目覚め
「うう。」
(ふう。どうやら拘束はされていないみたいだ。あれだけの被害を出したのに...。)
当夜の全身の感覚を確認しながらゆっくりと腰を起こす。以前のような痛みこそないものの妙な眩暈が幾度となく襲ってくる。まるで船酔いにあっているようだ。船にでも乗せられているのかと周囲を見渡すと、竹のような植物を裂いて作った壁に囲まれていたその部屋は見覚えのある場所だった。どうやら宿屋に運ばれたようだ。
「よう。大丈夫か? まだ、マインドダウンして間もないからもう少し寝てた方がいいぞ。」
目覚めて最初に目と耳が覚知した相手が漢だったことは残念極まりないかぎりだ。などと面倒を診てくれた相手に失礼な思考を働かせている間に、ライナーが【マナの雫】を当夜に差し出す。
「いや。もう十分だよ。」
当夜は反省の意味を込めて受け取りを拒否する。もちろん監視されているとしたらマナの補充は先の魔法を放つ危険因子として排除する口実を与えかねないという心配もあったからでもある。
「そ、そうか? おい、トーヤが起きたぞ!」
ライナーは心から心配をしながらも不可思議なものを見るかのような表情を浮かべて仲間たちに当夜の回復を報告する。
とたんに竹を編んだ床が軋むような音を立てながら数人が近づいてくる気配を感じとる。合わせて空間把握を広げるが、他に見張りの居る気配を感じとることもできない。
「トーヤ、大丈夫なの!?」
最初に飛び込んできたのはアリスネルであった。彼女は当夜の上半身に倒れこむようにその身を重ねる。少女の遠慮ない突貫は体格に勝る当夜をいとも容易く押し倒す。
「ア、アリス!?」
「心配したんだからっ!」
「ご、ごめん...。」
マインドダウン状態から抜けきれない当夜は激しい虚脱感にアリスネルを押し返すこともできない。だが、叱咤よりも心配が先に立つアリスネルの行動に肉体の不調よりも精神の呵責により押し返すことができないと言った方が正しいか。涙を流して嗚咽を漏らすアリスネルの頭を震える手で撫でようと考えるが、体は思うように動かない。触れるか触れないかの位置で手が止まる。
「目覚めたのですね。お体の方は大丈夫ですか?」
次いで足音静かに部屋に入ってきたのはフィルネールであった。その後に続くようにレムが続く。
「なんとかね。
それより申し訳ありませんでした。制御もできずにあんな魔法を使ってしまいましてご迷惑をおかけしました。」
だれも自身を責めないことに不安が募り、当夜は謝りの言葉を早口で言い募る。口調が砕けるほどに親しくなったはずの仲間たちを前に焦ったあまりに丁寧語で修飾された言葉を折り重ねる。
「その件だが、あの魔法は禁術となった。まぁ、世界を滅ぼす威力になりかねないとのことだからな。仕方あるまい。本来ならお前は保護観察処分となるところだったが、アルピネル審査官の計らいで例の魔法を発動しないことを条件に保留としてくれるそうだ。もっと交渉に手こずるかと心配していたんだが杞憂に終わったよ。」
疑問に思っていた監視や拘束が見当たらない理由がライナーの口から告げられると当夜は若干安堵する。
「そう、ですか。まぁ、もとからあの魔法は封印するつもりでした。それで、僕はどれくらい寝てたんですか? 3日くらいでしょうか?」
これまでの記憶を思い起こせば2、3日は寝込んでいるパターンであろう。
「んんー。まだ、2鐘くらいちゃうん? せやからライナーが心配したんや。そやろ?」
レムがライナーの手に残された【マナの雫】を見やりながら答えを返す。
「そうだな。マインドダウンした場合は1日は動けないからな。」
ライナーもまた真面目な顔で肯定する。どうやら二人とも当夜をからかっている様子では無い。事実、港での実験から未だ2時間も経っていない。普通、マインドダウン状態に陥ってしまうと1日はまったく動くことはできない。半日もあれば稀に意識を戻す場合もあるが、仮に目覚めても【マナの雫】を直ちに摂取しないとすぐさま昏倒するだろう。だが、今の当夜はたったの2時間ほどで意識を戻し、【マナの雫】の摂取も無しに未だに会話を成立させている。そこに冷静なものたちは疑問を感じずにはいられないようだった。
(そう言えばこれだと倒れた後は結構バラバラなタイミングで起きることになるな。どういうことだ?)
当夜が自身の目覚めのタイムラグに疑問を感じているとどこからともなく聞き覚えのある声が届く。
「ふふふ。それはね~。君に面白いことが起きそうだとそのタイミングまで時を進めているからだよ。今回は特に何も起こりそうになかったから早めに起こしただけだよ。それより可愛い女の子に抱き付かれている気分はどうだい? この僕様様だろう? 感謝したまえ。」
声の主は【空間の精霊】そのひと。慌てて飛び起きるとアリスネルがヒャッと小さく悲鳴を上げて尻もちをつく。
「なっ、【空間の精霊】か。てか、なんだそのふざけた設定は!」
当夜が先ほどまでの丁寧な言葉遣いを一転させて苛立ちをあらわにする。
「トーヤ、誰と話しているの?」
普段なら尻もちさせられたことを咎めるアリスネルですら先に当夜を心配するほどだ。
「えっ? 今の聞こえてないの?」
「そりゃそうさ。僕の声は君にしか届いていないからね。」
「なっ!?」
「「「?」」」
ひとりで唐突に愕然とした表情を浮かべる当夜の姿に彼を除く者たちが疑問の目を向ける。
「ご、ごめん。何でもない。」
(おい、君は一体何がしたいのさ?)
「いやね、言い忘れていたことがあってね。すぐに【マナの雫】を飲んでほしいんだ。と言うのも普通の人間はそんなにすぐに回復しない。傍から見れば君は異常にしか見えない。」
「え? ああ。
ライナー、やっぱり【マナの雫】もらえる? どうもマナ不足で混乱しているみたいなんだ。」
「おおっ。ほら、早く飲め!」
瓶の栓を一気に引き抜くと中身をあおる。甘ったるいトロリとした液体が喉に落ちる。濃度が高い割に不思議と喉が渇くことは無い。それどころか体が潤うような不可思議な感覚に心が高揚する。
「まさかまだ飲んでいなかったのですか?」
「あ、ああ。本人が拒否してな。たったの2鐘程度で覚醒するし、起き上がったもんだからな、俺も混乱していたみたいだ。」
「トーヤらしいわ、まったく。すごいのか、変なだけなのか、わからないわね。」
アリスネルが乾いた笑いをこぼす。




