事をする。
「そう、そう。彼女さんにプレゼントでもどうですか?」
柔和な雰囲気漂う声は当夜の警戒心を一段階引き下げたが、その声はどこか聞き覚えがある気がした。
「か、彼女?」
当夜がその声の主を思い出そうとしていたところにアリスネルの甲高い声が割り込んでくる。見ればアリスネルはその碧玉の輝きを最大限にさらしながら驚きを表現している。だがそれは単なる驚きでは無い。その頬は朱に染まっている。
「あらあら? 恋人同士なのでしょう?」
再びの確認をとる売り子のシスターは上目遣いに当夜を窺い立てる。その位置ならば顔の一部でも拝めるはずだろと突っ込むほどに彼女の表情はベールによって隠されている。しかしながら、その隠れた目線には多分に挑発の色が含まれている。
「兄妹には見えませんか?」
当夜は彼女の挑発に挑発を重ねる。
「むぅ。」
当夜の挑発に乗ったのはシスターでは無く、隣で舞い上がっていたアリスネルであった。不機嫌そうな表情を浮かべてアリスネルが肩を震わせている。いつ爆発してもおかしくない状況だ。
「えぇ、えぇ。立派な夫婦に見えますわ。」
そんな当夜の挑発もアリスネルには十分すぎる効果を示したものの、目の前のシスターにはまるで効果無く、むしろその上を行く挑発を重ねてくる。明らかに場数の踏み具合が違う。いうなれば相手は合コンでも百戦錬磨の強者だ。
「ふ、夫婦!?」
そんな当夜に向けられた煽りにもアリスネルが反応する。本当に甲斐甲斐しく拾い上げてくれる娘である。だが、ここまでのやり取りで鮮明でどこか懐かしい既視感を覚える。
「いえいえ、違いますから。それより何か用ですか? お仕事はしなくていいのですか?」
頬を支えながら首を激しく振り乱すアリスネルに小さなため息をついてシスターに話を先に進めるようにジト目を送る当夜。そんな当夜の意図に明らかに気づいているはずのシスターは胸元を漁り始める。僅かに覗く肌着に当夜が思わず目線を反らすとシスターは愉快そうに声を張り上げる。
「ええ。そうでした。そんな恋人以上夫婦未満なお二人に先駆者から贈り物があるんですよ。ほらっ。」
シスターがベージュの布の上に金色の糸を幾重にも織り込んだ鎖とその先端に輝く濃い緑と青がマーブル模様を描く三日月のトップストーンからなるネックレスを広げる。そして、もう一つ同じようなネックレスを重ねる。
「わぁ。綺麗っ。」
「マラカイトのペアネックレス?」
当夜の目にはそのトップストーンが上質なマラカイトでできていると判断できた。
「はい。さすがトってもお目が高い。石言葉は『恋の成就』ですよ。お二人にお似合いでしょう? お安くしておきますよ。」
ここまでなめらかに口を動かしてきたシスターが言葉に突っかかる様子はひどく印象深く映った。そこを問い詰めたい当夜であったが、横でネックレスと当夜に交互に熱視線を飛ばすアリスネルをこれ以上蔑ろにするわけにもいかないかと思考を切り替える。
「ハイハイ。わかってますよ。買いますよ。ついでにそのフードも取ってもらえますかね?」
ただでは転ぶまいとシスターにその正体を明かすように暗に迫る。
「あらあら。シスターのフードを取りたいだなんて求婚の意思あり!? 大胆なんだから~。」
当夜の意世界の常識に疎いことを的確につくカウンターが反される。もちろんそのような事実は無く、このシスターがシスターにあるまじき虚言者であることを明瞭に語っているのだが、常識知らずな当夜と感情の急降下急上昇を繰り返すアリスネルには指摘する力は存在していない。
「ト、ト~ヤっ?」
アリスネルが送る侮蔑とも怒りともとれる視線に当夜がその身を震わす。
「でも駄目よ。私は既婚者。シスターは一人の男性しか愛せないの。ごめんなさいね。」
「そ、そうじゃなくてっ。はぁ、もういいよ。それでいくらなのさ、そのネックレス。」
一向に勝ち目を見いだせないそのシスターに当夜は深いため息をつく。早急に事態を収めて戦略的撤退に移るべきであると頭に警鐘が鳴る。同時に当夜にはこの人物が二人を良く知る人物である可能性を強く意識させた。
「可愛い二人を傷つけちゃったおばさんを許してほしいからタダであげるわ。」
「え? いいの?」
「もちろんよ。特に貴女には持っていてほしいの。石言葉とともにね。」
「あ、ありがとうございます!」
アリスネルの首元にシスターは愛おしそうにネックレスをかける。本来ならば当夜にその役を譲るのが商売上も保護者としても正解であろうが、彼女もまたどうやら感情が昂ってしまったのだろうか。
「どうも。」
当夜にも同じように時間をかけて着付ける。併せて服装を整えるその姿は母親のようだ。思わずライラさんと繋げそうになるも敢えてその姿を隠そうとしているこの世界の母親に気を使ってその名を隠す。もちろん違っている可能性も大いに高いというのもある。
(石言葉か。『恋の成就』。確かマラカイトの石言葉は『繁栄』『再会』もあったような。あとは身代わりの護り石の効果があるくらいか。それにしても、)
自身が予定していた行動と違うことをしてしまったということに気づいたのかシスターはやや慌て気味に店じまいを始める。
「あら、あら。もうこんな時間。私も忙しいのですよね。主人から仰せつかった大事なお仕事が待っていますので。それではこれで。」
「あ、あのっ。本当にありがとうございます。シスターさんっ。」
シスターは荷物をアイテムボックスにしまうと、アリスネルのお礼の言葉に片腕を上げて応えながら道を曲がりその姿を消した。当夜はその魔法に目を見開いた。彼女には聞くべきことがたくさんできた。家に戻ったら問いたださないとならないなと当夜は漠然とした不安に駆られていた。
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「渡せたのか?」
港では司祭服に身を包んだ大男が先ほどのシスターに短く問う。
「ええ。もちろん。主人の依頼はちゃんと守るのが従者の役目でしょ。それに主人にお仕事サボっているって見られてしまうのもまずいしね。帰りましょう。私たちの仕事は終わったのだから。」
「そうだな。あとは主がすべてを成してくださるだろう。」
二人は血のつながらない子供たちのいる方角を振り返ると一歩前に踏み出す。その姿が一瞬歪むと姿が消える。その後を追うように神殿関係者が姿を現すと掲示板に一つの張り紙を貼り付ける。そこには数名の顔と罪状、懸賞金が記されていた。そして、その中にはライラとワゾルの姿があった。




