フライムの証言
翌朝、事態は急変する。
6名の生存者のうち3名が死亡していると相次いで確認されたからである。これには船長の喝によって出航に傾きかけた乗組員たちの意気も大きく消沈することとなった。
「それは本当ですか!?」
「はい、私たちがついていながら...。」
フィルネールが真っ先に飛び込んだ教会では、すでに3人の最後を見取ったシスターたちが青ざめた表情を浮かべていた。彼女たちは確かに助かったはずの者たちを失ってしまったのだから。
「遺体はどうしました?」
混乱に陥るシスターたちに当夜が冷静な声を放つ。
「トーヤ?」
「その、私たちが発見した時には、」
「貴女は黙っていなさい! 一応、安置室に。ですが、異様な速さで腐敗が進みまして。」
言い訳を重ねようとする新人と言わんばかりの少女に、大人びたシスターが手で制しながら現状を的確に説明する。彼女こそ、この教会の責任者である司教であって、当夜から治療薬を受け取った本人である。彼女からすれば、当夜が貴重な治療薬を投げ打ってまで救った命を自分たちの管理下に置きながらこのような形で失ってしまったことに対して恥じ入るとともに、当夜に誠意を見せないことは聖職者として許されない行為であるという考えに至ったのだった。
「見せてください。」
「み、見るのですか!? その、人が見るような状態ではありませんよ。」
本来にならば遺体を親族や友人以外に公開することは忌避されている。それでも司教は当夜が望むならば見せざるを得ないと考える。しかし、それは当夜の精神に大きな負荷を与えることになるのではと危惧しているのだ。
「それでも...、僕は見なければならない。生き残るために。」
「はぁ、一応、お止めしましたからね。吐いても知りませんよ。イミア、ご案内差し上げて。」
司教は当夜の眼力に圧されて許可を出す。イミアと呼ばれた先ほどの少女が前に進み出る。
「はい。では、安置室までお願いします。」
「こちらです。」
幼さ残るシスターは当夜達を案内するとそそくさと階段を駆け上がっていく。
ここは地下室である安置室と階段を繋ぐ踊場。厳重に閉じられた石の扉を全身の力を込めて開こうとする。後ろでその姿に小さく笑うフィルネールの姿があった。
「こんなところで笑うのは不謹慎だよ。」
「ごめんなさい。ですが、この扉はマナを通わせることで自動的に開くのですよ。」
「...。そう言うのは早く言ってほしかったなぁ。」
「いえ、つい。初々しい感じがいつまでも見守っていたくなるような衝動を生みまして。」
「はぁ。」
当夜がマナを扉の把手に向かって流すと石と石を引きずり合わせるような音と共に深い闇が広がる空間が姿を現す。扉が開き終わると同時に壁伝いに光球が光りを発し、小学校のプールほどの空間が開ける。
百を超える黒い石の台の上に強烈な異臭を放ち、目を背けたくなるほどに傷んだ人の体だったものがそこには横たわっていた。添えられた青いセレアラの花が無ければまさに人としての尊厳すら失っていたであろう。
「う゛っ。これはきついな。」
「これでは確かに人には勧められないですね。」
当夜とフィルネールは互いに顔をしかめて最も入り口に近い遺体に近づく。
「遺体を見せることを勧めること自体よろしくないだろうからね。
さて、始めようか。なんだかんだ言って着いてきているってことはフィルも確認したいことがあるんだろ?」
「はい。私見では上級治療薬が的確に効いていたように見受けられただけにこのような結末を迎えたことが解せなかったので。それに活路が絶たれたのですから当然でしょう。」
「そうだね。それにしても見てみなよ。とても一夜でこうなったとは思えないよ。まるで数日放置されたかのようだ。
ん? おわぁっ。」
当夜が一人の腕を持ちあげた瞬間、ひじのあたりから簡単に捥げて黒く濁った血液を粘性高い音を立ててまき散らす。
「トーヤ! 無暗に触らないでください。トーヤにまでうつったらどうするのです?」
「そうだね、気を付ける。それにしてもスカスカな組織だな。」
「ええ。
やはり。トーヤ、気になりませんか。ここに安置されている遺体のいずれにもマナが一切残っていないのです。」
「ちなみにマナが全身から抜けるとどうなる?」
「まさにこの状況です。残された免疫系がすべて機能しなくなりますので腐敗は進みやすくなり、マナと結合していた体の一部はマナに引きずられて空気に霧散します。エルフや魔人などはマナとの結びつきが強いため欠片も残らない、あっ。」
フィルネールもまた当夜と同じ解に至る。
「そう、消えた30名のほとんどはエルフだったんじゃないかな。
それともう一つ。この人たちは怪我の位置が切り取れなかったところにあったんだ。背中、脇腹、頭部。そして、生き残った者は無傷、腕、足の裏。後者の二人は毒の可能性を考えて切断してから治療薬を使って回復させたんだ。」
「つまり、毒は傷口から侵入後、しばらくその付近に留まっていたと?」
「これも仮説なんだけど、この毒はマナと肉体を乖離させる効果がある。そして、傷口周辺に留まっていたことを考えるとどうにか抑え込むこともできる。問題はどうやってかだけど、たぶんマナを傷口に集めて乖離させ続けるんだ。そう、死んだ者たちはマインドダウンになって抑えることができなくなってしまったんだと思う。あのときに【マナの雫】を飲ませていれば...。」
