穏やかな帰還
「お~い、ト~ヤ~! 早よこっちおいで~な。」
「あ、はいよ~。」
当夜はふらつく足取りで水際で戯れる集団に近寄るが急な眩暈に襲われる。
「―――そうか、今日があの日か。」
当夜の前に真っ黒に染まった渡界石が現れる。
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歪んだ視界が晴れるとそこは見慣れているはずにもかかわらず、ずいぶんと新鮮に感じるほど時が流れたような錯覚を覚える自身の部屋の姿だった。
「帰ったんだ...。」
(今回は特に急いで戻る必要は無いよな。)
前回戻った時は夕日が刺しこんでいたが、今や真っ暗になっている。
(今は20時8分か。3時間後だと23時過ぎかだいぶ遅いな。でも、そう言えば明日は日曜日だ。久々の連休だったんだよな。ミネラルショーのために有給までとって。だとしたら、ちょっと遅くまで頑張るか。
そういえば馬車は結構きついしなぁ。移動のための車を持っていくのもありか。それならガソリンを大量に買う必要があるな。それにあの道じゃタイヤがすぐにダメになるだろうからスペアは必要だな。あ、それと宝石類かな。持ってったやつ、ほとんど無くなっちゃったからなぁ。でも、そんなに残りもないし、あ~あ、もっと買い込んどくんだったなぁ。
てか、車ってこんな小さな石に収まるのかな? とりあえず、試してみますか。)
当夜は玄関を出るとアパートの階段を下りていき、駐車場の愛車の前に立つ。ミニSUVが月の光を反射して蒼銀の煌めきを湛える。相方も当夜を乗せて走り出したいように見える。だが、今は渡界石に収納できるかどうかだ。渡界石を車にあてがう。巨大な鉄の塊が光の粒子となって親指の爪先ほどの石ころの中に収納される。
「マジですごいな、この石。ほんとどうなってんだ。」
再び車を現出させて乗り込むとポリタンクを乗せてガソリンスタンドに向かう。
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近くのガソリンスタンドに車を入れる。このスタンドは近年珍しくセルフでは無く、給油から車体の簡単な清掃点検まで接客を重視したスタイルで展開している。当夜はそんな昔ながらのおもてなしに好意を抱き贔屓にしている。本日の対応にあたってくれる店員は若い学生のアルバイトとみられる青年だ。清々しい挨拶と共に迎え入れてくれた青年に普段通り満タン補給を申し出る。程無く給油を始め、窓ふきに入った少年が煙草の吸殻の確認に来たところで問題の発注を行う。運転席を降りてバックドアを開いてポリタンクを見せる。
「あの、申し訳ありませんがガソリンは消防法によりポリタンクに入れることはできないのです。金属製の携行缶であれば大丈夫ですが。」
本当に申し訳なさそうにお断りを入れる青年は代案のヒントを口にする。
「そうなんですか。でしたら、ガソリン用の携行缶と合わせて売っていただけますか?」
「それでしたら。」
「20L入りのやつ10缶お願いします。ガソリン満タンで。」
青年が驚きの表情で当夜を見つめると、瞬きを2,3打って33Lと表示されたメーターを確認する。
「じゅ,10!? 申し訳ありません。消防法で危険物取扱者でなければ200Lまでしか販売できない決まりとなっております。お客様はすでに車載タンクに35Lほど入れられた後ですので160Lほどしかお売りできないと思われます。」
「そうですか。では、8缶お願いします。」
店員たち数名が手際よく携行缶にガソリンを封入していく。当夜は満タンとなったガソリン携行缶を後部の荷台空間に詰め込んでいく。すべてを載せ終えて安くない支払いを終えると運転席に戻る。
「ほ、本当にお気をつけてお持ち帰りください。」
車に所狭しと詰め込まれたガソリン携行缶を心配そうに見守る青年はおそらく向こうの世界では10才にも満たない少年として扱われるのだろうなと当夜が彼の心配などどこ吹く風と車を発進させる。僅かにガソリンスタンドを離れると駐車スペースに入り、ガソリンを渡界石に次々収納していく。
「これで良し、と。」
当夜はコンビニに立ち寄ると向こうの世界でも使えそうなものをいくつか買っていく。女性陣にお土産として香水や化粧水を買っていく。ついでにライナーには日本酒とビール、いくつかのおつまみである。迷惑をかけたメーネらにはその場で思いついた一品をいくつか購入する。あとは一品物のデザートをいくつかである。
その後、家に戻ると辺りを見渡して人がいないのを確認すると渡界石に車を収納する。さらに、貸し倉庫の中のスタットレスタイヤを回収する。後は家の中で持ち出し品を精査する。
(アルピネルさんの助言に従うなら持てる戦力は温存すべきではなさそうだ。引き出しのルースもすべて出した方が良いかも。
えーと、あるのは、サンストーン、ブルーコーネルピン、モルダバイト、レッドスピネル、ベキリー産カラーチェンジガーネットといったマニアックなものからダイヤモンド、ルビー、サファイア、パパラチアサファイア、エメラルド、トパーズ、アレキサンドライトか。だけど、消えられるのも困る一品が結構あるんだよね。でも、ま、命には代えられないか。)
当夜はルースケースボックスにそれらを詰め込むと覚悟を決めて手提げ袋に納める。そんなこんなで当夜の両手は大量のお土産を手にする田舎からの旅行者のような姿となっている。
「そう言えば向こうは熱い世界だったな。ちょっとしたサービス品も持っていくか。」
気づけば渡界石が真っ赤に染まっている。目的の物をビニール袋に詰め込むとようやく手慣れた儀式に入る。赤い煌めきが一筋の線を描いて落ちる。
キーーーーーン
フローリング材に当たったにも関わらず木琴が奏でるような高音が当夜の耳朶を打つ。外は暗いはずなのに当夜の目を強力な光と温かみが照らす。視覚に次いで聴覚が戻る。どうやら仲間たちが心配しているようだ。




