第6章
1934年,1938年とイタリア代表監督としてワールドカップ連覇を成し遂げ、1936年に伝説となったローマでの日本代表対イタリア代表の親善試合でもイタリア代表監督として指揮を執ったポッツォ氏は晩年に1936年の日本代表を初めて知った時のことを次のように語っている。
「1936年に初めて日本代表のことを聞いたのは、実はラジオでなんだ。ベルリンオリンピックでもイタリア代表監督として指揮を執ってくれ、という話はあったのだけど、持病を当時、悪化させていて余り具合がよくなくてね。それで、自宅で療養していて、暇つぶしにラジオでも聞こう、ちょうどベルリンオリンピックのドイツ対日本のサッカーの試合があるな、ドイツが勝つだろうが、どれくらいで勝つかな、と思って、試合開始からラジオの実況中継を聞いていた。そうしたら、いきなり日本が先制点を入れるじゃないか、日本は予想よりも強いのか、と思って、熱を入れて聞き出したのだけど、前半終了までに3対0になったのにはびっくりした。これは、日本に対する認識を改めなければ、と思って、後半はより耳をそばだてて聞いていた。後半開始早々、日本のFWの相良がドイツDFを完全に振り切ってドイツのGKと1対1になったらしい、というのはラジオだから詳しい状況が今一つ分からないからなのだが、ともかくドイツのGKはこれ以上の失点はできないと相良にファウルをしてしまい、一発退場、ドイツは1人少ない状態で更に正GKを欠いて日本と戦うことになった。後はもうドイツ代表はサンドバック状態と言っても過言じゃない状況になったみたいだった。日本の全員攻撃の前に相次いで失点して、せめて1点でも取り返さねばと反撃に転じたら、そこを更に衝かれての悪循環になったらしい。というのも、イタリアのアナウンサーも余りの状況にショックを受けたみたいで、実況中継をとぎれとぎれに行う有様になっていたからだ。それで、聞いている私にしてみれば、いらいらして仕方がない状況だった。試合終了になった時、日本代表は9対0の圧勝を収めていた。いうまでもなく、ドイツ代表のホームゲームとしては空前絶後の大敗記録だよ。ドイツの国威発揚の筈が、全く逆の結果になってしまった。ショックの余り、会場内で亡くなった人まで出たと聞いたな。イタリアのアナウンサーも、「本当に信じられません。日本がドイツに圧勝しました。この結果を誰が予想できたでしょうか。」とアナウンスしていたと覚えている。そして、イタリアサッカー連盟に急きょ呼び出しを食らって、えらい目に遭うのだけど、ともかく、それが私が日本代表を初めて知ったときだった。」