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プロローグ

 全く同じ出来事であっても、見る人によって意見が違うことはよくある。これもその1つといえば、その1つといえる。日本では「ベルリン(・ローマ)の栄光」という呼称がよく使われる出来事ではあるが、ドイツでは「ベルリンの悪夢」という呼称が一般的な出来事である。イタリアでは「ローマで悪魔が起こした奇跡」という皮肉な呼称が使われることさえある。

 1938年のワールドカップ制覇を見据えて3年計画で強化を図ってきた日本サッカー協会はその前哨戦として、1936年のベルリンオリンピックに代表団を送り込んだ。そこで、日本代表団は世界サッカー史上に21世紀まで憧憬の眼差しで見つめられる結果を挙げた。だが、日本代表団は結果的に1938年のワールドカップに出場すらできなかった。なぜなら、日中戦争から第二次世界大戦への流れは、1938年のワールドカップ出場を最終的に日本サッカー協会に断念させるものだったからである。

 そして、第2次世界大戦が終結した後、1936年にベルリンオリンピックで活躍した日本代表団のレギュラーは誰一人生き残っていなかった。彼らは、皆、戦場で散っていたのだ。第2次世界大戦終結後に初めて行われたワールドカップの開会式で、FIFAの会長はあいさつの一節の中で次のように述べた。「オリンピックは平和の祭典と言われますが、ワールドカップも平和の祭典です。第2次世界大戦で亡くなられた多くの方々、中でもかつての各国の代表団の一員で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。特に1936年のベルリンオリンピックで活躍し、1938年のワールドカップ出場を目前に控えていた日本代表の方々、その方々が誰一人として、この場に来られず、皆、戦場で亡くなられたということについては、本当に何とも言えない想いがこみあげてなりません。」その挨拶を聞いた会場内は、第2次世界大戦の悲劇を、特に日本代表団の運命を想い、すすり泣きの声に満ちたという。

 日本サッカー史上、いや、世界サッカー史上において、21世紀にまで語り継がれることになった栄光と悲劇。それについて、あらためて、述べたいと思う。

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