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~ある少年の初陣~後編

「くっ!」


 バシュッ!


 まどかの手から放たれた一本の雷撃を纏った矢が白い靄――霊――を貫き、霧散させる。

 更にすぐに背中から矢を取り、繰り返す。


「一体じゃなかったの……!?」


 若葉色の長袖のシャツに紺のロングスカート。そして手には弓を持っている。まどかは戸惑いの声を上げながらも、必死に戦っていた。

 すでに六体ほど消滅させた。が、まだ十数体残っている。

 突然背後から襲われ、何とか矢で射抜き倒したが、相手は一体ではなかった。初の実戦、そして当初の予定とは違うことに驚愕と恐怖を感じたが、彼女はそれらを押さえ込み退くことはしなかった。――彼女にはパートナーがいるから。

 そこに――


「ごめん! 大丈夫!?」


 焦りの表情の良治が合流し、声をかける。ここまで全速力で走ったので少し息が切れていた。

 彼はまどかの隣に並ぶと霊たちに視線を固定する。


「うん、大丈夫。……でも」


 まどかも視線を霊達に向けてしゃべる。まさかこの場面で敵を視界から外すような馬鹿な真似はしない。

 既にこの場は普段子供たちが遊ぶようなただの公園ではない。彼と彼女にとって最早死地。一瞬たりとも集中力を欠くことなど出来ないのだ。


「なるほど、一体ではなかったと。どうする? って、倒すしかないんだよなぁ」


 ため息混じりに言う。報告書が違うからと文句は今言っても意味がないし、予定通り一体倒したのでこれでさよならということも出来ない。

 報告書の不備に頭を痛めながら気持ちを切り替える。

 初めての実戦での予想外の出来事。それに困惑したり焦ったりするものだが、良治はそれを頭の端に追いやって思考を今現在目の前に存在する霊たちに向けた。それは彼の長所と言えるだろう。


「だけど一体一体は弱いから二人でならすぐに倒せると思う」

「了解。じゃ、行きますか」


 結局やるしかないのだ。

 それを合図にして二人で駆け出そうとした瞬間。


「――な!?」


 周囲の空気が一変し、二人の足が止まった。一帯の大気が汚染され黒く汚染されるような感覚。二人の身体に寒気と怖気が駆け巡った。

 灯りの届かない霊達の奥に、一つの人影。暗闇の中のさらに濃い闇。


「なに、あれ……」


 まどかが呆然とした声で言う。『だれ』ではなく『あれ』と。

 言っているまどかもわかっているのだろう。

 あれが、人間ではないということに。


「まったく、私の部下をあまり消さないでいただきたい」


 それは足音もなく近づいてくる。思考回路が上手く回らない。完全に思考停止状態に陥っていた。

 元々圧倒的だったプレッシャーがさらに強くなってくる。


「ああ、申し遅れました。私はガシャウス。魔族です」

「――――!」


 二人の顔色がさらに悪くなる。それは思考外にあった最悪の状況。


 魔族。別世界の住人。その力は人間を軽く越える。目撃件数は非常に少ない。その原因は圧倒的な力を持っているため生き残ること、逃げることが難しいためだ。


 とても新人二人でかなう相手ではない。

 緊張が走る。嘘だと思いたいが、その人間とは一線を画す濃密な瘴気がそれを否定させる。


 その反応に気を良くしたのか、近づきながらさらにガシャウスがしゃべる。


「君達は組織の人間ですね? ご丁寧に結界まで張ってこんなことをする人間はそれくらいしかいない」


 そして、心許ない灯りの差す、顔が見える位置まで近づいてきた。

 ガシャウスは普通のサラリーマンのように見えた。が、そう見えるだけだった。たしかに、ネクタイのないスーツのような服をきているが、青い顔、黒く濁った目、緑色の長髪は人間とは程遠い。


「まったく、部下を増やそうと思って来たら逆に失うことになるとは」


 言葉とは裏腹に悠然と言う。

 魔族から見れば人間などただの捕食動物に過ぎない。その態度は当然のものだった。


「……どういうことだ?」


 良治が絞り出すような声で聞く。まどかよりも先に精神面を立て直した彼が出来ることは、まどかが立ち直るまでの時間稼ぎ。目の前にいるガシャウスという魔族は、圧倒的な立場を確信してるが故に口が軽くなっているように見えた。ならば。


