迷いを振り切って
「トーヤはもういないんだ。いつまでもそうしていても帰ってくるものではないぞ。」
ライナーが当夜の遺品を埋めた墓の前で座り込むアリスネルに諭すように声をかける。
「トーヤは、トーヤは生きているわ。帰ってくるもの。」
すでにアリスネルは当夜の墓の前で2週間ほどそのままだ。美しかった絹糸のような髪は潮風に当てられてボサボサとなり、目の下には深く暗いクマが居ついている。唯一光り輝く碧眼も虚空を見つめて動くこと無く生気がない。どうにか仲間たちが世話を焼くが本人にその気がないため痛々しさが哀愁と共に際立っている。
「船の修理が終わったんだ。そろそろ、この島を離れるぞ。本国から騎士団も来ているが、魔法に長けたアリスの力が必要だ。頼む、俺たちと来てくれ。」
ライナーの必死の頼みにもほとんど反応なく、虚空を見つめ続けるアリスネルにライナーがため息をつく。たしかに彼女の魔法は魅力的であるが、ここまで落ち込んでいては足手まといになるのは明白だ。船の出航の準備が整ってから3日、彼は仲間として最後の確認に来たのだ。
(フィルネールが心配していた通りになったな。まるで抜け殻だ。とはいえ、俺にも使命がある。ここは心を鬼にしてでも先に進まねばならん。犠牲になったトーヤのためにも。そのトーヤが守ったアリスがこの状態なのは割り切れない話だ。)
「なぁ、アリス。お前はここでトーヤを待つんだな。だとしたら、俺たちは先に進むが、トーヤとともに追いついて来いよ。」
ライナーがアリスネルに背を向けて涙を掬い、別れの言葉をかける。
「トーヤは帰ってくるわ。帰ってくるもの。」
アリスネルは壊れた再生機のように言葉を繰り返す。
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「君ねぇ、正直、良く生きていたなっていうくらいに大怪我負っていたんだよ。それにしても不可思議な怪我だった。いったい何があったんだい?」
狐顔の主治医がカルテを手にしたボールペンで突きながらそもそもの原因を問う。すでに、血縁者たちやその友人からいろいろと問い詰められていた中から解放されたはいいが、今度はより本格的な取り調べが始まってしまった。何せ、当夜の後ろではスーツ姿の男2人がメモ帳を開いて当夜の一言一言を記録に残そうとしているのだ。
「いいかい、君の体は見てのとおり、異様な怪我だったといえる。まずは背中だ。縁辺部は再生が始まっているにも関わらず、中央部の切断面はあまりに新鮮だ。それとこれはさらに異常だ。」
主治医が当夜の背中を写した映像を見せる。そこには血に染まった筋肉が剥き出しとなる中央部を囲うように再生した皮膚が盛り上がっていた。さらにと、彼はレントゲン写真をタブレット端末に映し出す。
そこには、折れた肋骨5本が肺を貫いた姿が映っていた。
「あの、これの何が?」
「いいかい、これを見てごらん。肺の中に血液は溜まっていないし、肺の外に空気が漏れている痕跡もない。まさに肋骨が傷口の隙間なく埋めているんだ。さらに切り開いた際に驚かされた。骨と肺の細胞が癒合していたんだ。」
「それって、」
「正直、意味が解らない。こんな症例は初めてだ。だからこそ、君に何が起こったのか知りたい。その驚異的な回復力も気になる。」
狐顔の白髪交じりの男は、経過観察中の当夜の目を見張るような回復記録を当夜に指し示す。
「いえ、とは言われても特に心当たりがなくて...。怪我もですが...。気づいたらベットの上といった感じで。」
とりあえず、当夜は記憶を失った態を取ることにした。彼自身としても【悪意の柴甲】との戦いの最中、どのような怪我をどのように負ったかまでは推測でしかない。という理由を付けて。
そんなやり取りが1時間を超えた頃、話の旗色の悪くなるにつれて当夜の体調も悪くなっていく。見かねた医師がドクターストップを出したことでその場はお開きとなった。
夜のベットの上で当夜は真っ赤に染まった渡界石を取り出す。母親の話では運び込まれて以来ずっと握りしめていたようだ。真っ黒なその石は誰の目に見ても大したものでは無かったらしく、拾った看護師も特に気に留めずに母親を通して当夜に返却された。当夜はしばらくその赤い輝きに魅入られながら向こうの世界を思い起こす。
(たぶん、僕は戦死扱いかな。もう、痛いのも苦しいのもごめんだ。死にかけるほど十分戦ったよ。テリスをまだ救えていないし、エキルシェールを救えてもいないけど、これが僕の限界だよ。海波光も言っていたじゃないか。僕は英雄じゃなくて、つなぎ役だって。僕より英雄に任せた方が良いんじゃないか。
―――あいつに。)
当夜が出会った英雄の器、それは身直にいた。その姿を見た瞬間に自身では敵わない器の持ち主だと気づかされてしまった。それは、だらしの無い当夜を見限った渡界石が見せた幻想か。その主は、夕日であった。
死ぬほどの大怪我によって、当夜は精神的にも肉体的にも弱り果てていた。結果、どのようなことがらも彼をエキルシェールから遠ざけるための口実となって映った。そして、この結末は前任者である海波光にとって予期された事態である。もちろん、彼の誤算は当夜はもっと早くに次の英雄にこの権利を引き渡し、彼の世界から立ち去ると考えていた点だ。そして、その誤算は大きく彼の計画を狂わせていく。
当夜の脳裏を占める大多数の引退派と身内とは言え他人をあの危険な世界に送るべきでないという反対派の攻防が繰り広げられる中、当夜は懐かしむように向こうでの出来事を思い出していく。思い出すことも苦しく涙を止められない記憶や苦しい戦いの記憶が先行する中、当夜の記憶に色鮮やかな輝きを放つ人々とのつながりが呼び起されていく。そして、ライラ、ワゾル、レム、ライナー、フィルネール、そしてアリスネルと、仲間たちの笑顔が浮かんでくると、どこからともなく応援されているような高揚感に包まれて涙が流れ落ちる。
(悲しいのか? 僕はみんなと会えなくなるのが悲しいのか。いや、彼らとの思い出が楽しかったんだ。
だから、それだから、僕はみんなに会いたいんだ。)
当夜は渡界石を地に落とす。渡界石はその行動を待っていたかのように眩い光を放って当夜を異世界に連れていく。




