クラレスレシアからの旅立ち(序幕1)
出発口の南口では多くの兵士たちと馬車が待ち構えていた。もちろん、今回は内密の仕事であるためにこのような見送りは予定されていなかったのだが、ライナーやフィルネールを慕う者たちがどこからか聞きつけて駆けつけたためである。
「お前たち。このようなことは不要だと伝えただろう。」
「まったく、あなた方は王宮の守りを固めることが責務であろうに。」
「まぁ、そういうなって。みんな、二人を大切に思っているからこうまでしてくれているんだ。感謝しなって。」
当夜が二人にしばし時間を作るように助言すると、ほかの二人を中心に出来上がった輪に割って入る。
「やぁ、二人とも。こっちはどうだい?」
「ようやく主賓のお出ましか。」
当夜の予想した可愛らしい声では無く、ごつい男の声が当夜の背後から響く。振り返るとそこには隣に優しそうな女性を抱き寄せるウォレスが楽しそうに笑いかける。
「ウォレスさん、その人が?」
「おう、紹介が遅れたな。俺の妻となったミーグルだ。
こっちは俺の恩人のトーヤだ。」
「恩人って、特に何もした覚えはないけど?」
「そんなこと無いさ。お前に背中を押されなければこいつと結ばれることはなかった。感謝している。まさに恩人だよ。」
ウォレスが両手を大きく広げて抱き付いてくる。当夜は鬱陶しそうに押し返すとミーグルと呼ばれた一見20代前半のたれ目がおっとりした雰囲気を醸し出す女性に話の水を向ける。
「大げさだな。ところで、ミーグルさんでしたか、この人のどの辺がお気に召したんですか?」
「初めまして。貴方がトーヤさんですね。話は主人からよく聞いていますわ。
そーですね。夫は捨て犬のようで何だか手放すのを躊躇わせる、そんな雰囲気がどうにも愛おしくって。こちらからお話を進めさせていただきました。」
「おいおい、旦那に向かって捨て犬とはなんだ。しょーがねーな。おい、トーヤ、そいつの話は半分に受け取れよ。」
ウォレスが赤くなりながら目線を決してミーグルに合わせないように強気の口調で言い切る。
「あらあら、そのようなことを言って。どうやら私の勘違いのようですわね。では、私は実家に帰るとしましょうか。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。言いすぎた。すまん、トーヤ。俺は捨て犬だったんだ。」
ウォレスの手のひらを返すような見事な自虐発言に苦笑しながらミーグルを見ると軽くウインクして返してくる。どうやらおっとりした中に男をもてあそぶような器量もあるらしい。
「冗談ですよ。ほらね。こんな母性本能をくすぐる駄目な人はそうそういませんからね。そんなところもありますけど、大事なところはきちんと守ってくれる人ですからね。そうでしょ、あなた?」
「もちろん、君だけを愛し続けるよ。」
人前だというのに大胆にキスを始める二人、ただの惚気であった。当夜は面倒くさそうに溜息を吐きながら目線を反らすと地球の擦れた人々では受けそうにないそんな三文芝居を食い入るように見つめるアリスネルの姿があった。
(純情な人が多い世界だな。)
次々と当夜に話しかける見知った人物達と簡単な挨拶を済ませていく。レゾールからは【砥石】、ペールからは【上級治療薬】、レーテからは【保存食】、ギルスからはギルドマスターとしての【紹介状】、ザイアスからは【解呪の腕輪】を餞別
に手渡された。一頻りお礼を伝えると馬車の準備が整う。クレートはフィルネールとライナーにいくつかの封書を手渡すと、当夜に近づいてくる。そして、当夜の手を取ると一つの金細工を握らせる。
「外交についてはライナー様とフィルネール殿が取り持ちますが、もしもトーヤ様にとって外交的な窮地が訪れましたらこちらをお見せください。少しは壁の役割を担ってくれるでしょう。それでは良い旅となることを祈っております。」
「ありがとうございます。しかし、今更ですが、本当に僕らで良かったんでしょうか? 聞けば相当重要な任務のようですけど、僕らはまだまだ中級の冒険者パーティにも達していない弱小の存在です。果たして、このような舞台に立つべき存在とは思えないのですが...。」
「そうですな。実力だけなら第1戦級の冒険者パーティを集めた方が安心でしょうが、これは内密なものです。表の外交はもちろんこの使節団のほかにもいくつもの裏の交渉が成されているのです。ですから、そこまで気を張っていただかなくても大丈夫ですよ。ですから、とにかく安全に、もし危険や困難に突き当たってしまったのなら迷わず引き返してください。」
(我らはトーヤ様とつながりがあることを他国に示せればいいのですから。)
「はぁ。」
(おいおい、使節団ってそんなんで良いのかい。そもそもこんなに人集まっているけど本当に内密なのか、これ?)
