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第12章

 ポッツォ氏は、8月22日にローマで行われた日本代表対イタリアプロ代表との試合について、次のように語った。

「ベルリンから強行軍で帰って、自分や偵察員が見たものをコーチ以下のスタッフ陣に伝え、対日本戦の戦術を急きょ練ったよ。センターハーフを相良へのマンツーマン防御に専念させ、こちらもカウンター攻撃に徹するというのが、私の基本的な構想だったのだが、問題はそれに適当な選手を招集していなかったことだった。センターハーフ役が攻撃の起点も務めるというのが、メトドのメリットなのだが、そのために却って、センターハーフとして考えていた選手に、相良のマンツーマン防御を安心して任せられる選手がいなかったのだ。それに、当時の相良はまだまだ無名のストライカーだった。だから、相良へのマンマークを指示された選手の方も、監督は大げさに考えすぎではと内心では思っていたのだと思う。また、多くの代表選手が自分たちはプロであるとして慢心していた。

 一方、日本代表の方は、メトドシステムの長所、短所をキチンと把握していた。そして、各選手の特徴から、私の指揮の癖まで石川監督以下の日本代表の首脳陣には知られていたように思う。

 だから、試合開始のホイッスルが鳴った後、日本代表の隙を見て、イタリア代表が、私の指示を半分無視して、攻撃に転じたのは、止むを得ないことだったのかもしれない。それくらい、日本代表の隙は自然で、罠には思えなかった。だが、それは日本代表が周到に準備していた罠への突撃となった。イタリア代表が攻撃を行うことは、相良をフリーにするリスクを覚悟することだった。そして、イタリア代表がその突撃を行うことは、鍋島=秋月を主軸として準備万端に整えられた日本の鉄壁の守備を何としても正面から突破する必要があるということだった。大波が押し寄せるようにイタリア代表は猛攻を加えたが、その隙は計算された隙である以上、日本の守備は崩せなかった。英仏百年戦争でフランスの誇る騎士団が、イギリスの長弓隊の前にクレシーの戦いで虐殺された時のことを垣間見る想いさえ、私は一瞬したよ。私は、落ち着いて守備に徹しろ、と大声で何度も選手に指示を出したが、プロの自分たちが崩せない守備はない、と却って選手たちを早まらせてしまったようだった。一方、日本側は、フリーの相良を切り込み隊長に巧みなカウンター攻撃を行い、確実に2点入れてきた。その時点で、イタリア代表の選手たちは、ようやく我に返ったようだったが、こうなったら、点の取り合いで勝つしかないと逆に腹をくくってしまったようだ。私が前半終了後にカウンターに徹しろ、と指示を出した際には、選手たちから、このままでは勝てませんし、1点でも取らないと観客に顔向けできません、と口々に反論されたよ。実際にこのまま日本代表に守備に徹されたら、イタリア代表が敗北するのは明らかだった。だから、後半開始直後から、イタリア代表の選手たちは、またも日本代表に猛攻を加えた。だが、それは選手の疲労を増す一方で、着実なカウンター攻撃の嵐を受けることにもなった。そして、後半も終わりに近づくにつれ、イタリア代表選手の動きは確実に鈍くなり、日本代表の総反攻が始まった。最終的には7対0の大敗だった。私の監督史上最大の、そして、イタリア代表のホームゲームでも未だに記録として残る伝説の大敗になったんだ。」

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