魔王城と約束
「魔王様!勇者が攻め込んできましたぞ!!」
王の間に転がるように駆け込んできた配下。その報せに、側近達がざわめきだす。
「おのれ忌々しい勇者め!」
「卑しい人間の分際でこの魔王城に踏み込むなど!」
一気に殺気立った魔族達は、今にも勇者の首を狩りに向かおうといきり立っている。
そんな中、玉座に悠然と腰かける魔王は、静かに立ち上がった。
「静まれ。」
魔界の絶対的な支配者にして、最強の名を侭ほしいままにする暗黒王。
全てが屈する主君の命令に、皆一様に口を閉じる。
漆黒の衣をたなびかせ、夜色の双眸を開いた魔王は、誰もがその挙動に注目する中、氷の様な声で呪いの言葉を口にするのだった。
「しつけえんだよクソ勇者が!!!」
ほろりと、年老いた側近の目から涙が零れた。
「あのさ、勇者だから魔王倒さなきゃいけない君の事情も分かるよ?でもさ、流石に週五で魔王討伐はやり過ぎじゃない?苦学生のシフトじゃないんだからさあ。百年前の勇者なんか年に一回しか来なかったよ?ここ三百年はそのくらいがスタンダードだったのに、君ときたらこの一カ月間毎日毎日!魔王だって王様だよ?忙しいんだよ分かる?今週中に<吸血鬼の為の献血会>のお知らせ作らなきゃいけないってのに!君が来るたびに大事な書類はぐっちゃぐちゃ。魔界国憲法第一章にも<不要な殺生は止めようね!>ってあるから、今までの勇者は優しく人間界に還してきたけどさ。そろそろいい加減にしないとぶっ殺すぞこの餓鬼が!」
「はい喜んで!!」
勇者の嬉しそうな返事が王の間に木霊する中、魔王は思わず戦慄した。
鎖でぎちぎちに拘束された青年は、少しの怯えも見せることなく、むしろ恍惚とした表情で、魔界の頂点たる魔王に微笑みかけている。その背後では、勇者を食い止めようと奮闘した配下達がぼろぼろの身体を引きずって、焦げ付いた玉座を磨いていた。ついでに、魔王に哀れみの視線も送っていた。
「貴女に縛られて罵倒されて、その上甚振って貰えるなんて!ああなんて幸せなんだろうか!」
「嫌だ怖いよこの子!やっぱり変態なの?マゾなの?魔王様は女王様じゃありませんし魔王城はSMクラブじゃありませんのでさっさと帰れ!」
魔王ルシファーナは、魔剣の切っ先を床に打ち付けながら、有らん限りの声で叫んだ。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
思い返せば一カ月前。巫女と女剣士を伴って、この貴公子の様な容姿の勇者が、我が魔王城へ踏み込んだことから悲劇は始まった。
歴代の勇者と比べても飛び抜けた実力を持つこの男、名はアレクと言うらしい。彼は卓越した剣術と高位魔術で以て、我が配下を悉く退け、魔王たる私の下まで辿り着いた。
本来私は戦いを好むタチではないが、勇者の侵攻を食い止めるのも魔王としての務めである。いつもの様に魔剣を振り翳し、二度と魔界に来て欲しくはないので、トラウマになるほど打ちのめした後に、人間界へと優しく送還してあげた。ちなみに魔王就任から五百年、未だに無敗である。
我ながら良い仕事をしたと悦に浸っていたのも束の間、勇者はその三日後に、再び魔王城へ特攻してきたのだ。しかも単身で。
中々に骨のある勇者だと感心した私は、玉座まで辿り着いた彼を、もう一度叩き潰してあげた。ぼろ雑巾のようになった勇者を人間界へとキャッチアンドリリースするだけの、簡単なお仕事である。
またしてもつまらぬ者を斬ってしまった、と格好付けては書類仕事に精を出す私であったが、次の日も魔王城を襲撃した勇者を見て、思わずお茶を噴き出してしまった。