「この公園には素質のよさそうな霊が居たんですよ。私はその霊と契約する為に来たんです」

「契約?」

「ええ。私の力を貸す代わりに配下になってもらうというものです。その方法で部下になったのが彼らです。君達の言う『悪霊』になるわけですね」

「……………」


 二人共黙る。聞いたのは良治だが、正直どうにもならない。もし何かこの場を打開するような情報があればと思い聞いただけ。

 まどかはまだ足が竦んでいるようだったが、これ以上時間稼ぎは難しいと判断した。


「さて、お話はこの辺でお終いです。それでは、部下の礼をしますか」

(く……しかたない、やるだけやってみるか)


 良治が腹をくくり、身構えたその時。


 ドン!!


 何の脈絡もなく何かが落ちてきた。


「「「……は……?」」」


 三人共あっけにとられる。

 落ちた場所はほんの数メートル脇の芝生。

 もうもうと上がる土煙の中から現れたのは――


「い、痛かったよ~」


 情けない声を上げた天使だった。

 白いワンピースのような服。背中には純白の羽。腰には細身の十字剣。流れるような金の髪に澄んだ青い瞳。力いっぱい「私は天使です!」と力説しているかのような格好。素晴らしい美少女。

 そう、彼女は紛れもなく天使だった。


 パティシアーノ・ロベール。階級は最も低い「天使」。

 彼女――パティ――は上級天使の命によって地上に降りることになった。

 本当なら優雅で静かに、正に天使と呼ぶに相応しく降りてくるはずだったのだが。


「けほっ、けほっ……うう、ホントに痛かったぁ……」


 台無しだった。服も羽も流れるような金髪も土で汚れてしまい、青い瞳には涙が浮かんでいた。


「あれ……?」


 やっと三人に気が付いたようだ。その三人は突然の出来事に硬直してしまっていた。あの先ほどまで余裕の態度だったガシャウスまでもだ。

 この状況で動じないような太い神経は誰も持ち合わせていなかった。


「あの、何してるんですか……?」


 驚きと戸惑いが混じった声で聞いてくる。それを聞きたいのはどちらかというとこっちなのだが。


「!」


 その声で三人は緊張を取り戻し、同時に後ろに跳んで間をとる。


「へ?」


 まだ状況が飲み込めていないのか、間の抜けた声を出す。


「まさか、天使が来るとは予想外ですね……」


 さっきまでの余裕はどこへやら。やや緊張した面持ちで言う。

 魔族と天使は気の遠くなる程の歳月の彼方から敵対しているのだ。その因縁は語り尽くせない。


「あの、何しに来たんですか?」


 ガシャウスとは対照的に、まどかが呆れた声で聞く。良治としてもそれは聞きたいことだったので推移を見守る。


「あ、えっと……そうです! 悪霊がたくさん集まってるってことで浄霊しに来たんですよ!」

 ぱん、と手を合わせて何故か嬉しそうに言う。そのまままどかに向かって、


「あの、すいませんけど、悪霊って見ませんでしたか?」

「えっと」


 まどかと良治が同じ方向――ガシャウスの前にいる悪霊――に指さす。


「あっ! こんなとこに悪霊が!!」

「「「うわおそっ!!」」」


 思わずガシャウスも揃って突っ込む。


 ――……天然……?――


 期せずして、三人の頭に同じ言葉が浮かんだ。


「ようし、それじゃあ新しく覚えた術で浄霊させましょう!」


 張り切って言うと、人間には発音できない声で言葉を紡ぐ。


「はっ!」


 言葉が終わると同時に、悪霊が光に包まれる。

 そして――

 光が消えた後には何も残っていなかった。


「すごい……」

(すごい……)


