第8章
ポッツォ監督は日本対イタリアの親善試合で、イタリア代表監督に急きょ就任した前後の状況について、次のように語っている。
「8月6日にイタリアサッカー連盟から呼び出しを受けて、8月7日に連盟本部に出向いたと私は覚えている。何でもムッソリーニ統領から8月5日に連盟の会長が呼び出しを受けたそうだ。そこで、このままベルリンオリンピックのサッカーが進むと8月15日にイタリアと日本で決勝戦を行うことになるだろう。これに勝てばいいが、もし負けた場合、イタリアサッカーは有色人種に敗退したという汚名を被ることになる、それは我慢ならん、従って、プロ選手を集めたイタリア代表と日本代表との試合を速やかに行い、イタリアサッカーが世界最強だと知らしめる必要がある、と統領は得々と会長に語られた、とのことだった。会長は全然準備をしていない状況で急に言われても無理です、と難色を示したそうだが、統領の私自らがイタリアのプロチーム全てに呼びかけるのだ、イタリアのプロチームは全て快く応じてくれるだろう、しかも、我々には世界最高の監督ポッツォがいるではないか、日本代表に勝てないわけはない、と統領に力説され、どうにも会長は断りきれなかったとのことで、私は急きょイタリア代表監督に就任することになった。そして、日本代表とイタリア代表との試合はいつですか、と聞いたら、8月22日にローマで行うことになった、と会長に言われた。私は無理もいいとこです、と会長に思わず言った。今から2週間ほどで、イタリア代表を急きょ編成して、アマチュアとはいえドイツ代表を9対0で叩きのめした日本代表に勝て、と言われて準備が間に合うわけがありません、と私は会長に力説した。日本代表の選手や監督、戦術等々をイタリアサッカー連盟は把握しているのですか、と私が質問したら、我々は情報を把握している、ベルリンの新聞やラジオでの情報は全て把握できたはずだ、と会長が言った。それで、他からの情報はないのですかと聞いたら、全くないと会長自らが答える状況だった。これで勝てと言われても勝てるのか、と私は不安が募る一方になってきた。実際、日本代表がプロのウルグアイ代表やアルゼンチン代表にオリンピック前に勝っていたという情報は、日本対イタリアの親善試合終了後にようやく私の元に入ってきた有様だった。そして、会長以下の連盟の首脳陣と私がイタリア代表の編成内容の打ち合わせをしていたら、イギリス対日本の準々決勝は日本が5対0で勝ちを収めたという情報が入った、。それで、イギリス対日本の試合に偵察は送っているのですか、と尋ねたら、会長は時間が無かったので送っていないとあっさり答えた、新聞記者が誰か行っているだろう、それから情報を手に入れればいい、と会長に言われて、これでは勝てと言われても自信はありません、負けても一切私の責任は問わないことにしてください、と私はとうとう会長に言う羽目になった。会長はいざとなったら、私を犠牲にすることにしていたらしく、何を言う、監督が敗戦した場合に責任を取らないで済むわけがない、と言い出した。私は、情報が圧倒的に不足しています、それに2週間で急きょイタリア代表を編成して、アマチュアとはいえドイツ、イギリス代表を圧倒した日本代表に勝てと言われても無茶です、それならば監督は引き受けません、と反撃した。会長と私の押し問答は、結局、9日まで掛かって、統領が介入した結果、会長や私の責任は一切問わない、負けたら責任は私に全てある、と統領が確約して文書に署名したことで落着した。ともかく、このお蔭で、さらに時間が無くなり、イタリア代表を指名して招集し、練習する時間は10日間ほどしかない有様で、日本との親善試合を行う羽目になった。」