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世界を渡る石  作者: 非常口
第5章 渡界5週目
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予期せぬ帰還

 大きく右側を損壊し、浸水の進んだ船を応急処置して島に急ぎ戻ろうと船長の檄が飛ぶ。

 傾く甲板にフィルネールが風の魔法によって舞い戻る。


「トーヤの様子は!?」


「治療薬が効かないっ!」


 アリスネルが当夜の背中から落ちる服を真緑に染めるほどに大量の治療薬を塗りたくっていた。彼女の足元には20本を超す空き瓶が転がっている。大量に塗りたくられた当夜の背中は一向に回復する様子が認められない。


「これは...。【マナの雫】を飲ませてみてくださいっ。」


「ラ、ライナー、持って無いの!?」


「お、俺が持っているわけないだろ。マインドダウンしたならアイテムボックスが解除されたはずだろう。落とした中に入ってなかったのか?」


「それがやなぁ、トーヤのアイテムボックスが解けないんや。たぶん、その時は死ん、」


「それ以上言わないで!」


「ご、ごめんなさい...。」


「アリス、これを。」


 フィルネールが飲みかけの【マナの雫】を差し出す。アリスネルがひったくるような勢いでフィルネールの手から受け取ると栓を抜き当夜の口に押し込む。だが、口から引き抜くと赤黒く濁った液体とともに床に零れ落ちる。当夜の首が力なく折れているが故の結果である。アリスネルは思い出したかのように自身の服の中をさぐる。出てきたのはやはり飲みかけの【マナの雫】である。アリスネルはそれを一気に口に含むと当夜の首を抱き上げて口をふさぐ。当夜の体液とアリスネルの運ぶ【マナの雫】が混じり合って喉を抜けていく。


「トーヤ、戻ってきて。」


 それでも背中の傷口は一向に塞がる様子はない。それどころか傷口から勢いよくマナが離散していくのがわかる。


「フィルっ。マナが抜けてる!」


「くっ。ですが、肉体の崩壊は起こっていません。急いで島に戻って本格的な治療と毒抜きの対策を考えましょう。」

(だけどおかしいですね。トーヤは確かにマインドダウンを起こしていました。だとしたら身体を繋ぎ止めているマナが毒に乖離させられて肉体が崩壊するはずなのに。いえ、今は急ぎ戻って傷の手当てをしなければどのみち大量失血で死んでしまう。)


 フィルネールが残されたわずかなマナを使い、沈みかけている船体を風の魔法で持ち上げる。尋常ならざる彼女のマナ回復力を以てしても港まで半分ほどのところでマインドダウンの兆候が見え始める。アリスネルが彼女の意思を引き継ぐ形で船を港まで曳航する。どうにか帰港するとアリスネルはライナーに当夜を教会まで運ばせる。


「シスター様、急いでトーヤを診てください!」


「わ、わかりました!

 っ、ですが、これほどまで治療薬が塗られているのに治らないなんて...。これでは先の騎士団の方々と同じ、」


「同じじゃない! だから早く治してあげて、治してください。」


「ですが、これではもはや...。」


 すでに当夜から呼吸音が途絶えて久しい。血の気は引いて全身が真っ白に染まっている。


「い、嫌だよ。トーヤ、私を置いていかないでよぉ。」


 アリスネルが当夜に寄り添うと涙を流してその手を擦り始める。その時だった。アリスネルの目前に紅い石が突然浮かび上がる。次の瞬間、石が一気に黒化すると当夜が光りに包まれる。取り囲む者たちが唖然とする中、当夜の体がエキルシェールから消えた。


「ト、トーヤアアアアァァァァ!!!」


 アリスネルの悲鳴にも似た叫びが教会に響き渡る。ライナーがトーヤがいた場所から目線を反らして拳をきつく握る。レムはそんなライナーの鎧に体を寄せて泣きじゃくる。レーテルは顔を青に染めて事の顛末を風に乗せると本国に送り出す。フィルネールだけが何かを考えこむように当夜の居た空間をみつめる。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「やぁ、気分はどうだい?」