 まどかは声に出して、良治は心で呟いた。

 人間の術者では非常に難しい出来事。複数の霊を一つの術で纏めて浄霊するなんて、出来るとするならば日本では東北にある霊媒師同盟の盟主だけだろう。


「……ふぅ、どうでした!? 覚えたばかりでちょっと不安だったんですけど成功しました!」


 やったぁ、と子供のように嬉しさを爆発させる。外見では少女だが、天使の年齢などわかるわけがない。


「……はっ!」


 今まで見とれていたのか、ガシャウスが短く声を上げる。


「私の部下が! くっ、その天然天使のペースに思わず見過ごしてしまったじゃないですか!」


 ぐぅ、とうめき、よろめく。ふらふらとしながら片手で顔を覆う。


「え? 私の部下って…?」


 見ること十秒。


「ま、まままま、魔族っ!?」

「「「またかよっ!!」」」


 期せず再び三人でハモる。


 ――こいつ、間違いなく天然だ――


 そしてもう当たり前のように同じ言葉が浮かぶ。


「まったく、こんな天然天使に邪魔されるとは……!」


 ギリ、と歯を鳴らす。天使が来るのも予想外ならその性格も予想外、そしてその結果部下を全滅させられては怒り狂うのも無理はない。


「三人とも、嬲り殺してあげましょう!!」


 激高したガシャウスが大地を蹴って走り出す。

 パティに向かって。


「はああぁっ!」


 拳打と蹴りを連続で繰り出す。――が、


「死ぬーっ! 助けてーっ! 殺されるーっ!」


 その全てをひらりひらりと躱わしていた。恐るべき身体能力。


「……すごいな」

「うん……」


 二人は天使と魔族のある意味ハイレベルな闘いを眺めていた。とても無駄な動きが多いのだが、そのせいで動きを予測・捕捉することが難しいらしくガシャウスの攻撃が悉く当たらない。


