繋がる並行世界
(うぅ。どうやらまだ死んでないみたいだな。)
当夜はそっと片目を開けて目だけの動きで周辺の状況を伺う。さらにいくつもの情報が空間把握の能力によってもたらされる。その情報では自身以外に二人の存在が認められた。そして、そのどちらも意識を失っているようだ。
だが、その静寂は一つの声で終わりを迎える。
「ふむ、ふむ。、なるほど、なるほど。そういうことでしたか。理解できましたよ。これで彼の者の居場所はつかめましたし、もうこの世界に用はありませんね。もうじきこの戦いにも終止符が打てる。」
当夜は一気に立ち上がると壁際にその身を寄せる。
「あら、あら。そんな怖い顔してどうしたの、トーヤ君?」
そこにはいないはずの4人目、ライラが佇んでいた。
「ライラさん...?」
(気配がまるで感じられなかった。それになんだこの違和感。)
当夜は依然警戒を解けずにいた。そこに居るのはライラであって、ライラでない。そう感じられるほどに雰囲気が仄暗いのである。顔は笑っているが壊れた再生器ようにブレて見えるのだ。
「———あんた、誰だ?」
「フフフ、フフフ。まったく、まったく、命の恩人にその言い分はどうかと思うのだがね。」
徐々に変わっていく声質、その姿もまたバーテンダーのような姿に変わり、仮面を被った姿を現す。
「貴方か。確か道化、だったか。」
「これは、これは、ご記憶に留めていただき恐悦至極。
ふむ、ふむ。あまり驚きませんね。」
「そりゃ、あれだけのヒントを残していたしな。図書館で出会うのは貴方だと思っていたんだが。」
「えぇ、えぇ。一つの可能性としてそれも試してみたのですが、我らにとって何の利点も無かったので引き返したようですね。まぁ、まぁ、今のあなたには意味のないこと。いや、いや、記憶を持っていたということは...。
だが、だが、それは私の考えることでは無い、か。」
道化が指を一つ鳴らすと世界が暗転する。
「うっ。な、何を!?」
「ふ~む。やはり、あの遺跡は王国の前身であるクラレス大国のさらに前の時代のものというわけか。ん、客か?」
「えっ?」
当夜が目にしたのは死んだと伝えられたフリントの姿であった。だが、その姿というより今見ている光景には見覚えがあった。
「どうした、お前さん。ここに何か用か?」
「ええっと。フリントさん、ご無事だったんですね?」
「無事って、何のことだ。ふむ、名乗った覚えがないが、お前は誰だ?」
老人は手に持つ書物を台の上に置くと当夜をまじまじと見つめる。その目は不審者を警戒するような冷めた眼差しである。
(おかしい。まるで僕のことを知らないような雰囲気だ。)
「ふっ。図書館を使いたいなら自由にしろ。
別に汚したり破いたりしなければどのように使おうが構わん。ただ、何かあればワシに相談しろ。
それと本はきちんと洗ってから手に取れ。」
(オドオドしおって、貴族はこれだから嫌いなのだ。本のこともそれほど興味が無いのじゃろうて。)
「あ、ありがとうございます。」
(僕の知っている流れじゃない。)
「ふんっ。」
当夜はすごすごと泉場に向かうと手を清める。戻り際にフリントの顔を覗くも自身の本を前に当夜を気にする様子もない。仕方なく本棚に陳列する本を眺める。そういえばと、過去のフリントが取り出した位置を思い出しながらオイレンシュピーゲル著の本を探して回る。
「無い...。いったいどこからフリントさんは取り出したんだ。」
「何を探しておるんだ?」
振り返るとフリントがしかめっ面でこちらを見ていた。
「あ、どうも。えぇーと、オイレンシュピーゲルって人が書いた本を探しているんです。世界樹の枯死を救った薬品の記してある本です。」
「ほう。そんな面白い本なら記憶しているはずだが...。それよりお前さんに客だ。テーブルで待たせてあるが、あんまり変な奴を呼び込むなよ。本はワシが探しておいてやるから行って来い。」
フリントは書棚を漁りながら当夜に来客を告げる。
当夜は本棚の間を縫うようにテーブルのあるスペースを目指す。視界が開けるとそこにはタロットカードでトランプタワーをつくる道化の姿であった。
「また、貴方か。さっきのはいったいどういう了見だ。」
「ふむ、ふむ。さっき...か。どこの並行世界から連れ帰ったのやら。
そうか、そうか。フレイアの小娘を誘い出したあの世界か。だとしたら、だとしたら、この世界にまた一人多くなるのだが。いや、いや。そうか、そうか。そういうことか。」
(あの時の私が持ちかえった経験が私の脳だけでなく、彼のものにも刻まれたということか。確かに近くにいたから近すぎて戻り先を少し間違えたのかもしれないな。)
「並行世界? 貴方はいったい何を? まさか!」
(僕は向こうの世界の住人? ここに居た本来の僕と入れ替わったってことか?)
