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世界を渡る石  作者: 非常口
第1章 渡界1周目
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ぶらり街歩き その1

 当夜は、精霊という地球では空想上でしか許されない存在に接触した。おそらく人生で初めて、いや間違いなく。そのことは否が応にも異世界に来てしまったことを強く意識させた。それでも玄関に向かって振り返ることはない。むしろ足を前に強く押し出した。小道を進み、大通りを目指させたのは彼の知的好奇心のそのものだ。黒い門を押すと鍵がかかっていなかっこともあり、すんなりと大通りに出ることができた。灰色みがかった石畳の舗装が目に入ったが、そんな溝が数多走る道をガタガタと大きな音を立てて近づいてくる気配につられてその方向を見るとまさしく馬車と言われるものが突っ走ってきたのであった。


「どけ、どけっ」


「おおぅ、危なっ」


 大通りと言っても、馬車がすれ違うことが難しそうな細道であったにもかかわらず、その馬車は時速20㎞はあろうスピードで駆け抜けていった。高々時速20㎞程度ではあるが、馬という名の生き物が足を振り上げて駆けてくる様は、自動車による無機質なものとは違って格別な威圧感を感じるものであった。

 当夜は馬車の駆け抜けた道を右から左に見渡すと一歩踏み出すと大きな感動を覚える。当夜にとっては小さな一歩だが地球人にとっては大きな飛躍となる記念すべき一歩を。思わず飛び跳ねて門境を飛び越えたのは内緒だ。ちなみに海波光に至ってはすでに数えきれないほどにこの境を踏み越えているのだが。一人相撲をしている当夜は完全に彼のことを失念している。


(ついに、安全地帯を超えてしまった。馬車。自動車じゃない。馬車だよ。)

「それにしてもこんなに狭いのに危ないなぁ。

 ———んん? この石。化石が入っている? ふーむ、石灰岩ですな。」


 したり顔でつぶやく当夜であるが、危険に感じた馬車のことなどは元からなかったこととして石畳の材質の方に目を取られている。見たことも無いその化石は手鏡あるいはしゃもじのような形状で長い柄が付いていた。


【シャルフの化石】

 シャルフ貝の殻化石。良質な石灰岩に認められることが多い。


【石灰岩(良質)】

 敷石に使われる。馬車の車輪を痛めにくいため街道や通りに敷かれる。磨耗が早く定期的な交換が必要。


 片メガネが余計な気使いというか懇切丁寧に教えてくれる。


(はいはい、病気病気。発作です。冷静になろうか。そういや、大学の授業でも大きなデパートの床の化石とか結晶構造とかスケッチさせられたなぁ。思い出すな~。)


 自ら暗示をかけて石畳と化した魅力的な素材から離れる。よく見れば石材と石材の隙間の溝は通りの両端の太い溝にあみだくじ状につながっている。雨水の排水機構であろう。また、馬車の車輪の跡が石材を深く削り、レールの逆のように凹状になっている。


「さて、気を取り直していこうか。迷わないようにしないと。」


 数分ほどは一本道でまばらに家が建つ閑静な住宅街であった。歩道はなく、馬車が来た時には街路樹脇に避難するような形となる。ここまですでに出だしの1台を除けば2台の馬車とすれ違っている。1台目の馬車から退くように怒鳴られたのは秘密にしておこう。さらにしばらく歩くと人々の喧騒がわかるほどに人の営みの音が当夜の耳に届くようになった。そして、ついにエレールを除けば第一街人と会話することになった。怒鳴られて謝ったのは会話とは呼ばないことにした。


「よう、坊主。見かけねぇ顔だな。旅行者か?」


 向かいから来た人物は、堅そうなペイナイト色の、暗く赤茶けたコートを羽織った中年のオヤジだった。それもただのオヤジではなく、彫りが深く厳つい強面で、肌は大変健康そうな小麦色に日焼けをした、身長2mを超えた肩幅ガッシリのいかにも腕力に自信ありの札がついていそうなオジサマであった。それはもうナイスミドルだった。あまりの存在感の大きさに絶句していると、男はさらに声をかけてきた。


