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世界を渡る石  作者: 非常口
第3章 渡界3週目
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疑似ブラックホール

「ついにこの時が来てしまったか。」


 当夜は海に向かって釣り糸を垂らしながら呟く。目の前には青紫の灰簾石のような深い海が広がっている。穏やかな海風が当夜と釣り糸をなでる。


「何をいまさら。それより緊張しているのはわかるが、その針も餌もついてない仕掛けをしまったらどうだ? そろそろ時間だぞ。」


 先ほどから船の通る気配を失った海路を見定めるライナーからの助言が届く。当夜はそのありがたい助言に従って海の中からおもり代わりに結んだ小石だけがついた仕掛けを引き抜く。


「なぁ、ライナー? 今から中止って出来ないかな?」


「いや、無理だろ。見てみろよ、後ろのギャラリーを。」


「言うなって。無駄に空間把握の能力が高いわけじゃないんだ。それぞれの表情まで見たくないよ。」


「メーネさんがずいぶんと声かけたみたいだからな。」


 当夜とライナーの後ろには昨夜のメンバーに加えてオルピスの財界人、メーネが目をかけている将来有望な魔術師や学生たちが集まっている。メーネに声をかけられた誰もが期待をにじませている。


「はぁ、余計なことを...。」


 当夜は借りものの釣り具を投げ出したい気持ちをすんでのところで押さえる。


「ところでどんな魔法を披露するつもりだ?」


「んー。内緒。出来なかったら恥ずかしいからね。発動しなかったら【時空の精霊】の加護の能力を披露するつもりさ。海水をどこまで転移させられるのか、とかね。」


 実際問題、当夜の中では後者は存外うまくいかないと思っている。なぜなら、転移できるものは当夜が接触したことによるマーキングをした物体に限られる。ともすれば、転移させられるのは海面ギリギリのところのみ、変化はそれほど劇的ではないだろう。あとは転移させた海水をどうぶちまけるかだ。後ろの集団にかけてしまえば大ブーイングだが、かけなくともそんな地味な魔法ではどのみちブーイングは避けられないだろう。

 さて、問題の思いつき魔法であるが昨夜の時点である程度のイメージはできているが、宿屋に帰ってからは発動までに漕ぎ着けていない。もちろん、発動させれば宿屋を壊しかねないという恐れもあるが、発動しなかった時の言い訳や代替魔法を考えるのに必死だったからだ。


「さぁ、始めましょうか。」


 メーネが当夜の気持ちが目の前の海とは真逆に大荒れであることなど知る由もなく残酷な開始の声をかける。


「皆さん、今日はトーヤさんの魔法お披露目式にご出席いただきありがとうございます。トーヤさんは私の認める数少ない人物の中でも群を抜いて奇抜なことを起こしてくれる一人です。実は昨夜、どうやら素晴らしい魔法を生み出したようなのです。新しい魔法は神殿の審査官がその種別や等級を定め、その魔法の命名権を発動者に与えられ、当人が名づけることで認定されます。本日はどのような魔法が誕生するのか楽しみです。

 では、本日の主役、トーヤ・ミドリベを紹介しましょう。さぁ、こちらへ。」


「はい。トーヤです。よろしくお願いします...。」


 当夜が司会のメーネから過分なる紹介と共に呼び出されて苦笑いを浮かべながらおずおずと前に進み出る。周囲から大きなどよめきが起こる。その不安気でより小さく見える姿に対する評価が本人の耳にまで届く。


「さっきまで先端で釣りをしてた子じゃない。」

「あんなに小さいのに。」

「まだ、ガキじゃないか。」

「あの子にできることぐらい、私にだって。」

「あらら、可愛い子じゃない。」

「子供じゃあ、まだ大したことなど出来ないだろうに。」

「あの子、何か悪いことでもしちゃった罰なんじゃないかしら。」

「だけど、審査官は本物だぜ。」


「それと、本日は審査官としてオルピスが誇る聖女、アルピネル女史にお越しいただいております。どうぞ、こちらに。」


「トーヤ様にご武運がありますように。」


 レース模様のフードを冠り、その顔立ちはわからないが声からは若い女性であることがわかる。夏のような陽気にも関わらずその服装は幾重にも折り重なった白と青の礼装である。当夜の目には仕事とはいえ可哀想に映ってしまう。彼女は一礼の後に当夜のそばに近寄ると激励の言葉でなく、当夜の心を読んだかのような言葉を耳打ちする。


「ご心配には及びませんよ。私は魔法による冷風で体温を調整してますから。」


「え!?」


「ご安心ください。別に心を読んだわけではありませんよ。貴方の顔を見れば何が言いたいかぐらいわかります。顔に書いてありますもの。失敗したってよいではないですか。実際、失敗する場合の方が多いのですから。では、頑張ってくださいね。」


 彼女はフード越しに笑いながら囁くと指定された席に着く。

 当夜の中で重荷が降りるような不思議と落ち着く声であった。


「では、トーヤさん。早速、やって見せて頂戴。」


 メーネの合図とともに当夜はマナを手のひらに集める。白い光が徐々に卓球ボールほどの球体を作り始める。これは眠ることのない当夜が毎夜、マナのコントロールのために行っている自らに課した鍛錬の一つである。


