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世界を渡る石  作者: 非常口
第3章 渡界3週目
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持ち込み品のもたらす事件 1

「おっはよ~! トーヤ君。アリス、起きなさい!」


 その日、ライラはいつものように明るいあいさつと共にその戸に手をかける。だが、それは貴族の家を尋ねる管理人の行動では無い。

 そもそも、この世界の貴族達の収入は王国から借り受ける土地、すなわち領地でさまざまな産業や農業を行い、そこで得た収益から少なくない税を差し引いたものが大部分である。大部分と称したが、それは上流貴族に限られる。それに達し無い土地の小さい、あるいは土地を持たぬ中小の貴族のために一律で給金が下賜される。これには戦乱の時代に戦時において率先してその身を投じて下々の者を率いて戦う覚悟を持っていた貴族に与えられた価値としての意味合いがある。しかし、それは戦争が薄らいだ今の時代にまで残されたに悪しき慣例に過ぎないのである。

 かくいう当夜にも少なくない公費が投入されている。それらはエレールが定めたギルドの口座に振り込まれているため彼自身は知る由もないのだが、5年後、当夜の年齢がこの世界で20歳と扱われるようになった時に併せて彼女の遺書が遺言に従ってひも解かれ、その文言に従って当夜に明かされることになる。そこにはライトとエレールの残した数多くの資産もともに眠っているのだった。ちなみに、この口座からライラの給金と彼らの生活費は捻出されている。

 話を貴族の説明に戻そう。基本給の存在により多くの貴族はつつましく生きれば生活できるのだが、それは世捨て人と同義である。そのため世間体やプライドを重んじる多くの下流貴族は騎士団の武官や行政の文官や学者にその道を見出している。そのため騎士団は貴族色が強く、冒険者は平民色が強い組織になっているのだ。この中で副収入の方が基本給を上回るほどに金銭的余裕がある貴族は土地を買い、人を雇って事業を始めたり、趣味の世界の開拓を始めるようになる。この傾向が顕著にみられるのが中流貴族である。彼らの中には政治や行政の中位官吏に就くものが多く、国をよくするというより金や時勢の流れを掴もうと機会をうかがって子の職に就く。この流れや機会に恵まれたものが上流貴族となるのだ。上流貴族ともなると、本人やその一族に連なるものは政治の中枢や行政の上層部としてその席を設け、上流貴族同士お互いに牽制と癒着に勤しむようになる。そして、領地の運用については有能な部下に任せているのが通例である。だが、上流貴族になるには長い年月が必要となり、当然歴史的に由緒のある一族がその座に居座っている。

 これら貴族の中で住民たちから見て最も性質の悪いものが中流貴族であり、それが貴族の大部分を占めるためにその印象を悪しきものに貶めているのである。彼らの多くは自身の成功のためには手段を選ぶこと無く、中流貴族同士で潰し合って我先にと上を目指す。そこに駒として利用される雇われの者たちが真っ先に血と涙を流すことになり、街中で囁かれる裏話には悲劇がつきものとなる。そして、そのような濁った世界に生きる貴族自身もそのストレスのはけ口を探しており、金で雇われた弱者は半ば奴隷のように扱われてその格好の吐き出し口として利用される。

 ライラも貴族たちの別荘管理を本職としており、若かりし頃には幾度となく煮え湯を飲まされたものであった。しかし、容姿が特に秀でていなかったことと雰囲気をよく読み、言葉巧みに貴族を立てるその献身ぶりによってここまで乗り切ってきた。しかし、多くの貴族の侍女に迎えられる女性は一人悲しい末路を描くことが多い。そういう点で早い時期にワゾルと結ばれていたライラは特異的であり、幸運な例であった。


「あら、アリスはともかく、トーヤ君の返事が無いのは妙ね。」


 ライラは不思議に思いながらその戸を開く。そこにはうつぶせに倒れる当夜の姿があった。


「トーヤ君!」


 ライラが悲鳴に似た声を上げながら当夜に駆け寄ると、当夜は単に疲れて眠っているようであった。ライラのけたたましいほどのアラームに当夜もその目を覚ます。同時にその声によって起きてきたのか、アリスネルが寝室で無くリビングとして使われるようになった1階の大部屋からのそのそと現れる。その顔はまだ眠そうである。


「あ...、おはよう、ライラさん。」

「あら、おはようございます。朝からそんな大声出してどうかしたの?」


 当夜はのっそりとその体を起こすとまだ眠そうにあくびを一つ打つ。ライラは未だ心配そうに当夜の体を触りながら確認している。寝ぼけ気味の当夜は基本的に反応が薄く、相当なことをされない限り嫌がられることはない。普段なら身を引くボディチェックも今は甘んじて受け入れている。やがて、異常のないことを確認したライラがため息をついたころ、身支度を始めるためゆっくりと自室に戻るのだった。