「おお、悪いな。驚かしちまったか。ご両親とはぐれちまったか? 俺はこの区画の警邏長けいらちょうのウォレスだ。よろしくな。良ければ一緒に探してやるぞ。」


 よく服を見てみると、服には金の刺繍がなされ、ハヤブサのような鳥の紋章が刻まれており、顔の彫りが深くてわかりづらかったが、笑みを浮かべていることがわかった。


(警察みたいなものかな。とりあえず話してみるか。)


 当夜は少し心落ち着けてとりあえず話を進めることとした。


「ご親切にありがとうございます。

 私はトウヤ ミドリベと申します。

 知り合いの家に引き取られまして、ここから南に20分ほど歩いた庭園のある赤屋根の家なのですが。ちょっと街の様子を知ろうと散歩しに出てきたわけです。」


「20プン?」

(聞いたことのない単位だな。どこの部族だ。

 まぁいい。赤い屋根の家となると、)

「———まさか、エ、エレール女史の縁者か!? ついにあの方が...」


 エレールの名前に過剰反応するところをみて、その関わりを明かしたのはまずかったかと内心冷や汗をかきながら相手の様子をうかがう。ウォレスは背筋を伸ばすと一歩下がって腰に吊り下げられた剣の柄に手を当てた。


「な!?」

(まさか切られる!?)


 そんなことが当夜の頭によぎったが、ウォレスの次の言葉で打ち消された。


「エレール様のご縁の方とは存ぜず、失礼を働きました。ご容赦ください。この街は治安も良いとはいえ、お一人で動かれましては何かと大変でございましょう。よろしければこの私がクラレスの街をご案内いたしましょう。」


 よくよく目を凝らせば、柄の頭に手の甲を当て、とても剣を引き抜くことはできないような構えである。加えて、直立不動の姿は儀礼的な意味合いがあるようにも感じられる。驚いて上半身が後方に傾いてしまった当夜は鈍い音を立てた機械のように立て直す。


(この構えは何かしらの敬意を払うものかな。しかし紛らわしいな。)

「ありがたいお話しですね。大通りの様子を知りたいのでよろしくお願いします。」


「承知いたしました。では、わたくしの後についてきてください。しかし、トーヤ様はその歳でずいぶん言葉遣いが丁寧なのですね。」

(ずいぶんとしっかり教育を受けているようだ。やはり貴族か。ミドリベなどという貴族など聞いたことは無いな。)


「そうですか? それにしてもクラレスは趣のある家が多いですね。」


「ええ。クラレス、というよりこの通りは高級住宅街ですから。一軒一軒が大きい上に建物が立派ですから。」


「立派、ねぇ。」


 確かにここまでに横目に見てきた家々は広い敷地に整備された庭はある種のバラ園や西洋植物園に似たような華やかさを持っていた。だが、それに反して建物は粗雑で平屋建てが多くレンガを積み上げただけのようなものすらあった。


「そうですとも。それにクラレスは国中から物が集まるから何でも手に入りますよ。」


 その後もウォレスからこの街クラレスの街自慢をいくつか聞きながら5分も歩くと、大通りにぶつかり様々な人々とすれ違うこととなる。彼らはポロシャツとズボンやワンピースといった地球でもよく見られる服装を身に纏っていた。もちろん細部にフリルや金具と言った装飾など独特な工夫がなされているのだが。滔々と語るウォレスの話を半分以上聞き流す当夜はすれ違う者を目で思わず追っていた。


(色は地味だけど服はそこまで大きな違いは無いか。悪目立ちしなくてよかった。)


 視線を戻すとより大きな道との交差点が近づいていた。

 人、人、人。荷馬車に樽や瓶を乗せた行商人やライトアーマーとでもいうべき下地の服が見える鎧に身を包んだ大柄の男たち、薄汚れたバギーパンツにワークシャツといった作業員風の男たち、薄色のチュニックと白いズボンを合わせた女性たち、籐細工の籠を手にした白と黒のチェック柄のブラウスとロングスカートを着こなした背筋のよい少女、人の波は途切れる様子も無い。ずいぶんと賑やかだ。


