修羅場
「む、むぅ? あれは、トーヤっ? 隣の女の人は...。
しっ、知らない! 私には関係ないもん! どうせ、いつものトーヤのことだから大した仲じゃなくても誰にでも優しいだけよ。そうよ、私だって、そこまでトーヤ、トーヤなんて言っているわけじゃないんだから。」
当夜とフィルネールが揃って休憩に向かう姿を見つけたアリスネルは一人芝居に興じていた。もちろん彼女は口でこのように言っているが、姿の認められなかった当夜を探しているあたりで相当入れ込んでいるアリスネルであった。
アリスネルは通り過ぎていく二人を遠目に彼らとは反対方向に足を進めるが、その足取りは重く、目線も彼らの動きを離さない。
そんな二人はいつぞやの一軒のこじゃれたパン屋に入っていく。
「こんにちは。お久しぶりです。」
「よう、兄ちゃん。本当に久しぶりだな。そうだ、聞いてくれよ。兄ちゃんの教えてくれたあの手法、とんでもなく大当たりだぜ。」
白髪交じりの店長が出会った時以上の笑顔で近寄ってくる。心なしか若いカップルの客が目立ち、ウエイトレスまで忙しそうに動き回っている。
(おいおい、まさかアレを流行らせたのか?)
「トーヤはいったい何を考案したのですか?」
ひょいっと当夜の背中からフィルネールが顔をのぞかせる。
「おいおい、こちらの別嬪さんはどちら様だい? ―――ん、ま、まさか、フィルネール様!?
ちょっと、どういうことだ。フィルネール様とどういう関係だ? あのかわいい女の子はどうした? まさか、二人と付き合っているのか?」
店主は当夜の首を羽交い絞めにすると問いただす。護衛対象である当夜が危機的状況に見えたフィルネールは殺気を漲らせた剣を店主の首元に添える。
「トーヤに害をなそうものならその首をはねさせてもらう!」
「ちょ、ちょっと! フィル、違うんだ!」
当夜が慌ててフィルネールの剣を持つ手を押し戻す。
「フィ、フィル?! そんな仲なのか?」
店長は相変わらず当夜の首にその腕を絡めたまま、救国の聖女をあだ名で呼ぶ当夜に目を見開く。
「ああ、もう!
いいですか、彼女とはそういう間柄ではありません。どちらかと言うと(僕の)命の恩人と助けられた側の関係です。今日はその縁で護衛を頼んでいる最中で、その中で息抜きに来ただけですよ。」
当夜も誤解を解こうと店主の耳元に小声で二人の関係を伝える。
「その通りです。(私の)恩人ですから。」
小声で話していたのも無意味だったかのようにフィルネールが当夜の言葉を肯定する。
「それで話は戻りますが、トーヤはいったい何を考案したのですか?」
「フィル、その話はもういいだろう。」
「いえ、それがカップルに大好評なデザートの召し上がり方ですよ。あちらをご覧ください。」
「ちょっちょっ―――と!」
当夜が店主が指差す方向に体を乗り出して身を挺してその光景を遮る。だが、その甲斐むなしくフィルネールの頬が桜色に染まり、小さく息を呑む音が聞こえる。
「す、すごいです。」
(な、何が!?って聞きたいけど聞いちゃいけない気がする。)
「ささっ、こちらにどうぞ。」
店主がフィルネールを奥の離れに誘導する。そこはこの店に新たに作られたVIPルームだ。このところ、貴族にも流行の兆しが見えてきているのだ。特に、身分違いの恋愛ごとに非常に重宝するひと部屋である。過去の自身の過ちに頭を抱える当夜を尻目に二人はそそくさとその部屋に進んでいく。仕方なく、当夜も後に続く。
(まさか、あの時放置した種がこれほどの巨木に成長していようとは。あの時早めに摘んでおくべきだった。)
この時の当夜には自身が更なる混沌の種をまき散らしているとは想像だにできていなかった。
(トーヤったらこの神聖な領域に別の女を連れ込むとはいい度胸ね。どうせ、そんな変な話に突入することなんてあるわけないのよ、トーヤだもの。