「あんし、安心してくれていいですよ。君はここに生きる君です。ちょ、ちょっと並行世界を覗いてしまっただけですよ。ど、どうやら、現時点でこの世界は私には利点が無かったみたいですね。しばらく姿を隠させていただこうかな。
ただ、私の求める答えはこの世界の先にあることは事実。」
道化は当夜を安心させるかのような言葉を残しながら、当夜に聞こえないような小声で一言付け加えるとトランプタワーの最下層の一枚をはじく。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ!」
目の前に飛ばされるカードを反射的に取ると同時に大量のタロットカードが舞う。そのカード越しに道化の姿が霞んで消える。一枚の紙が最後に当夜の手元に落ちてくる。
「この世界に私の著書は無いから探すだけ無駄だよ。それとタロットカードは私にきちんと返してくれたまえ、か。いったい何なのさ。
ん? 一枚とってみろだって?」
そこには当夜の姿を占うことが記されており、一枚を無作為に拾い上げるように書かれていた。器用なことにすべてが裏面に散らばるカードから一枚のカードを拾い上げる。
拾い上げたものは大アルカナ、愚者のカード。
「あいつ、馬鹿にしてんのか。」
「ハァ、ハァ。あら、愚者のカードですか。トーヤ様にピッタリですね。」
「えっ?」
そこに現れたのは息を整えるフィルネールであった。
「でも、これって愚者ですよ。愚か者って意味じゃないんですか?」
「言葉どおりならそうなりますね。でも、この姿を見てください。これほど陽の光に愛されて、軽やかに歩む者を人々は無から立ち戻った者、旅人と見ているのですよ。まぁ、本当でしたらほかのカードと合わせることでどちらの意味かが確定するようなカードです。
ほら、トーヤ様の周りには貴方を引き立ててくれる仲間や友人・知人が揃っているでしょう。」
フィルネールが頬を赤らめながら柔らかい笑顔を向ける。当夜は思わず心がときめくものを感じて照れ隠しに視線をそらす。
「それより、フィルネール様は、」
「フィルでいいですよ。近しきものはそう呼んでくれます。」
「じゃあ、僕も当夜で良いですよ。それで、フィ、フィルさんはどうしてここに?」
小さな吐息のような溜息がフィルネールの口から洩れる。
「ふぅ。さん付けもいらないのですけど。まぁいいでしょう。クレート殿がトーヤがこちらでお待ちであると教えてくれまして。ところでどのようなご用向きですか?」
「ハハハ。クレートさんにやられましたね。
そうだな。僕も調べものに疲れました。どうですか、ちょっと甘いものでも食べに行きませんか?」
「え? 甘いもの...。
いえ、私は騎士ですので職務中にそのようなことをするわけにはいけません!」
フィルネールの喉とお腹が小さくない抗議の音を立てている。彼女の顔は真っ白な陶器のような肌を赤く羞恥に染まる。当夜はそんな彼女の気持ちを汲んで助け舟を出す。
「フィル。できれば護衛をお願いしたいんだ。これは当夜 緑邊として一人の騎士にお願いするものだよ。もちろん、フィルに時間があればだけど、どうかな。」
「時間の方は2鐘くらいなら大丈夫です。お受けしましょう。」
二人は散らばるタロットカードを拾い集めると、歩幅を合わせながら図書館の外に出てとあるお菓子屋さんに向かう。
「おい、っていないのか。これだから貴族は気にくわん。」
二人が出ていくとしばらくしてフランクがテーブルのそばにやってくると嫌味を吐く。ふと、足元を見た彼の目に拾い残された一枚のカードが落ちていた。彼は何気なくそのカードを拾う。そこに描かれていたのは死神であった。
「くそっ! 気味が悪い。」
フランクは不気味なそのカードを力任せに破るとゴミ箱に捨てる。
その日の夜、クラレスでもっとも博識な老人がその命の灯を消した。死因は他殺でも病気でもない、単なる寿命であった。