 その日の目覚めは刺激的だった。突然にライラの叫び声が耳の鼓膜を蹴破るかの勢いで突き抜ける。それでも先日地球側でお米を中心とした荷物を何度も持ちあげたことで体は疲労を訴えまだ休みたいと懇願している。ともあれ、彼女が起こしてくれた厚意を無下にできないので着替えに戻る。


「ふぁあぁ~あ、ねみ~。」



 ライラはこの家の主が自室に入っていくところを見届けると食事の準備に入る。


(大事は無いみたいだけど後であんなところで眠りについた理由を問いたださないとね。)


 本来ならば着替えから身だしなみの整頓まで管理人の仕事であるが、当夜はなぜかその手伝いを嫌う。なんでも自分でやろうとする姿勢は素晴らしいことだが、これではいただいている給金に見合わないと心が痛むライラでもあった。この世界の普通の貴族は身支度についても従者に手伝わせるのだが、この少年貴族にはそのような奢りがない。といっても本人は自身の体を異性に見られるという羞恥に耐えられないというだけなのだがライラには美徳として映ったようだ。


(貴族の世話は面倒で嫌なんだけど、同じ貴族でもトーヤ君ならもっと世話を焼きたいくらいなのだけど。世の中ってうまくいかないものね。)



「あ、ライラさん。今日のスープも美味しそうですね。何か手伝いますよ。」


 食器を運び終えた当夜がライラの作るスープを覗き込みながら声をかける。


「ありがとう。ところでそこら中に転がる袋は何かしら? トーヤ君は何か知っているかしら?」


 ライラは明らかに犯人を知ったうえで悪戯っぽく尋ねる。ライラが調理場に入るとそこにはいくつもの白い粉が入った乱雑に転がっていた。とりあえず調理台の周辺のものから絵柄の共通したもの同士にまとめてから調理に入っていたのだが、元凶と思しき当夜が入ってきたのでまずはその真意を確かめる。まぁ、犯人であることは間違いないのだろうが、いきなり叱りつけるのも可哀想だと思ってのことである。


「あぁ、そう言えば散らかしっぱなしだった。片づけてくれたんですね。すみません。その青い印の袋が塩、そっちの赤い印の袋が砂糖と旨み成分で、砂糖は細かい粒子の方で、旨み成分は粒が大きいので判断してください。」


「え? これが、塩、砂糖なの? ウマミセイブンって何?」


 ライラにとって叱る叱らない等どうでも良いことになるくらい不可思議なことを当夜は言いだした。塩はまさに純白で砂が一切混じっていないのだ。そして、白砂糖がこれほどあるということに愕然とする。白砂糖は小さじ一杯で小銀貨1枚に相当する。それが恐ろしいほどに大量に積まれている。さきほどまで乱雑に扱っていた自分に恐怖する。さらに、旨み成分など聞いたことも無い。いったいどういう代物なのかまるでわからない。


「ほら、こうすればわかると思うよ。」


 すると何を思ったのか当夜はおもむろにウマミセイブンとやらが入った袋を開けるとお碗に一つまみとってスープを注いで渡してくる。躊躇していると自ら口に含み飲んで見せる。何も彼を疑っているわけではないのだが、どうやら毒か何かと疑っていると取られたようだ。

 慌てて当夜からライラはお碗を受け取るとそれを勢いよく飲み干す。緊張と焦りのせいであまり味を確かめられないかと思ったが、確かにかつて無い強い旨みが口中に広がる。思わず碗の底に張り付くスープを求める。そんなライラの姿を苦笑してもう一杯作ってくれたそれをライラはゆっくりと味わいながら飲み干した。


「どうやら気にいってもらえたみたいだね。それは海藻の旨み成分と同じものを凝縮したものなんだ。いけるでしょ。」


 ライラはただただ頷くしかなかった。


「というわけで良ければこれらも使って料理してください。」


「え、ええ。わかりました。無駄のないよう誠心誠意頑張ります。」


 ライラは顔がこわばっているのを感じながら答える。こんな貴重な品を使っての無茶ぶりが入るとはやはり貴族の一面が現れたのではないかと当夜のことを理解しているつもりでもびくついてしまう。そんな彼女の動揺ぶりに当夜がすかさずフォローを入れる。


「でも初めて使う調味料だろうしなぁ。そんな大したものじゃないですから自由に使ってライラさんなりに創意工夫してみてください。それとライラさんだけに負担を強いるのもなんですから全員で食べながら良いアイデアを出していきましょう。」


 食事の準備を率先して手伝うこともそうだが、ここも普通の貴族と違うところでもある。もしもライラの知る貴族であれば、‘これだけの貴重な食材を無駄にしたならどうなるかわかっていような’と脅しの一つ二つが入ったであろうが、失敗を気にしないとの強気の発言である。そのうえ、従者にすらこのような高級品をともに口にすることを許すのである。口が開いたライラの顔は事情を知らない他者から見ればさぞ間抜けに映ったことであろう。

 当の当夜からすれば大した値のしない日用的な調味料に何を大げさなと呆れてしまうだけなのだが、彼にはこの世界の常識をもっと知るべきであることを如実に語っている出来事だった。

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