―――そうだよね、トーヤ。信じていいんだよね? そうだよ、信じなきゃ。でも、うぅ。)
そう、店の外では不安と怒りを器用に身にまとう一人の少女が立っていたのだった。
当夜が部屋に入ると普段はキリッとした表情に固められたフィルネールの顔が和らいでいるのがありありと見えた。そこにはこのような店に招待されたのだからと期待が込められている。店がそのような甘酸っぱい雰囲気に満たされているなど知る由もないかった当夜ではあったが、もはや引くに引けない状況まで追い詰められてしまっていた。
(ま、まさか、この店がこんなことになっていようとは。ど、どうする。普通にお菓子をごちそうしてどうにかなる感じだよな。...な、ならんか。)
「とりあえず紅茶を二杯と、ケーキセットを二つで、お願いします。」
フィルネールと店主の視線が当夜に集中する。どうやら逃げ場はないようだ。
「―――あと、フルーツ盛り合わせを一つ。」
フィルネールの顔が大きくほころぶ。どうやら彼女にとっての正解を選ぶことはできたようだが、どこかで爆弾の起動スイッチをオンにしたのではないかと当夜は内心冷や汗を流す。
店主はオーダーを聞き遂げると笑みを浮かべながら部屋を後にする。同時にすぐそばで風の精霊魔法で聞き耳を立てているアリスネルの姿をみつける。
しばらくして、3人のもとに紅茶、ケーキセットが運ばれてくる。それぞれ受け取った者たちの顔色は全く異なっていた。一人は怒り、一人は不動、一人は油汗を浮かべる。女性二人はケーキを手早く片付けていくが、当夜は紅茶を小さくすすりながら二人の出方をうかがうのみである。まさにその部屋は不倫の暴かれた空間のような居心地の悪さであった。
「それで、あなたはトーヤの何なわけ?」
「そうですね。愛しく慕う者の一人です。
そういえば、あなたは確かトーヤの家でお見かけしたような。どのような関係なのでしょうか?」
「私は、ただの管理人です。」
アリスネルはキッと当夜をにらむとそのおびえる様子に僅かながらに溜飲が下がるのを感じる。
(あぁ、恋人って言い切りたい。でも、そこまでの仲でも無いし。う゛ぅ。)
「でしたら、そこまで目くじら立てなくても良いのではないでしょうか? トーヤだって管理人だからと個人的な行動まで束縛されるのは嫌でしょう?」
「そりゃ、そうだけど。」
フィルネールの大人の対応にアリスネルは大いに慌てていた。
「も、もちろん、管理人だからってこんな風に怒っているわけじゃなくって、」
‘気になるの’と繋げようとしたところでフィルネールの言葉に抑え込まれてしまう。
「なら、私がトーヤと結ばれても後悔しない?」
アリスネルは突然席を立つと駆け出してしまう。彼女の口に出そうとした言葉のはるか上を行く重みのある言葉に耐え切れなくなったのだ。紅茶に光を散乱させながら一滴のきらめきが落ちて波紋を広げる。
唖然とする当夜にフィルネールは優しくも強い口調で語り掛ける。
「トーヤ。彼女の思いは真剣です。きちんと向き合ってあげたことはありましたか? あなたも真剣に向き合ってあげるべきだと思います。でないとかわいそうです。」
あまりの展開についていくことのできない鈍い当夜にはおそらく半分程度しか理解できていないだろう。ただ、それでもここで追わずにはいられない何かが彼の中で目覚めていた。当夜は一つお辞儀をするとアリスネルを追って駆け出す。
「はぁ。私はどうにもかけ事が不得手のようですね。トーヤ、私のことも真剣に考えてくださいね。それにしても、アリスネルさんか。きっと私のこと憎んでいるのでしょうね。仲良くなれるといいのですが。」
二人を見送るとテーブルに残されたケーキを一人さみしく食べるのであった。




