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第4章

 右近徳太郎氏は、ベルリンオリンピックの初戦までについて、次のように語っている。

 「東京を出発してからベルリンに到着するまでシベリア鉄道等を利用して2週間ほど掛かったと思います。その間、私達、サブの面々はそこまで緊張して努力していませんでしたが、レギュラーの面々はいかに体を維持するか、列車内でいろいろ苦心して工夫されていましたね。一方、石川監督や鈴木コーチらは、オリンピックに参加してきた各国代表の情報分析に必死になっていたそうです。何しろ、鈴木コーチによると各国ごとに資料が100ページ以上あったとか。ドイツやイタリアとかの優勝候補になると200ページはあったのじゃないか、という話です。石川監督がそれらの情報を持ち込んだそうですが、どうやって、その情報を集めてきたのか。石川監督は軍事機密だ、と言っていたそうですから、各国の大使館に駐在している駐在武官を使ったのではないか、と鈴木コーチは疑っていましたね。ともかく、その資料とその分析のおかげで、ベルリンオリンピック直前には、各国代表の選手や監督から戦術等々、それらを日本サッカーの首脳陣は熟知して参加することが出来ました。一方、日本代表の方は、レギュラーや監督がもともと軍人ということもあり、各国の代表は、日本代表のことをほとんど知らなかった。

 そして、ベルリンに到着したら、日本も含めて報道陣は全てシャットアウト、練習は全て非公開にして、私達サブを含めて、選手陣は特訓させられました。いろいろやらと特訓をしましたが、その中で今でも最も印象に残っているのは、サブとレギュラーとで紅白試合を行ったことです。いうまでもないことですが、サブのこちらが、こてんこてんにやられましたね。3試合やって、こちらは1点も取れずじまい、向こうは3試合合計で少なくとも20点は取っていたような覚えがあります。こっちのFWが川本さんを中心に一生懸命頑張るのですが、全部、鍋島さんと秋月さんを中心とする守備の前に跳ね返されるのです。一方、相良さんを切り込み隊長にした大友さんを中心とする攻撃の前に、こちらのDF陣はズタズタにされましたね。試合後、反省会を開くのですが、私達は頭を抱え込むしかなくて、どうやったら勝てるかどころか、どうやって1点取ってレギュラーに一矢報いるか、という話までしました。そして、川本さんは相良さんに、私は大友さんや鍋島さんに、GKの佐野さんは秋月さんにそれぞれが指導を乞うという感じで、サブの面々はレギュラーの方々に指導を受けました。本当に貴重な体験になったと思います。

 当時の日本チームの戦術ですが、WMシステムを破るために石川監督が開発した3-4-3システムでした。日本人の体格から1対1では中々勝てないという判断から、全員攻撃、全員防御を行い、大友さんが攻撃の司令塔になり、鍋島さんが防御の司令塔を務めるというやり方でした。でも、これは大友、鍋島というどちらか1人でもワールドクラスで通用する司令塔を2人も持っていて、しかも2人が息の合った連携が取れていて、レギュラー陣もその連携や指示等を存分に活用できる人材を揃えていたからこそできた戦術です。だから、鈴木さんも私も、理想の戦術として憧れた戦術ではありましたが、実際の日本代表監督になった際は、とても実際の日本代表の戦術としては採用できませんでした。

 こうした下準備を整えたうえで、初戦のドイツ戦を迎えたわけです。」

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