魔剣でぼろぼろにされた筈なのに、何事もなかった様に衛兵をふっ飛ばす男を見て、側近達は口を揃えて「あいつほんとは魔族なんじゃね?」と呟いた。
気付けばほとんど毎日特攻してくる勇者に、魔王城は恐怖に染まりはじめる。トラウマを植え付ける筈が、逆に植え付けられてしまうとは恐ろしい人間である。なまじ強い所為で配下では太刀打ち出来ず、被害額は徐々に膨らんでいった。
そして、勇者アレクの襲撃が十回目を迎えたとき、私の怒りは爆発した。
「おい、勇者よ。貴様は何度、この魔王に倒されれば気が済むのだ。」
魔剣を勇者の喉に突き付け、私は精一杯、魔王らしく男を脅した。
思えばそれが初めて勇者に放った言葉だった。何度倒されても向かってくるこの勇者は、余程この魔王が憎いらしい。さぞ恨みの籠った言葉が返ってくるのだろうと思っていた私は、次の瞬間、思わず魔剣を取り落してしまったのである。
「貴女が私を愛してくれるまで。」
「私の帰る場所はいつだって貴女の傍です、ルシファーナ。貴女から受ける痛みさえも愛おしく、貴女にならこの命を差し出しても良いのです。そう、貴女が望むなら世界を滅ぼしても構わない。」
「最後のは魔王の科白だと思うんだお姉さんは。勇者が言っちゃいけないと思うんだ。」
すっかり魔王の威厳も無くなってしまった私は、それはもう酷く嘆息した。
このアレク君は、小指でドラゴンを倒せちゃう暗黒系魔王であるこの私が「大好き」らしい。そんな馬鹿な、と言いたいところだが、毎度魔王城を殲滅する勢いで攻め落としてくる彼は、色んな意味でやばかった。
「貴女に出会うあの時まで、私はただ剣を振るうだけの人形でした。勇者などと持て囃されても、所詮はただ敵を斬るだけの駒。どれほどの価値もありはしません。けれどそれが、貴女の冷酷なまでの強さに打ちのめされて、初めて歓喜に震えたのです。ああ、私は貴女に出会う為にこの世に生を受けたのだと!」
「君は多分ジョブを選び損なったんだよ。今からでも遅くないから<詩人>に転職してきな。きっと世に残る大作を残せるから。」
薄ら寒い言葉を滔々と並び立てる彼の瞳は、紅潮した頬とは裏腹に、底なし沼のようにどろりと濁っていて、この魔王が恐怖覚えるほどだ。
こんな熱烈な告白は生まれて初めてなのだが、何故だろう全く以てときめかなかった。煤だらけの床を磨いていたゴブリン達がそんな勇者を見て泣き出したのだから、私が枯れている所為でないことは証明されている。
人間とは言え下手な淫魔よりも美しいこの青年は、さぞ人間界でモテたことだろうに。どうしてここまで屈折してしまったのだろう。もしかしなくても私の所為なのだろうか。
「貴女と剣を合わせている瞬間、貴女と繋がっている瞬間が、何にも代え難く愛おしい。ねえルシファーナ、どうしたら貴女は私を愛してくれますか。貴女の剣に貫かれれば、貴女は私を愛してくれるのですか。ねえ答えて下さい、ルシファーナ。」
敗者である筈の勇者は、有無を言わせぬ口調で私を詰問する。何故だか、背筋を何度も悪寒が走った。
「ねえどうしようケリー。この子怖すぎてやばいんだけど。助けて。」
「無理無理。そいつもう人間のレベル超えちゃってるもん。もうこの世で魔王様しか勝てないと思う。」
「何それもう勇者じゃなくて魔王じゃん。」
背後に控えたケルベロスに、小声で助けを求めるも、さっくり見捨てられてしまった。魔王の人望なんてこんなものである。
「ケリーなら何とかなるって。魔界のナンバー2なんだし。」