「「――はっ!」」


 二人とも正気に戻る。一方に緊張感が全くなかったので、つい命懸けの勝負の最中という現実を忘れてしまっていた。


「何してるんだ俺!?」

「そうよ、助けなきゃ!」

「援護頼む!」


 良治は返事も待たず、刀に手を掛け走り出した。

 二人の戦闘に割ったところで何が出来るか解らない。足手纏いにしかならないかもしれない。それを理解したうえで、彼は真っ直ぐ前方を見据えた。





「――ちっ!」


 気配で気付いたのか、ガシャウスは舌打ちをしながら間合いを取る。

 そこで良治とパティが合流する。


「とりあえず一緒に戦って欲しいんですけど、いいですか?」


 良治がガシャウスから視線を外さずに言う。

 先程の言動からして利害は一致していると踏んでのことだ。


「あの、私の仕事はもう終わってるんですけど……」


 困った顔と仕草で言う。

 そういえば彼女の目的はあくまで『悪霊の浄化』だった。目の前の魔族は目的外のことだというのだろう。


「ふざけるなっ!」


 突然ガシャウスが吼える。


「絶対に逃がすものかっ!」


 目をギラつかせ、口調も変わっている。当たり前だがどう見ても怒り狂っている。今までとは身体から発散される気迫の濃度が違う。

 目的を達成したので帰ります、貴方に用はありませんというのは通らないようだ。


「無理だと思いますけど?」

「……みたいですね」


 諦めた表情でため息をついた。どうやら逃げるのは無理と悟ったようだ。このままだと何処までも追いかけてきそうで終わりが見えない。

 実際それは無理な相談だった。既にガシャウスの中には最初に相手していた良治たちよりも、後から来て悪霊たちを一掃したパティのほうを邪魔者として認識している。


「それじゃ……行きますよ!」


 良治の声を合図に、同時に走り出す。


「はっ!」


 良治が気合いと共に刀を横に薙ぐ。

 左からすぐ横でパティが十字剣を突き出す。

 だが緑髪の魔族はそれらを後ろに下がって簡単に避ける。


「ふっ!」


 今度はガシャウスから踏み込んで拳を振りかぶる。標的は――良治。

 それは冷静さを取り戻した証拠。良治はパティを狙う隙を突こうとして、半歩遅れてガシャウスの意識から意図的に外れようとしていた。しかしそれを看過された。


「くっ!」


 予想外の攻撃をかろうじて後ろに躱わし、体勢を何とか戻そうとする。が、そこ


に、


「甘い!」


 さらに踏み込んで回し蹴り。流れるような動きに対応出来ず、


「ぐうっ!」


 ガシャウスの魔力の込もった蹴りを左肩に喰らい、回転しながらうめき声を上げて数メートル吹っ飛ばされる。

 さらに追撃しようとするところに天使が邪魔をする。


「ちぃっ!」


 上段からの剣の一撃を避け、別方向から良治を狙う。しかしそこに、


「がああぁぁぁっっ!」


 死角からの不意打ちに思わず振り向く。そこには弓を構えたまどかがいた。今の矢には『力』が込めてある。いくら魔族といえども痛くないわけない。そしてまどかは既に次の矢をつがえている。


「貴様から殺してやる!」


 腕に刺さった矢を抜きながらまどかに向かって走る。

 まどかが矢を放つ。足を狙ったその攻撃をかろうじて横に避け、止まりかけた足を動かす。

