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世界を渡る石  作者: 非常口
第3章 渡界3週目
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聖女の伝言

 翌朝から当夜は実験場となった突堤の先端で釣り糸を垂らしていた。先の魔法の弊害か、始めてから2時間ほど経つが一度たりとも餌が取られることは無い。それは人にも当てはまるのか、例の魔法の暴発を遠目に見た人々による危機感を煽る憶測が広がり、人っ子一人として港に見当たらない。加えて、一人になりたい旨を表明した甲斐もあって仲間の姿もない。当夜はただ一人沖合を眺めながら物思いにふける。


(この星は地球とほぼ同サイズの惑星だと思う。そうでなければ今頃僕は地面に磔だ。だとしたら、疑似ブラックホールの制御は可能だ。何せこの星の質量をすべて使ったとしても本物のブラックホールの重力には及ばないだろうから、エネルギー源たるマナを拡散させてしまえば消失するだろう。あるいは、発動中もマナの拡散と供給量を均衡させれば規模を抑えたまま魔法として使えるだろう。)


 だが、それは当夜の求める答えでは無い。彼が見据えているのはその先である。


(だけど、必要なのは過去に戻る力だ。ブラックホールは過去に戻る手段の有力な候補の一つなんだ。問題は仮に過去に行けるゲートだったとしても、僕の肉体が耐えられないという事実だった(・・・)。でも、【時空の精霊】たちとの話に希望はあった。精霊化、自身の思考回路をマナによって再構築するという荒業。確か【武の精霊】とやらによるランキングで上位に近づくほど精霊に近い存在だとか。そうなるにはどうしたら良いのだろか。単に強くなればいいのだろうか。)


 当りのない仕掛けを引き上げる。例によって餌は取られていない。


「お魚、釣れたかしら? それとも別の何かを狙っているのかしら?」


 長考のせいかその声の主が近づいていたことをまるで気づけなかった当夜は思わず海に落ちそうになる。バランスを必死に取る当夜の手が温かく柔らかい感触に包まれる。


「気を付けて。海に落ちたら大変ですよ。でも、こういう日和なら泳ぐのもありかもしれませんね。でしたら、向こうの砂浜なんて最適ですよ。」


 当夜は己の手を握る細い手からその声の主の顔を追う。スリランカ産の宝石質のセレンディブ石を彷彿とさせる青緑色の髪が海風に誘われて当夜の目の前を舞う。


「あ、貴女は、」


「昨日は災難でしたね。皆さんから責められないことが不安なのですか?」


「確か、貴女は神殿の審査官様、ですよね?」


 その聞き覚えのある声と心の底を読むような発言には覚えがあった。


「アルピネルと呼んでいただけるとうれしいですね。それにしても私服は似合わないでしょうか?」


 礼装ではないその姿は一見すると、かの審査官であると申告が無ければわからないほどだ。私服姿はいかにも着慣れている様子であり、礼装を常に着込むはずのシスターたちとはどうも一線を画す存在に映る。


「そんなことは無いです。その、素敵だと思います。それと、昨日は助かりました。」


 大人の女性に上目づかいで問われるその内容は男としての度量を試されているようでドギマギしながら当夜は答える。


「ふふふ。ありがとう。まぁ、及第点ですね。それにしてもずいぶん気が滅入っていたようですが?」


「いえ、単に魔法の現場検証をしていただけですよ。二度と迷惑をかけないためにも。」


「そうですか。それもわずかにあるでしょうけど、真意は他にあるのでしょう? 例えばあの魔法の先とか。それともそれすらも本心を隠す覆いなのかしら。」


「貴女は一体?」


「言ったでしょ。貴方の顔に書いてあるって。

 あの魔法の先を私は見通すことはできませんので助言はできませんが、貴方の心配事の解決に一助となるように一言贈らせていただきましょう。あの場にいた誰もがあの魔法の真の恐ろしさも価値も見いだせていないということです。」


「それはどういうことですか? だって、あれだけの魔法ですよ。」


「逆ですよ。あれほどの高難度のイメージを要する魔法を理解できる者など居ないのです。つまり、あの場にいた誰もがあの魔法、【暴食】はあの威力が最大値と見誤っているのです。そして、貴方が最後に使った【時空の精霊】の加護魔法の残滓が決定的でした。魔法に多少聡いものであれば無詠唱に加えて【時空の精霊】という稀少な属性要素というキーワードが誤った誘導を起こさせたのです。すなわち、特異な人物にのみが得られる謎多き精霊の加護によって生み出された特殊な魔法であると半ば嫉妬、半ば羨望の対象にしか映らなかったということです。さらに、私が禁忌魔法とすることで無価値な魔法となってしまったのです。もはや憐れみすら生まれたのではないでしょうか。

 ただ、私にはあの魔法には先があるように思えてならないのです。それも世界を滅ぼすことができるほどに凶悪で暴力的な力が控えている、そんな気がしたのです。それゆえに禁忌魔法として封印させていただきました。

 まぁ、私はあの魔法を神殿に報告するつもりはありませんからご安心を。知られれば神殿は貴方を全力で抹殺しに来るでしょう。それは私の求める姿ではありませんから。だから、トーヤさんも人目につくところでは使わないでくださいね。私の立場もありますので。」


「えっと、どうしてそこまでしてくれるのですか?」


 当夜は真っ先に浮かんだ疑問を何も咀嚼すること無く問う。


「単に神殿が好きでは無いだけです。他意はありません。」


 アルピネルは何の感慨も無く当然のように自らの勤め先を否定する。


「それなのに神殿に勤めているんですね。」


「ええ。お給金が良いですから。」


 アルピネルの表情がほころぶ。だが、髪と同じ色ではあるがその透明な輝きはまさに宝石と評されるにふさわしい美しい瞳がその時ばかりはくすんで見えた。


「何だか雰囲気が丸つぶれですよ。」


「もっとお淑やかで清楚なイメージでしたか?」


「う゛っ。そんなことは、いや、そうなのかな。」


 またも心を読み取られたような感じがして言葉に詰まってしまう。


「ふふふ。さて、私は伝えるべきことを伝えましたからお暇させていただきます。」


 アルピネルは丁寧なお辞儀をすると若草色の唐草模様が爽やかな白のワンピースを翻して立ち去ろうとする。


「あのっ! 神殿の方でフレイアって名前の神官をご存知ですか?」


 当夜はなぜか唐突に浮かんだフレイアという存在について問う。それは彼女がフレイアと同様に神殿の関係者だったからか、それともその職に就きながら内部を非難する彼女になら打ち明けても大丈夫だと直感したからかどうかはわからないが、とにかく思い当たってしまったのだ。


「その名が出るとは。フレイア、その名で真っ先に思いつくのはアルテフィナ法国の次席神官ですね。彼女は世界の管理者の一人と自らを称しています。正直、あの手の輩は危ない思想を有していますので近寄りたくない存在ですね。

 彼女のことを指しているなら気を付けなさい。今のあなたではまず勝てないわ。もし戦うことになったなら、隠し持っている魔道具をすべてを投入なさい。一人で戦わず仲間にも頼りなさい。私から言えることはただそれだけです。」


 アルピネルは振り返ると苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべると早口に当夜に届くか届かぬかというギリギリの音量で答える。そして、無表情に顔を進行方向に戻すとファッションモデル顔負けの優雅な動きで突堤を去っていく。


「やっぱり戦うことになるような相手か。あの人もなんだかんだで顔に答えが出やすい人なのかもね。」


 当夜は再び一人になると仕掛けを戻してつぶやいた。

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