「ここは...。どうやら僕は死んだ、みたいだね。死後の世界なんて無いと思っていたんだけどなぁ。」


 当夜はセピア色の空間に俯せに横たわる。そんな彼に声をかけた人物はなじみの少年である。しかし、彼の思い描いたような答えでないことは次の言葉からもわかるとおりだ。


「へぇ、死んだという割にずいぶん落ち着いているじゃないかい。つまらないね。」


「まぁ、毒が無くとも明らかに致命傷だったからね。それに、もう一生分戦ったよ。」


 背中に負った傷だけでは無い、衝撃によっていくつも折れたであろう肋骨、それらが肺を貫いた感覚、息ができなくなっていくその流れはまさに死を覚悟せざるを得ない状況だった。最後の気力と共に吐き出した空気が禁術を発動した時点で呼吸は出来なくなった。それでも最後に見た光景は手負いの相手が船から、仲間たちから離れていく様であった。それだけで十分だった。


「君はまったく不思議な人だ。だけど面白い。安心してよ。今のところ君は生きているからさ。それと渡界石のマナをすべて注ぎ込んで出来る範囲の傷口は塞いだけど、代償としてこっちの世界からは一旦戻ってもらうことになったわけさ。僕の力で病院に飛ばすから少し体力を戻しておいで。

 っと、もう時間か。相方に感謝しなよ。かなり無理したみたいだから。」


「ちょ、ちょっと待っ、」


 当夜にそれ以上を尋ねさせることを許さない【空間の精霊】が指を鳴らす。当夜の視界が急速に狭まっていく。


「行きましたか?」


「ああ。戻ったよ。

 君もその姿に戻ったんだからそろそろ顔を見せてあげればいいのに。どのみちその時はもう近いのだろう?」


「いいのです。その時で十分です。」


「似たもの同士め。」


「それに、すでに想いは十分伝えましたので。」


「やれやれ。お熱いことで。」


 少年が肩をすくめる傍らで声の主ともう一つの影が互いを寄り添わせていた。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 一瞬の浮遊感の後、ひんやりとした壁に体を預けていることに気づく。覚めていく感覚につられて全身を支配する痛みが脳に集中する。中途半端な治癒によってまさかの意識が戻るなんてとんだ拷問である。だが、悪いことばかりでは無い。全身のマナが離散すると同時に、毒もまたこちらの世界ではその存在を維持できないようで当夜の体から抜け出していく。

 しばらく痛みに耐えていると足音が近づいてくる。薄らと視界に浮かんだその女性は看護師の姿そのものだ。


「キャーーー! だ、大丈夫ですか!? 先生、急患ですっ。」


 当夜は診療台が動くたびに遠のく意識を引き戻されて集中治療室に運び込まれていく。触診に始まりレントゲン、ようやくの麻酔によって意識を失う。

 次に目覚めたのは治療から3日後のざわつく数人の足音の響く個室のベットの上だった。


「しかし、どうしたらこんなひどい怪我を負うことになったんですかね。」


「知らん。それよりどうだ。周辺で事故や事件の痕跡は見られたのか?」


「いえ、それがあれだけの出血や大怪我をしていながら病院の前には、と言うより彼の発見現場以外に血の跡も無いんです。まるで、そこに突然現れたように。それと、至って問題のない青年のようですね。とくにトラブルも抱えていないようでした。」


「そうか。

 で、ご家族は?」


「先ほどまで母親がお見えでした。今は席を外してもらっています。」


 当夜が薄らと目を開けると、そこにはスーツ服姿の男が二人、丸椅子に座って話し込んでいる。会話の内容から刑事と思われるが、この事態の説明がうまくできる自信が無い。


(こいつはまずいな。そりゃ~、警察ごとになるよね。はてさて、どうやって説明したものか。)