「おお。準備が整ったようですな。さぁ、皆さまお進みください。風の精霊よ、彼らの旅に祝福を与え給え。」
クレートが仰々しくお辞儀をすると兵士たちが二つに分かれて道を作る。ライナーとフィルネールは慣れたように馬車に乗り込む。続くアリスネルは彼らにまるで興味が無いかのようにつかつかと進んでいく。その背後にはノルンと涙の別れを終えたレムがしがみつくようにくっついていく。さらに、レムは母親の姿を見るために幾度となく振り返るので自然とアリスネルは胸を張るようにゆっくりと歩みを進めることとなる。持ち前の美しさに加えて、そのあまりに女王然とした様は兵士たちの足を自然と跪かせる。当夜は小さく笑うとレムを押しながら馬車にその足をかける。振り返ると、最後まで顔を見せなかったライラの姿を探す。彼女ならば当夜を引き留めて困らせるはずである。そんな彼女が姿を見せないことに一抹の不安と寂しさを抱えながら馬車に乗り込む。
当夜と同じ事を思っていたのかアリスネルが座席に座ろうとする当夜に声をかける。
「ライラさん、来なかったね。どうしたのかしら。」
「そうだね。まぁ、今生の別れでもないんだ。またすぐに会えるさ。」
「そうね。」
「皆様、それでは出発します。」
どこかで見かけたことのある幾何学模様の描かれたエピドート色のフードをかぶった少女が声をかける。どこで見かけたものかと思案を巡らそうとしたところでファンファーレが鳴り思考を中断させる。どうやら外で見送る兵士たちの中に音楽隊でも居たのだろう。
(これ、どう考えても内密じゃないじゃん。)
ツッコミを入れようとしたところで馬車が大きく揺れ始める。震度6弱である。隣のアリスネルに大きく寄り掛かる。
「ト、トーヤ!?」
アリスネルが顔を赤らめながら抗議の声をあげる。
「ご、ごめん! これ少し揺れすぎじゃないか?」
「もう! これくらい普通だよ。馬車ってこんなものでしょ。」
「そやで。馬車なんてええもんそう使えるもんやないで。」
「これ、サスペンションとか、つ、ついてないでしょ?」
「サス、ペンション?」
当夜を除く全員が首を大きく傾げるが振動のせいで当夜には揺れによるものかどうかの違いすら分からない。おかげで全員に自身の言葉が伝わっていないことを理解するのに少々時間を要した。
「いや、揺れを、緩衝する部材、だよ。」
「へー。それってどんなものなんだい?」
ライナーが興味深げに当夜に尋ねる。当夜を除く全員が全く苦も無く乗っている。レムに至っては振動で体が跳ねているのにまるで不満は無いようである。
「バネだよ、バネ。」
「バネか。しかし、これほどの振動を抑えるとなると相当大きくないとならないだろう。今の技術では難しいだろうな。レアールでドワーフに相談してみるか。」
「そ、それより、この馬車にはどれくらい、揺られれば、いいのかな?」
舌をかまないようにようやく口にした質問が御者の少女に一瞬で切り捨てられる。もちろん、彼女は親切心で答えているんだが。
「今日はあと5鐘ほど。次の街フーレまで3日ですね。」
「ま、マジか~。」
がっくりとうなだれる当夜であった。




