第10章
ポッツォ監督は8月15日のベルリンオリンピックの決勝戦を観戦したときのことを次のように語っている。
「何しろ急にイタリア代表監督に指名されて、代表選手を指名して招集して、といった大騒動だ。本当を言うと、観戦しに行くかどうかはかなり迷ったのだが、実際に日本代表をこの目で見たうえで、対策を考えたいという思いが勝った。それにプロ選手というのはプライドが高い。実際にすぐに来た選手からは、日本?どこの国です?オリンピックでドイツとイギリスを破った?所詮はアマチュアの代表団です、世界最強の我々ならば鎧袖一触です、という声が上がる有様だった。これは、私が実際に観たうえで日本代表対策を考えた方がいいと思い、ベテランの偵察員2人と一緒に決勝戦を観戦することにし、代表選手の練習はコーチ陣に一時、任せることにして、ベルリンに向かった。
それで、決勝戦で日本代表を初めて観たのだが、その個々の選手のレベルの高さには驚いた。全員、セリエAでレギュラーが務まるレベルで、特に相良、大友、鍋島、秋月の4人は10年に1人、いやそれ以上の逸材だった。しかも、全員同じチームで長年やってきたこともあり、見事に息があっている。この頃に全盛期だったユヴェントスを圧倒できる力量を日本代表は持つ、と私は視たし、他の偵察員2人も同様の意見だった。更にもう一つ、問題があった。私の方針もあり、当時のイタリア代表はメトドというツーバックシステムの流れをくむWWの陣形を組むシステムを採用していたのだが、これは、当時の日本代表の採用していた3-4-3システムと極めて相性が悪かったのだ。具体的にいうと、センターハーフがセンターバックを兼ねるやり方で、日本のセンターフォワードの相良は、こちらのセンターハーフがマンマークすることになるのだが、相良のマークを余り重視すると必然的にこちらの攻撃が半身不随というと大げさだが、センターハーフが攻撃の起点として機能しない以上、攻撃がうまくいかなくなる。かといって、相良は世界史上屈指のエースストライカーで、しかも当時は絶頂と言っても過言でない実力を誇っていた。だから、中途半端にマンマークすることなんてできはしないんだ。イタリアのセンターハーフが相良の対処に苦慮するのが観客席からも分かった。最終的にマンマーク重視の判断をするのだが、この判断が遅すぎた。それまでに相良はハットトリックを決めていて、日本代表はイタリア代表のセンターハーフが相良に関わる以上、イタリア代表の攻撃は大したことにはならないと見きったのか、全員攻撃に転じてきた。試合終了のホイッスルが鳴った時、イタリアは7対0の大敗を喫していた。日本が代表団一体となって歓喜の渦を巻き起こし、誇らしげに金メダルを授与されるのを観て、日本の国歌が流れるのを聞きながら、私は偵察員2人と対策に頭を抱え込んだのを今でも思い出すよ。」