 一瞬止まった隙を付いてパティが間に入り、剣を振るう。


「ちっ、邪魔だ!」


 それを止まることで躱わし、腕を横に振り払い薙ぐ。


「きゃあぁぁっ!」


 どっ、という音とともにもんどりうって倒れる天使。

 魔族が目をまどかに戻す。距離はもう五メートルもない。さらにまどかは矢をつがえていない。ただ無表情にそこに立っているだけだ。


「なんだ……?諦め――」


 諦めたのか、と続くはずだった言葉を止めたのは、良治の渾身の一撃だった。


「ぐぬううぅあぁぁっ!?」


 背後から体重をかけた大上段からの一撃。それはガシャウスの背中を深く切り裂くものだった。

 痛む身体を無理やり動かして振り向き、魔力を込めた拳を打とうとする。


「おのれえぇ……!」


 が、それよりも早く。

 体勢を立て直した良治の刀が、ガシャウスの身体を貫いていた。


「な、ぜ……」


 村雨に貫かれたままのガシャウスの身体が、足のほうから塵になっていく。

 魔族の最後。それは死体すら残らず全てが塵となり消えるという。まさかこの目で見る日が来るとは思っていなかった。


「こん、な……人間と天然天使ごときに……!」

「誰が天然っ!?」


 良治の後ろでパティが抗議の声を上げる。が残った二人はその通りだと思ったので頷く代わりにため息をついた。


「このまま、終わってたまるか……!」


 もう下半身は塵と化し、なくなっている。全てが塵になり消えるまでもう時間はないだろう。

 しかしその眼光は衰えていなかった。


「――!?」


 瞬間、良治は嫌な予感がして離れようとする。が――


「逃がすか!!」


 ガシャウスはまだ残っている両手で良治の肩を掴む。


「なっ!」


 まずい、と本能が警鐘を鳴らす。

 下半身がないため完全にこちらにもたれかかる様な姿勢で、振りほどけない。更に悪いことに良治の両手はガシャウスを貫いた村雨を握ったままだ。


「良治!」


 まどかの切羽詰った声がする。


「その身体、もらった!!」


 間に合わないと感じつつも急いで村雨を手放して魔族の両腕を振りほどこうとする。しかし結果は覆らなかった。

 良治にはガシャウスの身体から黒い何かが出てくるのが見えた気がした。






 ガシャウスの身体が完全に塵となる。と、同時に良治の体勢が崩れる。とっさに、まどかが良治を支える。

 良治は何の反応も返さない。瞳も、なにも映していない。


「まずいですね」


 パティが良治の瞳を見ながら言う。


「あの魔族が彼の中に入ったんです。……今、闘っているんだと思います」


 暗い表情で言う。それはもう結果のわかった勝負だとその表情が語っている。


「次、気が付いた時にどっちになっているかです。心の中で負けるということは、魂の消滅を意味しますから」

「そんな……」


 天使は良治から目を背け、逆にまどかは良治の顔を見た。

 まだ知り合って一日も経っていない少年。しかし彼女には掛け替えのない『パートナー』。


「戻ってきてよ……!」


 そこに、さらに重い口調で天使が話す。


「残念ですが、その、人間では無理だと思います。精神レベルで人間が魔族を跳ね除けた、というのは聞いたことがありません。こうなってしまうと、ほとんどの場合新たな魔族となります。良くても、発狂してしまうでしょう」

