時空の魔法の活用
(やっぱりな。一度訪れたことのある空間なら転移可能だぞ。最初の転移の時はマーカーに指定したフィルの横に転移できたけど、これで明確な目標が無くても転移できることがわかった。それで加護の残量は、)
「うげっ!? こんなに減ってる!」
登録証の裏に記された数字は200を切っていた。本日、当夜は水場と野営地の道のり(約500m)を2度転移している。この結果と最大値450からわかることは転移に要する加護は500m程度を移動するのに130程度使うということである。だが、実際には転移の前に見せた幻影によって30程度消費されていたことから実際に使っていたのは100程度だ。
幻影とは風や水の精霊の加護を受けたものが得意とする身を隠す魔法である。これを使うことで分身や気配絶ち、幻覚を行使できるのだが、当夜のそれは身を隠すことに特化している。それは意識以外の空間を切り離すものである。具体的には、当夜の肉体のあった場所に届く5感の情報のみを別空間にいる当夜に伝達する魔法である。この魔法は当夜の存在がこの世界から消えるようなものなので外界からの攻撃は一切受け付けることが無くなり一見無敵に見えるが、本人も一切動けないという性質を持つ。完全に聞き耳専用である。
そもそも彼はなぜそのような魔法を手にすることになったのか。少し時間をさかのぼってみよう。
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当夜は一人泥だらけの体を洗いに小川に飛び込んだ。一頻り泥や汗を流し終わると服を脱いで洗濯を始めた時だった。
(何だか見られている?)
男とはいえ、無防備な裸の姿を見られるのには抵抗がある。それも値踏みするような目線といえばなおさら不快だ。当夜は濡れた服を絞ると乾ききる前に着込む。それはそれで不快だが、このような視線に比べればまだマシである。
(姿を隠す方法ってないかな。そうだよ。空間を操作すればいいじゃん。僕と僕の周りだけを別の空間に移動する。完璧じゃん。)
当夜は決してこの世界の住人が思いつかいないような方法で身を隠すべく強く念じる。それはいとも簡単に発動した。当夜自身には特段変化はないように感じたが、当夜を見張っていた盗賊には一瞬、当夜が霞みのように消えて映ったであろう。だが、当夜は消えた状態で動こうとしたために魔法が解除される。一瞬外れた視線が再び当夜を捉える。
「あれ?」
当夜は発動したそれが期待していた効果でないことに落胆したが、すぐさま修正を加える。
(そっか、動くと効果が無くなるのか。むー、それなら...。そうだ、行きたい場所に転移しちゃえばいいんだよ。)
当夜が思うほど簡単なことでは無いのだが、カーナビによって位置や距離、方角情報を捉えやすくなっている現代っ子の彼は【時空の精霊】の助けも相まって思いのほか簡易に【転移】を発動してしまうのであった。
さて、そんなこんなでフィルネールたちとのやり取りの後に元の水場に戻ってきた当夜であったが、再び観察されるような視線と共に何者かの気配を感じとる。
(ちっ! 性懲りもなく。その正体見破ってやる。)
途端に当夜の姿が消える。そして、小さな悲鳴が響く。
「きゃっ!? もう! 何で急に地面が崩れるかな。あれ? 確かにそこにいたはずなのに。私のことは幻影のおかげで気づかれていないはずなのだけど。」
当夜が姿を隠してから程無くして現れたのは御者として活躍しているレーテルであった。その容姿は外套に隠されて判別できないが20歳前後と声から判断できる。そんな謎のベールとも言える外套をめくり、彼女は泥まみれに汚れたそれを脱ぎ捨てる。現れたのは不自然に白い肌をさらに際立たせる紺のチュニックで覆った少女であった。そのブロンドの髪は手入れが行き届いていないためかぼさぼさであり、赤い瞳は半ば上瞼に隠された所謂ジト目だ。その目の下には深いクマが幅を聞かせている。磨けば光り輝く原石であるにもかかわらず世話人のクレートも心配するほど無精癖のほうに磨きがかかってしまっていることが彼女の魅力を貶めている。そんな彼女の次なる行動は当夜を震撼させる。唐突に彼女は外套を洗い始めるとチュニックすらも無警戒に脱ぎ、半裸で小川にその身を浸し清め始めた。
(なっ!? すぐに出た方が...、いや、この状態で出るのは。そうだ。目を閉じれば。)
閉じたところで視覚情報は止められない。やがて、彼女がさらしに手をかけたところで当夜は観念してその姿を現す。
「ご、ごめんなさい!」
「え?」
「...。」
「いつの間に? 私の空間認識にも引っかからないなんてどうやったの?」
レーテルが半裸を隠すこと無く当夜に近づいてくる。彼女からみれば少年に水浴びの姿を覗かれたことよりも彼女にとって絶対の自信であった空間認識を掻い潜られたことの方が関心として高かったのだ。
ずいっと寄せられる彼女の顔とそれに連動して揺れる胸に当夜は思わず顔を赤らめて目線を反らす。
「むう。秘密ということですか。まぁ、それほどの高等魔法ですからね。ですが、必ず教えてもらいますよ。はぁ、もう監視の目がつきましたか。では服を着るとしましょう。」
じっとりとした視線が彼女に張り付く。当夜にもおまけ程度に視線がついて回る。彼女はそれを嫌うようにその場を後にして野営地に戻っていく。どうやら濡れた服も一瞬で風の魔法によって乾燥させたようだ。そこへアリスネルが息を切らせながらやってくる。
「ど、どういうことよ。トーヤの気配が消えたり現れたり。しかも物凄い速さで移動したり、もうわけわかんないよ。」
「あ、アリス。丁度いいところに来てくれたね。これから秘密の罠を仕掛けようと思うんだ。」
当夜は努めて冷静に先ほどのアクシデントがなかったかのようにアリスネルを出迎える。もちろん内心は彼女以上に心拍数を上げているところからも穏やかでないのだが、そんなことが彼女にばれればどんな事態に陥るかわかったものでは無い。まして、この緊急時である。不測の事態は避けたい。
「罠を仕掛ける?」
「そ、見てて。」
当夜が指さす場所をアリスネルはじっと見つめると当夜が石を投げ込む。瞬時にして表土が崩れ去り深い穴が開いた。
「何これ?」
「ふっふっふ。空間魔法で穴を掘ってみたんだ。これがさ、空間転移とアイテムボックスの合わせ技さ。とはいえ、こんな魔法を野営地全域に張り巡らせるのは無理なわけでアリスの魔法と一緒に組み合わせれば似たような落とし穴を作れるんじゃないかなって思いついたわけさ。どうかな?」
「落とし穴かぁ。そうね、できるかもしれないね。当夜が中の土を引き抜き、私が表土の草の根を強化する。そうね。体重は成人男性くらいで抜けるように強度を調整すればいけるかも。」
アリスネルと当夜は顔を見合わせると仄暗い笑みを浮かべてお互いのその顔におびえるのであった。