 当夜が心の中で冷や汗にまみれながら尋問を本業とする彼らを誤魔化せる知恵をひねりだそうとしているところに静寂を破って勢いよくドアが開かれる。同時に快活な少女の声が飛び込んでくる。


「オッ、ジッ、サン!」


「こら、夕日。病室よ。それに当夜君もまだ意識を戻してないそうよ。」


「そうだよ。当夜さん。大丈夫かな。」


(俺はまだおじさんじゃないし、お前と大差ないぞ。それと従兄だ。ってこのやり取りも何だか懐かしいな。あとは、おばさんと陽織ちゃんも来てくれたのか。)


 夕日は当夜の従妹で、明るくおっちょこちょいな一面を持つ童顔の大学生だ。だが、当夜の知る彼女は結構計算高い。そして、そんな夕日が気を張らずに素を見せられるほど心を許した友人が後から声を上げた陽織である。彼女はいわゆる不思議ちゃんだが心の優しい女の子だ。見た目がクールビューティな上に性格がさっぱりしているので年上にみられがちだが、結構乙女チックな思想の持ち主だ。あぁ、後、無類のファンタジー好きでもある。当夜よりも向こうの世界に向いていると当夜自身は思うところだ。


「二人が来てくれて当夜もずいぶん喜んでいると思うわ。さぁ、入って頂戴。」


 母親が当夜の寝室に来訪者を招き入れる。刑事たちは互いに顔を合わせると何かを一考する。


「ご家族が戻られました。どうします?」


「今日は一旦上がるぞ。

 ああ、当夜さんのお母さんですね。初めまして、警視庁の苧環です。もし、当夜さんの意識が戻られましたらご連絡ください。ちょっと聞きたいことがありますので。では、失礼します。

 いくぞ、布留見。」


「あ、はい。失礼します。」


 刑事二人が席を立ち、賑やかな女性陣に一礼して去っていく。


「お客さん居たんだ。」


「だから静かにしなさいって言ったじゃない。」


 夕日が叱られて舌を出して可愛らしく反省の様相を見せている。だが、当夜から見ればその本音は怪しい。と、当夜が怪しんでいるそばから夕日が駆け寄ってくる。当夜が心の中で盛大に冷や汗を流す。これまでの経験から駆け寄るという行為がどのような事態につながるか、おおよそ予想されてしまう。


「あ゛っ。」


 夕日のつま先が何もない平坦な床で躓く。前のめりに当夜の弱り切った体に向かって飛び込んでくる。僅かに開いた当夜の目に口角を上げた夕日の笑みが映る。


(こいつ、確信犯だっ。動けないことを良いことにっ。)


 夕日が当夜にぶつかる寸前で宙に浮く。


「うわっ、重っ。夕日、あんた、太ったんじゃない?」


「違いますぅ。胸が重くなったんですぅ。私も陽織みたいなスレンダーボディが良かったなぁ。」


「夕日、ケンカ売ってるでしょ。そんなことより、当夜さん、結構ひどい怪我なんだから気を付けなさいよ。」


 陽織が夕日を一喝する。普段の夕日は良い子ぶっているので他人を貶したり、不貞腐れた表情を浮かべたりしないのだが、気の置けない間柄の人間を前にするとこうして本性を見せるのだ。だが、まぁ、夕日が刑事たちを追い払ったのも確かである。また今度ルースでも買ってあげようと思い直す当夜であった。

 とりあえず様子見に徹しようと心を決めた当夜は耳に意識を集中させる。賑やかなメンバーは当夜をネタにして話に華を咲かせている。そんな中で不穏な動きが一つ。当夜の足の裏に衝撃が走る。


「ちょ、止め、...、あっ。」


「当夜、あんた、目が覚めたの?」


「いや、まぁ、足の裏に電気が走ったみたいで...。」


 夕日を除く全員が目を大きく見開いて口を半開きにする中、夕日だけが満足げに笑うのであった。

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