「「「おお!」」」

「実体化するほど密度の濃いマナとは恐れ入る。」


 一度は静まったはずのどよめきが再び湧き立つ。その響きは先ほどまでの落胆や疑問といった負の感情からくるものではない。明らかな期待からくるものである。それもそのはずである。これほどマナを緻密に操ることはなかなか容易では無く、霧散させることなく球状に維持することは上級の魔法使いでも難しい。もちろん、当夜にはその先の上級魔法の発動につなげているわけではないので上級魔法使いからすれば比べられてもいい迷惑だ。


(ここまではいつも通り、ここからだ。)


 手のひらの上のマナの球体を海の上に放り投げる。突堤の先端から20mほど先に行ったところで停止させる。手元から離れてなお、球体を維持する技量に観客から拍手が起こる。すでにこの時点で十分すぎるほど観客はこの小さな少年の才能に魅せられていた。

 突如として卓球ボールほどのマナの塊が小さくしぼんでいく。観客たちは少年の地味ではあるが高等な基礎魔法の披露が終わったものと判断して拍手を送る。


「まさか!?」


 アルピネルは自身でも信じられないほどに冷静さを失って椅子を蹴り倒しながら立ち上がると、複雑で長い詠唱を始める。

 フィルネールの頬を撫でていた海からの向い風が唐突に風向きを変える。精霊たちの慌てる気配が感じとれる。ふと、隣のアリスネルを見るとその表情は明らかな恐怖に染まっている。マナの動きの読める彼女の目にはその恐ろしい悪魔の誕生がはっきりと映っていた。


「えっ?」


 一瞬のことだった。誰もが起きた事象を理解できなかった。ただ、全員がアルピネルが展開した防御壁の中で前かがみに倒れ伏していた。そして、目の前には呆然と立ち尽くす少年の姿とその先にはにわかには信じられない光景が広がっていた。


「トーヤ、今すぐ、その魔法を停止してください!」


 アルピネルの悲痛な声が響く。もちろん、当夜も止めたくてしょうがないのだが一向に止まる気配がない。一度起き始めたブラックホール現象は周囲のマナや海水、地殻などありとあらゆるものを削りとって自らの力の糧としていく。アルピネルの防御壁とて例外では無い。


(ま、まずい! 何とか止めないと。でも、どうやって!? とりあえず考える時間を稼ぐ!)


 当夜が【停止する世界】を発動する。


(時間が無い。どうする? アイテムボックスに収納? その前に僕がぺっちゃんこだ。転移も同じ結果だ。目には目を歯には歯を、ブラックホールにはブラックホールを、なんてやったら取り返しがつかないよな。む、むう...。)


 無駄な時間を過ごして再び世界が動き出す。いつもよりも短い停止時間。当夜の顔色があからさまに悪くなっている。だれもが死を覚悟した時だった。当夜が地に伏す。途端にすべてを吸い込む暴食の権化は姿を消す。半径15mほどの球体上にぽっかりと開いた空間の下半分を海水が埋めていく。突堤にその余波が打ち寄せる。


「...マインドダウン、か。助かった。」


「え、ええ。あと少し遅かったら...。」


「...全滅でした。」


「言わないでよ。それよりトーヤは大丈夫なの?」


「ええ。息はあります。これは確かに披露したがらないわけですね。危険すぎます。」


 当夜はすでに魔法を発動し、それを無意識に維持していた時点で多くの体内のマナを消費していたのだが、それに加えて精霊の加護を発動させたことですべてのマナを消費してしまった。結果として当夜は意識を失い、疑似ブラックホール現象はその生みの親たる当夜からのイメージの提供中断と動力源たるマナの霧散により自壊したのだった。

 放心状態からいち早く立ち直ったライナーとアリスネル、フィルネールが胸をなでおろして呟く。


「ほんと、誰よ。こんな危ないことさせたのは?」


「「...。」」


「わかってる。私たちだってのは。だからそんな目で見ないでよ。」


 仲間から集まるいたたまれない視線にアリスネルは誤魔化すのを止める。


「しかし、助かりました。アルピネル女史。」


 フィルネールからの感謝に胸の前で手を小さく振ると、アルピネルは今回の魔法審査に評価を下す。


「いえ、神殿に身を置く者として当然のことをしたまで。それにしても、これほどとは。

 本件は口外を禁ずるものとします。真似するものが現れては世界を滅ぼしかねません。この魔法は神殿指定の禁忌魔法、等級を崩壊級、名を【暴食(グラトニー)】と定めます。以後、一切の口外・発動を禁じます。」


 普通の魔法であれば、命名権は術者にあるのだが、今回のように神殿が指定する危険な魔法には神殿が呼称を付けることができる。アルピネルは倒れ伏して救世主である彼女を拝むように見上げる今回の事件に巻き込まれた哀れな者たちに厳かに告げる。その声はあまりに神秘的でありながら荘厳で誰一人反論を思いつく隙すら存在しなかった。

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