七薔薇物語 ―紫薔薇―
七つの、七色の薔薇にまつわる物語です。
七人の少女と死の話。
色々な文体に挑戦してみました。
紫薔薇 逃亡の死
逃げる娘、後ろを振り返り、振り返り、
時には駆け、時には足を引きずり、時には歩む。
靴擦れを気にするように歩みを緩めても、娘はけっして歩みを停める事はない。
怯えた仔兎のように、ぴりぴりと背後に神経をとぎらせ、娘は歩みを停めない。
腕に巻き付けたショールの薔薇模様だけが夜目に鮮やかで、娘のくすんだ金の髪や、汚れた身なり、怯えに潤んだ紫の瞳から浮いていた。
それでも猶、娘はたいそう美しかった。
汚れを落として着飾れば、王女とでも偽れる程に。
その貌ゆえに昔、娘にはたいそうな値がついた。
それでも猶、娘は逃げ出した。
贅沢な食事、豪奢な衣裳、甲高い嬌声の響く、白粉臭い館から
雷鳴に似た怒号があがると、娘は跳び上がるように走り出す。
怯えに凍りついた紫の瞳、恐慌に強ばった顔、
娘は走る、走る、走る
窶れた頬を紅潮させ、息を切らせ、喉が喘鳴を漏らせても。
娘を追う、声、声、声
下卑た声、下劣な声、まるで獣の咆哮。
階に脚を掛け、駆け上がろうとした娘の小さな耳殻に届いた渇いた音。
渇いて響いた一つの音、輒、銃声。
娘の薄い胸に紅の華が咲く。
膝から崩れ落ち、娘は階の半ばで倒れ伏す。
娘から溢れ出した命の紅の血は、階を赤々とつたい、脱げ転がった黒いフェルトの片靴をぐっしょりと濡らした。