第5章
右近徳太郎氏が語る。
「ベルリンオリンピックの初戦の相手はドイツで8月4日に行われたと覚えています。当日の朝に宿舎で新聞を幾つか購入してきたのを回し読みしたのですが、どこもドイツ有利、中にはドイツ必勝と書いてあるものまでありましたね。それを読んだ石川監督がにやにや笑っていたのを今でも思い出します。石川監督にしてみれば、孫子のいう「己を知り、敵を知らば百戦百勝」という名言のとおり、ドイツ代表は日本代表に丸裸にされて情報を熟知されているのに対し、こちらの日本代表はドイツ代表に全然情報を知られていないはずで、こちらが必勝と判断されていたのでしょう。何しろ報道陣完全シャットアウトということもあり、全くドイツの新聞記者たちは日本代表のことを知らなかったはずですからね。これまでの両代表の過去の経歴の差から、そう書かれたのでしょうが、こちらは過去とは全く違う面々がそろっているのに何を書いているのか、という思いだったのでしょう。
実際、私達はサブですから、観客席から試合開始から終了まで観戦したのですが、ドイツ代表が開始早々から慌てふためくのが目にとるようにわかりました。岡目八目の効果からよく見えたのもあったのでしょうが、ドイツ代表の攻撃を、鍋島さんが統率する日本代表の守備陣は全くこゆるぎもせずに受け止めるように見えました。そして、今だったら、ボール狩りと言われるのでしょうが、全員攻撃、全員防御をモットーとする日本代表はFWとDFの間がともかく狭い、下手にロングパスをドイツ代表が出すとすぐに日本代表のオフサイドトラップにかかってしまうのです。だから、ドイツ代表はロングパスを出したくても出せませんでした。一方の日本代表はショートパスを多用してカウンターアタックを掛けて、大友さんを司令塔に私たちがやられたようにドイツゴールに押し込んでいき、開始から5分ほどで相良さんが最初のゴールを決めました。それが、ドイツ代表にとっては本当に悪夢の始まりだったのでしょう。まさか、優勝候補の自分たちが5分もたたないうちに格下の日本に先制されるとは思いもよらないことだったのだと思います。ドイツ代表は、何としても逆転して勝利を決めなければと焦りだして前のめりになり、それは日本代表にとってはカウンターアタックの絶好機をドイツ代表側から与えてくれるようなものになり、前半だけで3対0と日本圧勝の状況になりました。最初は、観客席のドイツ人たちもドイツ、ドイツと普通に応援していたのが、前半終了の頃には悲鳴交じりになっていました。しかし、このころの日本代表には、武士の情けという言葉はありません。むしろ、手抜きをしたら却って相手に失礼だからとことんまで戦え、と石川監督は常に言っていましたし、レギュラー陣も戦場で相手に下手に情けを掛けたら自分たちがやられると私達に言う有様でした。だから、後半で起きた惨劇は当時の日本代表にとっては、当然の行動をとったまででした。