「本日は安息日ではありませんのでそこまで人はおりませんが、この街でも一番の賑わいのある通りです。いかがでしょう。具体的な希望があればいくつか店をご案内いたしますが。」


 思っていた以上に人通りが多いにも関わらずウォレスはこれをそれほどでは無いと表現した。では、安息日とやらはどうなってしまうのだろうか。当夜は通学通勤ラッシュの駅前を想像してしまう。ともあれ、今見えないものを求めても仕方ないと当夜は現状できることで最善にして漠然とした言葉を選ぶ。


「そうですね。とりあえず、この街で暮らしていくために最低限知っておくべきところを教えていただけると助かります。」


「承知いたしました。では、こちらへ。」


 ウォレスによるクラレスレシアの首都クラレスの案内が始まった。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 俺は、この街クラレスの南東街の警邏を一手に引き受ける誇り高き警邏長である。元はギルドの3級パーティ『レグイド』の槍使いであったが、リーダーのカーフの野郎が我がパーティのアイドル、ヒーラーのフレーレと隠れて付き合い、突然の告白の上に結婚したことを機に解散した。俺は未だに納得できていない。同志だと思っていたアーダンも解散と程無くしてギルドの受付嬢と結婚しやがった。俺も同じ宴席に居たんだがなぁ...

 まだ35歳の働き盛りであった俺は単身で冒険者をしばらく続けていたが、憐れみを帯びた目を向けるギルド長が王宮騎士団の募集のチラシを寄越してきた。決してギルド長の後押しが無駄になったということはなかったと信じてる。風の噂は所詮噂に過ぎないのだ。

 そんな俺はこれまでの実績を買われて(ギルド長の推薦もあり、)現在の職に就くことができた。冒険者時代の顔が利いていることもあってこの仕事は自分にあっている気がした。


 この仕事について3年、その日は何の前触れもなくやってきた。いつものように英雄たちの住まう【オーシャン通り】の巡回に入った時のことだ。前から挙動不審に周囲を見回す少年に出くわした。

 いかにも異国風の、華美な衣装に身を包んだ少年だった。黒眼黒髪はこの街では珍しい。肌は黄色みがかっているが白く、黄色みも日焼けのものというより地肌の色のせいだろう。15歳程度であろうと推測されるが、年の割に背は高い方である。ただ、あまりにも華奢で頼りなさげに見えた。さぞやご両親に大切に育てられているのだろう。あるいは病にでも侵されているのか。迷子なら相当ご両親も焦っているであろうことが予想される。


(この様子はおそらく迷子だな。この辺りは治安が良いとはいえ、一度声をかける必要があるな。)


 だが、予想は間違っていたようだ。受け答えがしっかりしているこの少年はエレール女史の縁者であると名乗った。エレール女史といえば、子供が親から聞く英雄譚の中のヒロインであり、男の子であればお嫁さんにしたい女性の在り様であり、女の子からすれば憧れの女性像であった。そんなエレール女史の縁者などと普通の子供がのたまえば、まるで信憑性は無いのだが、この少年はどことなく普通でない気がした。


(かのエレール女史が縁者として認めた者は一人としていなかったが、嘘を言っているようにも見えん。仮に本当のことであれば英雄の認めた方を無下に扱うことは許されんな。)


 話せば、トーヤ様はこの街に来たのが初めてのようで視察をしようとしていたようであった。道中はこの街と周辺の名所をいくつかお話ししたが、上の空というよりあまり実感がわかないのか感触はあまり良くなった。確かに通り過ぎる者たちはその普通でない姿に不躾な視線を送ったのも大きな要因だろう。俺はそのたびににらみを利かせたものだ。目つきの悪い、いや鋭いこの顔が役立った数少ない好機だった。それにしてもわが愛する街だけにうまく伝えられないことがもどかしい。そこで更なる案内を申し出ると日常生活に最低限必要な店を探していることがわかった。


(ギルドは外せんな。食料雑貨屋や武具防具屋を紹介しつつ、時間があれば飲食街も案内して差し上げるとするか。)


 そう頭を整理した俺は歩みをなじみの食料雑貨屋に向けた。

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