当夜の後悔も理論上のことであって、仮に【マナの雫】に気づいて使っていたとしても根本的な治療薬が無ければわずかな延命手段のほかに変わりない。
「可能性は高そうですけど仮説の域を出ませんね。
さぁ、ここを出ましょう。こちらまでこの毒に当てられては堪りません。」
「そうだね。それに会いたい人がいるしね。」
「どなたに会われるのですか?」
「生き残った人たちだよ。」
当夜とフィルネールは部屋を後にすると、教会の隣の長老の家の離れに向かう。
「おはようございます。あ、貴方は!」
とある一室に入るとシスターに介護される少年が当夜達に頭を深く下げながら挨拶する。
「あ、そんな無理しないで。」
「いえ、命を助けていただいて本当にありがとうございます。それなのにお礼のあいさつにもうかがえず申し訳ありませんでした。僕はフライムと言います。」
白銀のサラサラした髪を前に集めながら少年はさらに深く頭を下げる。
「どうも。僕はトーヤ。こちらはフィルネール。そんなに気にしないでよ。それより体調は大丈夫なのかい?」
最初に出会った時は血の気の無い死人のような顔だったが、今は血の気も多少は良くなったのか優しげな雰囲気の似合う好少年となっていた。
「はい、おかげさまで。それより、お話があります。あの魔物ですが、近くこの島を襲うと思います。早く全員でここを離れないと。」
せっかくの柔らかな表情が曇り、赤い瞳が細かく揺れ動いて明らかな動揺に苛んでいるのがわかる。
「どういうことですか?」
「私たちは魔物の多発域で掃討戦を無事に終えて帰港するためにソルフ島に向かっていたのですが、この島に向かう巨大な影を見つけて威嚇攻撃を行ったのです。その結果、その影は浮上してその姿を現したわけですが、それはまさに巨大な盾を背負った蟹のような蠍でした。僕たち非戦闘員は船内に隠れたのですが、そこに巨大な爪が突き刺さって。僕は小さく屈んでいたのとシスターさんが身を挺して庇ってくれていたおかげで傷一つなくって。でも、紫の霧が船を包むと目の前で笑っていたシスターさんが崩れていくんです。僕が守ってあげるべきだったのに...。」
騎士団を壊滅に追いやった戦いの話が進んだが、ソルフ島への侵攻とつながらない。どうやら順を追って話すことでそこにたどり着くために自身に降りかかった災厄の回顧録を整理しているようだ。だが、それは彼にとって非常に苦しい作業なのだろう、途中で言葉に詰まってしまう。当夜もまた、彼に重ねるところがあったのか静かに耳を傾けて先を促そうとしない。
「貴方が気に病まなくてもいいの。その娘は最後に笑顔だったのでしょう? 貴方を守れたことを誇りに思って逝ったのですよ。その娘の分も貴方は生きて彼女の行為を無駄にしては駄目よ。」
涙を流す小人族の少年の頭をシスターが撫でるたびにその服を見て思い出すのかビクッと体を震わせる姿はひどく痛々しい。おそらくその戦闘時もこんなか弱い姿にシスターは母性本能を刺激されて庇っていたのだろう。しばらく、口が震えるせいか話すことを止めていたフライムが再び言葉を絞り出す。
「...爪が引き抜かれた時でした。船内にあいた切れ間から目で追えるほどのマナがその魔物に向かっていくのが見えました。たぶん食べたんだって直感しました。
それから第3海上騎士団の船が風の槍を纏って突撃してオールみたいな脚を2本折ったんです。あいつは物凄い甲高い鳴き声を立てて沈みました。みんな、仕留めたと思ったんだと思うんです。でも、僕はあの紅い目が怒りに染まっていくのを見たんだ。だから、注意しようと甲板に向かったんです。
そしたら他の乗組員の方に戻るように促されて。押し問答しているうちに第3海上騎士団の船が水柱に包まれて、後は紫の霧に包まれて海中に消えていったんです。
その後はギルドの船が狙われました。僕はもう怖くて船内に潜って目を瞑り耳をふさいで膝を抱え込むことしかできませんでした。だけど、そんな僕に声が届くんです。“助けてくれ”“死にたくない”って。それでも僕はどうすることもできなくって。ギルドの船が2艘粉砕されて、うまく立ち回っていた1艘が沖合に逃げる形でその魔物を引き連れていきました。その機会に僕ら生き残り組はこの島に逃げ込めたんです。」
自身の体を覆う布を強く握りしめてその小さな握り拳をにらみつける。おそらくそこには自身の非力さを悔やむ気持ちが込められているのだろう。
「そうか。それであの無茶な入港になったわけだね。でも、それとここが狙われるというつながりは何だい?」
「それは、あいつとの接触前に遡ります。僕らが魔物の海域に到着した時にはほとんどの魔物が死んでいるか衰弱していました。まるで何かにおびえるように種族を問わずに密集していました。弱り切った魔物を討伐したわけですが、エルフの誰かが言っていました。“まるでマナを吸い取られたみたいだ”って。それに島の周りは生き物っ気がほとんどなくなっています。つまりは次なる獲物がこの島の住民なんだと思うんです。」
「そうつながるわけか。あり得ない話じゃなさそうだね。どう思う、フィル?」
「その方のおっしゃる通りかと。であれば早急にオルピスに退避、...。どうやらそんな余裕はなさそうですね。」
「っ。そのようだね。」
二人が対策を考え始めた時だった。この島を狙う伝説の魔物がソルフ島の沖合に姿を見せたのである。




