持ち込み品のもたらす事件 2
その日の朝食もいつもながらに賑やかであった。いつもと違うとしたらアリスネルとライラがスープを巡って骨肉の争いを演じたことぐらいだ。まさか当夜の分が配分されること無く飲み干されてしまうとは当夜は想像できなかった。それほどまでに地球の調味料はこの世界の住人の舌を唸らせたようだ。
「は~、何このスープ、美味しすぎ。ライラさん、どうやって作ったの?」
「う~ん、今回はトーヤ君がウマミセイブンの使い方を教えてくれたの。だから、作ったのはトーヤ君よ。どうやらトーヤ君の胃袋を押さえるには相当な腕前が必要みたいね。ね? ア、リ、ス。」
「え? トーヤの手作りなの? あぁ、もっと味わって食べるんだった...。あっ!?」
アリスネルは慌てて口元を両手で隠すと顔を真っ赤にして席を立つと泉部屋に駆け込んでいく。
「あちゃー。あれじゃ、どっちが押さえるべき人物かわからなくなっちゃうわね。それで、トーヤ君、まだ隠し事があるんじゃないわよね?」
ライラは溜息をつきながら逃げ込むアリスネルを見送りながら、当夜に疑惑の目線を向ける。スープをまるで飲めなかった当夜はライラとは別の意味で溜息をつきながら即席で具の無いスープを作り直す。塩を一つまみと砂糖一つまみ、味〇素、おっと旨み成分二つまみをお湯で溶いただけの簡素なスープ、いや、これをスープといったらスープに失礼か。ともかくそんなもどきを啜っていると、ライラはもはや疑惑の目線をどこへやらそんなものでも物欲しそうにこちらを見てくる。
「もう二人であれだけ飲んだじゃないですか。もう、上げませんよ。それと隠し事って言うほどのものでもありませんよ。後は、」
「ひゃぁあ!? な、何これ!?」
‘後は、’のあとに石鹸とシャンプーの件を付け足そうとしたときだった。アリスネルの素っ頓狂な声が響く。
アリスネルはライラとあまりのおいしさに競い合うようにスープを貪っていた朝食を思い出してあまりのはしたなさとその姿を気になる異性に見られていたという事実に愕然としながら羞恥に顔を焦がしていた。泉部屋に逃げ込んだのもそんな火照った顔を冷ますためだ。慌てて飛び込んだ彼女は足元に転がる当夜の仕掛けた罠に見事に嵌ることになる。
それは、顔を洗い、布を手探りで探していた時だった。足元に転がるシャンプーのボトルを踏んづけて噴き出る溶剤を被ってしまったのだ。スライムのような感触に突然襲われてアリスネルは悲鳴を上げたのだった。
アリスネルの悲鳴に当夜とライラが泉部屋に飛び込むとそこにはしゃがみ込むように座るアリスネルが涙目でシャンプーまみれになっていた。どうやら無我夢中で暴れているうちに何度も踏んでしまったようだ。しかし、こうも器用に顔にかかるものなのだろうか。
「ト、トーヤ! ライラさん! た、助けてください!」
「お、落ち着いて、それはシャンプーっていって石鹸を溶いた液体だから特に害はないから!」
「ん? 何だか良い香りね。あら、ほんとに泡立つわね。」
「そ、そうなんですよ。これは髪用の専用石鹸でしてサラサラ、艶々になること請け合いですよ。」
アリスネルに抱き付かれる形でライラの雷がいつ落ちてもおかしくない事態に当夜はビクビクしながらライラに上目づかいでシャンプーを売り込みにかかる。
「本当? それなら私も後で試してみようかしら。」
どうやらライラの関心をシャンプーに引き留めたと安堵する当夜の頭をライラのチョップが直撃する。頭を抱える当夜にライラは声を荒げながら説教を始める。そんな二人に少女はか細い声で問いかける。
「あの~、事情は分かったけど私はどうすればいいの?」
「あっ!」「え?」
「そうだね。そのまま洗い流せばいいと思うよ。」