「…………!」


 もう、言葉は出なかった。その代わりに一滴の涙が出た。





「ふん、ここがあの人間の心の中か」


 薄暗い空間を、魂だけとなったガシャウスは移動していた。

 目的地は心の中心部。そこを壊せば終わる。

 そして、いくばくも行かないうちに到着した。人間・魔族・天使、どの種族でも精神世界はほとんど変わらず、実に単純な作りになっている。

 そこには白く輝く球体が浮かんでいた。


「さて、壊しますか」


 手に魔力を込め、球体を握り締める。

 そして、いともあっさり粉々に砕ける。


 ――はずだった。


「な、なに……!?」


 たやすく壊れるはずの球体には、ヒビ一つ入っていなかった。

 ガシャウスがさらに力を込める。しかしびくともせず、ヒビの入る様子すらない。


「馬鹿なっ! なぜ、なぜ壊れん!? いくら力が半減したからといっても、たかが人間の魂を壊せないなどありえん!!」


 ――簡単なことだ――


 声が聞こえた。それは魂の声。ガシャウスの周り全てから聞こえてくる。

 冷たい声にガシャウスが震えた。先ほど戦っていた相手とは思えなかった。


 ――俺の精神力の方がお前の精神力より上だというだけだ――


「なっ……!? ありえん! 人間が魔族の精神力を超えるなど……!」


 ――もし、俺が人間でなかったら?――



「な、んだと……?」


 ――話をするのも飽きた。そろそろ消えてもらおう――


 絶対的な力が周囲に満ちる。明瞭な殺気。それを跳ね除けるだけの力を今のガシャウスは持っていない。


 ――お前は邪魔だ―――


「まさか、ま――」


 次の瞬間。ガシャウスは光に飲み込まれ、消えた。断末魔の声すら上げる暇もな


く。







「――――ッ!!」


 暗闇の公園に声にならない声が木霊する。何者かが消滅したのだと感じるに足るものだった。

 突然、良治が立ち上がり、ふらふらとよろけだす。

 一度目を閉じた天使が、目を開くと同時に静かに剣を構えた。


「……まずいですね」


 支えていたまどかを跳ね除け暴れはじめた良治を睨みながら、まどかに声をかける。


「そんな……!」


 息を呑む。

 そんな二人の前で良治は変わっていった。言葉通りに。

 全身が一回り大きくなり、黒かった髪が白く変わっていく。そして、纏う空気も先ほどの魔族のような禍々しいものに変わっていく。その瞳の色は金色。もう、人間ではない。


「はぁ、はぁ……」


 息が段々と整っていく。そこに、


「すみませんが、今のうちにトドメを刺させて貰います!」


 言葉と同時に駆け出し、構えた剣を良治に向かって繰り出す。

 しかし、あっさりと避けられ、逆に剣を持っていた右手に手刀をくらい剣を落とす。それをゆったりとした動作で良治が拾い、言葉を発した。


「俺ですよ、俺。良治です」

「は……?」


 パティが呆けた声を出す。


「だ・か・ら、良治です。……そういえば自己紹介なんかしてませんでしたね。俺は柊良治です。よろしく。貴女は?」

「あ、はい、私はパティシアーノ・ロベールっていいます。長いので『パティ』って呼んでください……って、魔族に名乗ってどうするんですか私っ!」


 気付いて思わず自分に突っ込む。


「見事なノリツッコミだな……さすが天然」


 聞こえない程度の声で呟く。

 そこで一息ついて、まどかのほうを向く。


「まどか、詳しい事情話したいんだけど?」

「え、あ、うん、わかった」


 ようやく我に返ったまどかが良治に駆け寄る。


「あ、危ないですって! ちょっと!」


 駆け寄るまどかを見て声を上げるパティ。まだ危険でないと確定したわけではないのだ。理性を保っているように見えても姿形は魔族のそれなのだ。


「大丈夫だって。目を見ればわかるわよ」


 もう完全に安心しきった顔で返事をする。良治の瞳は先ほどのまま。しかしそれでも全幅の信頼を取り戻していた。


「とりあえず話だけでも聞いて欲しいんだけど。ほら、こっちに座って」


 良治が芝生に向かって歩きながら手招きをする。寂しそうな、それでいてさっぱりとした表情だ。


「……はぁ、わかりました……話だけなら」


 パティは抵抗を諦めて芝生へと歩き出した。






「まず、最初に言っておきたい」


 元の姿に戻った良治が二人に向かって切り出す。


「俺は、人間と魔族の混血(ハーフ)だ」

「――――!」


 衝撃的な言葉に二人の目が見開かれる。


「父親が魔族なんだけど、顔も覚えちゃいない。母親はちょうど十年前に殺された。魔族によって」

「…………」


 二人は黙って真剣に聞く。立て続けの衝撃的な言葉に声を失っていたが、それでも彼の言葉に耳を傾ける。


「その時俺も殺されそうだったんだけど、南雲師匠に助けられたんだ。そんな訳で白神会に入って今に至る。……ま、そんなとこかな?」


 良治は極めて簡単に話を終わらし一息ついた。

 無論今言ったこと以外にも紆余曲折あって白神会に所属し、そして白神会に入ってからも多くの出来事があった。しかしそれは大筋にはあまり関係のないこと、暗い話を続ける趣味のない彼は意図的に短く話を打ち切った。


「えっと、ごめんなさい。誤解してましたね、私……」


 悲しそうな、申し訳なさそうな表情でパティが頭を下げる。


「いや、いいって。詳しいこと知らなかったし。……それよりもごめん、まどか」


 落ち込んでいるパティにわざと明るく声をかけ、今度は良治がまどかに頭を下げる。

 ん?と首をかしげるまどか。


「パートナーだからこそ言っておくべきだったなって。まどかは俺のこと信用してくれてるのに、俺は表面だけだった。ごめん。本当に、すまなかった」


 ああ、と、さっき変貌した良治を信用したときのことを言っているのだと思い当たった。

 あの状態の彼をそう簡単に信じるものはほとんど居ないだろう。それも魔族に乗り移られたと誤解されかねない状況、まさに魔族化した彼をどんな根拠で信じたのだろう。


「もういいって。その代わり、これから私を信用してくれない?」


 ちょっと照れながら言う。

 実は彼女には明確な根拠などなかった。敢えて言うなら殺気を感じず、禍々しい気配の中の根源に彼の魂の部分を微かに感じたからだ。そして瞳の中にある感情を読み取っただけに過ぎない。


