馬車の必要性
朝食を終えた当夜達一向を乗せた馬車は一路フーレを目指して歩みを進めていた。この馬車であるが人が走るよりも遅く、人が歩くよりも早い、まさにそんなスピードである。出そうと思えばもっと早く走れるのだが、馬車の躯体が持たないのはもちろん、乗り心地もさらに悪くなのだから致し方ない。
そもそも、なぜ馬車を使っているのか。それは外で一人ジョギングをしている当夜に確認してみよう。
「うあぁあっつー。」
革鎧の下の【除魔の服】まで汗でびっしょりにしながら馬車と並走する当夜は額から目に流れ込む汗に視界を奪われながらなぜこのような事態になってしまったのかを思い起こす。
―――あれはお昼の休憩の少し前だっただろうか。
「もう! 少しは揺れに抗いなさい!」
大きな揺れの後、アリスネルの檄が当夜に飛ぶ。揺れに耐えられない当夜が倒れこんだのが原因だが、決してアリスネルが迷惑を被ったわけでは無い。むしろ被害を被ったのはフィルネールである。当然ながら、鍛え上げぬかれたフィルネール本人からすれば痛くも痒くもないことであるが、時間を追うごとに弱っていく(酔っていく)当夜の姿を心配して抱きしめてあげたいところであったがアリスネルの様相を見るに火に油を注ぐ行為になることが目に見えている為そっと受け止めて距離を取るしかない。一方、アリスネルとしては当夜の隣を取りたかったのであるが、くじ引きによりレムを挟む形でライナーと同じ列に座ることになった。このため、3人席に2人で座っている当夜とフィルネールは座席に余裕がある分、衝撃の吸収が困難となってしまった。
「皆さん、すでに3鐘は走りましたからもう少ししたら休憩を取りましょう。」
レーテルが剣呑な雰囲気を見かねて助け舟を出す。
「そうだな。トーヤも限界みたいだしな。いや、もう限界だな。レーテルちゃん、ちょっと止まってくれ。」
ライナーが先ほどから一切言葉を発しない当夜を不審に思い、その表情を覗き込むと限界まで見開かれた目は血走り、唇は紫色にそまり、顔は青白く死者のようだった。
馬車が止まり、ライナーが担ぐように当夜を外に連れ出す。草むらに身を隠した途端に当夜が朝食を戻す。しばらくして戻ってきたその顔は少しばかり赤みを増したが、再び乗れば悪夢の再来は免れまい。
「大丈夫、では無いな。少し休憩した方が良さそうだな。」
「ありがとう。だけど、乗ればまた吐き気に襲われそうだよ。どうせなら御者の方が良いかも。」
「まぁ、そうなるだろうな。御者はともかく旅は長いんだ。慣れないとな。とはいえ、すぐ戻ってもつらいだろうしな。」
若干ではあるが血の気の戻った当夜の顔を見ても不安しか湧きあがらないライナーであった。そこへフィルネールがすまなそうに近寄ってくる。
「すみません。隣の私が解放していれば少しは違ったでしょうが。」
「いや、逆に申し訳ない。はぁ、車酔い、そんなにしたこと無い方だったのになぁ。迷惑ばかりかけて本当に申し訳ありません。」
「ふっ。そんなに気に病むな。いずれ慣れるさ。それより解せんのはアリスさんの行動だ。もともとトーヤへの想いが強いと思っていたが、少しばかり独占欲が強すぎる。」
「私も同感です。少しばかり厳しすぎる気がします。エルフの友人の話では深き森人も重婚を良しとした一族です。あそこまでのこだわりを示すのは想像と大きく離れている気がします。」
二人の意見に対して、地球の日本の制度が常識である当夜からすればそれほどアリスネルの行動は理解できない内容では無い。もちろん厳しすぎるとは思うが愛情の裏返しと考えればそれほど悪いものでは無い。ましてや、超がつくほどの美人である。不満に思う方が罰当たりだ。
「まぁ、男としてはそれくらい愛して貰えているってことは幸せなことだよ。」
「そうか。」
(俺の印象では彼女はトーヤを想い人として見ているというよりは、子供が大事なおもちゃを傍に置いておきたい、取られたくないとだだを捏ねているように見えるが。)
「それはそうとして、馬車じゃなくて走っていくでも良いかな。筋トレにもなるし、酔い冷ましにもなるし一石二鳥じゃん。」
「それは止めておいた方が...。」
「いや、まぁ。ここは一度体験した方がトーヤのためかもしれんな。」
「ライナー様、貴方まで。もしものことがあれば危険です。それにこの時期は、」
「だが、トーヤとてすぐに戻ったところできついだろ。ちょいとした運動と気分転換は必要さ。」
「ですが!」
「ライナー、感謝するよ。フィル、ちょっとだけだからさ。それに空間認識があるから大丈夫だよ。」
「ですけど、わかりました。いざというときは私が守ります。」
「大げさだな。」
かくして、当夜は一人馬車に並走することとなる。
だが、ライナーとフィルネールのやり取りにすぐに合点することになる。ここ2日は偶然にも晴れが続いていたのだが、この時期のこの草原は雨季にあたり、湿気が高い。そこに来て温暖な気候は当夜に否が応にも大量の汗を流させた。そしてぬかるみの多さにも難を来していた。幾度となく足を取られて転倒し泥まみれである。
馬車もよく見ればその影響で大きく揺れている。初日に比べても二日目の方が大きく揺れて当夜を困らせていたのも当然の悪路である。むしろここまで馬車を止めずに来たレーテルの腕を褒めるべきであろう。
こうして冒頭につながるわけである。
つまりは気候環境上、どうしても馬車に頼らざるを得ないのだ。さらにこのパーティでは当夜の規格外のアイテムボックスによってテントなどの大掛かりな荷物が無くなっているが、普通であれば大量の荷物を抱え込むことになるのだ。やはり運搬する力は必要だといえる。それゆえに遠征できるパーティともなるとよほど地力のある名のあるところに限られる。
さて、30分ほど走ったであろうか。登りにわずかに傾斜した道を登り切ったところで広場にぶつかる。
「さぁ、ここで一時休憩しましょう。」
エーテルの声が届くと一気に脱力して馬車に凭れかかる。
「よう! どうだった?」
「いやー、馬車のありがたみがよくわかったよ。」
「そりゃ、何よりだ。そういうわけで少しずつで良い。体を慣らしていけ。それと今後はアリスさんの隣が定位置だ。そうすれば、癒し効果で少しは楽になるだろう。本人もそれが良いみたいだしな。」
「そうさせてもらうよ。とりあえず、汗も汚れもひどいからちょっと体をきれいにしてくるよ。」
そういうと当夜は草原の中を流れる小川に向かった。
「で、どう思う?」
「そうですね。追われているようです。それも結構な人数ですね。初日のキャンプ跡でも見つけられたのではないかと。」
「トーヤは気づいてないのか?」
「おそらく気づいていると思いますが、私たちと同じと見ているのではないかと。教えた方が良いのでは?」
「いや、どこらへんで気づくか量りたい。しばらくは俺たちだけで警戒だ。四半鐘内に襲撃できる範囲まで来た時に全員に知らせる。」
「御意に。」
ライナーとフィルネールが当夜の実力を量ろうとしていたころ、口を三日月形にゆがめる人物が二人を遠くから見つめていた。