当夜の言葉にライラは悪戯を思いついた子供のような笑みが浮かぶ。
「ちょっといいかしら。このシャンプーとやらの使い方をトーヤに教えてもらいましょうよ。」
「「えっ?」」
「だって、使い方を知っているのもトーヤだけだし、アリスもそこまで濡れてしまったなら朝浴びしても同じでしょ。」
「ライラさん、まさか...?」
「ご想像のとおり、トーヤがアリスの髪を洗って上げなさい。これは彼女に迷惑を与えた罰よ。悪いと思うなら甘んじて受け入れなさい。」
ライラがひどく平坦な声を出す。だが、その顔は笑いをかみ殺すに必死であるが、当夜もアリスネルも動揺してそれすら見逃してしまった。
「えぇっ? 私は別にそこまで怒ってませんよ。そんな気にしないでも...。」
(ちょっと、ライラさん! 私まだ心の準備ができてないよ。でも、ちょっと髪の毛をいじってもらうのも...、ううん、でもでも、)
「なっ? いや、それは。アリスだって嫌がるだろうし。」
「あら? 髪を洗うだけよ。何も裸を見るわけでもないのでしょ? アリスはどう? 嫌かしら?」
「私は別に。ちょっとシャンプーとやらに興味が出ては来ているかな...。」
「はぁ、わかりました。ライラさん、暖炉に火を入れてきてください。乾かすのに必要ですから。」
こうしてなぜかアリスネルの髪を洗うことになった当夜は妹のお風呂の手伝いだと自身に言い聞かせて彼女の髪の手入れを始める。ブラシ掛けから入りたいところだがすでにシャンプーがかかってしまっているだけに前流しから始めざるを得ない。彼女の金色の長い糸が一つの飴細工のように煌めき、泉から流れ落ちる水の流れを穢れと共に受け流すように床まで導線を作る。その後、当夜はシャンプーの頭を押すと溶液を取り泡立てて彼女の頭に押し当てる。頭頂部から末端に向けて揉み洗うように指を動かす。
「ふぁ~。」
少女の口から吐息が漏れるのがわかる。なぜか後ろのライラが唾を呑み込む音が響く。その後は前流しよりも長い時間をかけてシャンプーを洗い流す。本来ならこの後にリンスやトリートメントを髪に乗せるのだが今回は持ち合わせていない。というより一体型を買ってきたのでこれで勘弁してもらう。水気を優しく拭うと後は暖炉に直行していただく。なにせ、この世界ではお湯では無いので冷えてしまうのが心配だ。アリスネルは渋々と言った面持ちで立ち上がろうとするが服が水に透けて肌の色が見えている。妹のように見ていたはずが、どこか女性として意識してしまっている自身に驚いた当夜はアリスネルにその前に服を着替えるように言い放ち、自身はそのまま立ち去ると自室で水のかかった服を着替える。
暖炉で温まっているとややあってアリスネルが現れる。無言で暖炉の前に立つと続きを促す。暖炉からの温風に任せて髪を十分に乾かす。濡れた状態で髪をとくと傷つきやすいので注意が必要だ。十分に乾いたことを確認すると櫛で優しくといていく。もともと美しいアリスネルの髪が潤いに磨きをかけられてさらに輝く。我ながら上出来だ。そもそも雇い主のはずの当夜がなぜこのようなことをやっているのか彼自身首を傾げるしかなかった。
「はぁ~。」
(これはまずいです。またお願いしたい。毎日は無理でも週一でお願いできないかな?)
アリスネルはどこか恍惚の表情を浮かべて遠くに意識を向けてしまい感想も述べてくれない。
「ねぇ、トーヤ君? 私もお願いしていい? ううん、もちろんやってくれるよね?」
「嫌です!」
「そ、そんなこと言わないで。ねっ、良いでしょ?」
「い、や、で、す!」
即答する当夜となおも食い下がるライラであったが、当夜はその場を逃げるように自室に閉じこもる。この後、当夜はレムが訪れるまで戸を固く閉ざしたのだった。