「そりゃ勝てないこともないだろうけど、確実に殺し合いになるから嫌だ。ほら、魔界憲法は守らないとさ。」
「てめえケルベロス!憲法なんて守ったことないだろうがこの野郎!主の危機にその身を投げ出すぐらいしてみせろよ!それでも魔王の右腕か!減給すんぞ!!」
白々しい言い訳をする右腕の胸倉を掴んで、ぐわんぐわんと揺さぶる。もはや私の味方は相棒の魔剣ちゃんぐらいなものだ。
ああ、泣きたい。だが、状況は私に泣く暇も与えてはくれなかった。
「私のルシファーナに触れるな殺すぞ。」
ひゅん、と風が凪いだと思った瞬間、先ほどまでケルベロスが立っていた場所には、光り輝く聖剣が突き刺さっていた。
私が掴んでいたケルベロスの襟巻がはらりと落ちて、場は一気に静まり返る。振り返ると、鎖の残骸を纏わせた勇者が、不意打ちを紙一重で躱したケリーを、もはや人間には見えない眼光で睨んでいた。
「ケケケケリーちゃん!大丈夫!?」
「大丈夫だけどこいつ、封印の鎖を素手で引きちぎったみたいだな。俺怖いから帰るわ。」
そう言って引き留める間も無く消えたケリー。絶対減給してやると呪詛を送ると、再び勇者と相対した。気付けばケリーだけでなく、掃除をしていた配下達までもが消えていた。本当に薄情な奴らだ。
「ねえ、答えて下さいルシファーナ。どうすれば私を愛してくれるのですか?」
かしゃん、かしゃんと、ばらばらになった鎖を振り落としながら、彼は同じ問いを繰り返した。
「何度も言ってるけどな、私は恋人なんて作る暇はないんだ。魔王は世襲制じゃないから、ちょっとの隙に下剋上される。そもそも君とは種族が違うのであって、あっという間に爺さんになる君と番うことは出来ない。分かったらさっさとお家に帰んなさい。」
実を言うと、この男のことはそれほど嫌いではないのだが。何せ魔界の頂点だから、まともに戦える相手というのはごく僅だ。しかしアレクが来るようになってから、久しく持つことの無かった魔剣を毎日のように振るえて、少し嬉しかったりもする。だが、それは決して彼が好きだということではない。
(ああ、そうか。)
この男を説き伏せる、良い言葉が思い浮かんで、思わず口角が上がった。
嘘を吐くようで心苦しいが、最も効果的な条件には違いない。
(これで新しい恋に目が向くと良いのだが。)
哀願するような顔で見つめる男に、私は一つの言葉を与えて、送還の陣を展開するのだった。
「あんなこと言って良かったの?魔王様。」
「何だケリー、帰ったんじゃなかったのか。」
無人となった王の間に、呆れたようなケリーの声が響き渡る。
「流石に主人を置いて帰んねえよ、隠れてただけ。それよりも、もしあの勇者が魔王様の言った条件を満たしちまったらどうすんの?」
あいつなら不可能じゃない気がするんだけど。そう言って私の安易な発言を諌めるように、右腕は眉根を寄せた。
「まあ確かに、あの子はとんでもないけどな。でも人間の寿命なんてあっと言う間だろ?後は老いるだけ。魔族でもない限り、絶対に無理さ。」
「うーん…まあ、それもそうか。」
「あ、それとおまえ、明日から減給だから。」
「えっ?ちょっと意味分かんないんだけど!」
番犬が吠えるのを無視して進む私は、ようやく肩の荷が下りたことに安堵して、久々に清々しい気持ちに浸ったのだった。
「君が私より強くなったら、君を愛してあげよう。」
彼女は未だ知らない。
それから勇者アレクが、神の血を啜って不死を手に入れることも。
千年後、彼の手に囚われることも。
「待っていてね、私の愛しい魔王様。」
何も知らないのだ。
あっさり終わってしまいました。もっとこってり書きたかった。