「……ありがとう」


 尽きぬ感謝とともに、そう答えた。

 今まで初対面で信じてくれた人は今までで二人。まどかで三人目。何十、何百と人と会ってきたがたった三人しか居なかった。それだけに良治にとって衝撃的だった。


「あ、そういえばあの姿に変わると具体的どうなるの?」


 先ほどのやりとりに照れて、話題を変える。


「具体的には、髪が白くなって身体が一回り大きくなる。それに瞳の色が金色に。あとは全体的に『力』が強くなる。……そんなとこかな?」

「じゃ、これから仕事の時はずっとそれでいいんじゃない?」


 そのほうが楽だし、と付け加える。


「うーん、無理だな、それ。結構身体に負担がかかるんだ。変わると、その後体調が悪くなるし」

「そっか、そう都合よくいかないかー」


 がっかりした表情で、ため息をつく。

 正直体調が悪くなる所ではない。変わっている時間によるが、長時間変わっていれば下手すれば数日寝込むくらいにがくんと崩れる。


「そういえば私、天使なんてはじめて見たわ」

「あ、俺も」


 今度は居心地の悪そうな表情のパティに話を振る。

 良治に対して悪いと思っているのを引きずっているのを見かねたのだろう。


「そうですね。基本的に人間界には来ませんから。今回みたいなことがない限りは」

「なるほど。目撃例が少ないわけだ」


 あごに手を当て納得する。 

 確かにそういう理由なら理解できる。

 天使の目撃例など世界全体でもほとんどない。歴史上記されているのはほんの数例だ。

 しかしパティのような天使を見ると、もっと目撃例があってもいいような気がした。


「じゃ、私そろそろ帰りますね」


 そう言ったのはパティだった。

 目的を終えた今、長居する理由はない。良治の件も害はないと判断したのだろう。


「ああ、お疲れ様。手伝ってくれて助かった」

「うん、ホント助かったわ。ありがとう」


 二人で感謝の言葉を送る。彼女が居なければこの初仕事はこなせなかったのは明白だった。


「まぁ、そこはお互い様ということで。それではまた逢えることを祈って」


 そう言うとパティが翼をはためかせ、空に舞う。そして、中空で光に包まれ――


消えた。


 光の残滓を見送った二人はあくびをしながら大きく身体を伸ばした。


「疲れたな」

「疲れたね」


 同時に声を出し、一瞬後、ぷっ、と同時に吹きだした。


「まったく何やってるんだか……さて、帰りますか」

「ええ、そうしましょ」


 良治は全てを話してはいない。

 そしてまどかもそれに気付いていた。


 星明かりの下、黒衣の少年とポニーテールの少女は並んで歩き出す。


 そして。闇に融けるように、消えた。






「どうでした?」


 上座に座る隼人が孝保に尋ねる。


「はい。立派に初仕事をこなしてくれました。ただ、予想外のことも起きましたが」

「そうですね、まさか天使や魔族が絡んでくるとは思いませんでしたね」


 そこで一息つく。

 魔族と天使が同時に出現するなど予想外もいいところだ。誰にも予測出来ることではなかった。


「だが、それも乗り越えた。あの二人は将来有望ですね。これからいくらでも伸びるでしょう。もしかしたら私や貴方よりも」

「そうなると私達以上に過酷な目に遭うこともあるかもしれませんね」


 硬い声で言う。

 お互い大きな戦いを経験している。それ以上のことがまだ若い彼らに訪れることを考えて声に悲しさが宿った。


「もうすでには動き始めている。……まず五年以内に大きな動きを見せるだろう。それまでに有望な人材を育てなければならない。……八年前と同じように」

「…………」


 孝保は俯いて黙る。

 八年前の大戦。多くの仲間が傷つき死んでいった。その中には孝保の妻や隼人の父親も含まれている。


「まだ良治くんは自分の寿命を知らない……しかしこれから先戦っていくなら教えたほうがいいのかもしれませんね」

「……はい。良治は強い。自暴自棄になることはないと思いますが、刹那的な生き方に偏ってはしまうかもしれません」


 良治は自分の寿命が普通の人間より短いことは知っていた。しかしその正確な年数までは知り及ぶところではなかった。


「持って二十歳というところ。目的を果たすまでには短すぎる。これから相当の苦労と苦痛を味わうことになるでしょうね」

「はい……。自分の出生に歪まず、真っ直ぐ育っているだけに本当に残念です。解決する方法もほとんどない。私は引き取ってから今まであの子を本当の息子のように思っています……だからこそ悲しい」


 今にも泣き出しそうな悲痛な表情。それは白神会の退魔士としてではなく、一人の父親としての感情。痛いほどの感情が隼人にも伝わった。


「せめて目的を果たし、悔いのない人生を送れるようにお願いします。それとあと一つ」

「……はい、なんでしょうか」

「柚木まどかを東京支部所属とする。……お願いします」


 真剣な口調。それはこれから先の死なずに生き残るための術を叩き込んで欲しい、そんな願いの込もった言葉。


「はい、了解しました」


 返事をして部屋から立ち去る。その表情を一言で表すなら『決意』。


「もう繰り返させんぞ、羅堂(らどう)


 白兼の殺意の込もった呟きを聞く者はいなかった。






拙作をお読み頂いた皆様方ありがとうございます。少しでも面白いと思って頂けたら幸いです。

この話は今後に続く物語の序章です。まだまだ語られていないものが多いですが、それも少しずつ解っていくものと思います。


次から主人公は良治ではなくなりますが、よろしければまたお読みいただけると嬉しいです。

それでは近いうちに。

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