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金色(こんじき)の炎  作者: 秋山草介
9/13

1、アルバイト募集(9)

光の眩しさに耐え兼ね、目を開く。しばし呆然とした。天井、電灯、布団、テーブル、カーペット。全て毎日見慣れた光景。自分の部屋で、秋雄は横になっていた。

 身体を起こす。下腹部辺りに鈍いしこりのような違和感がある以外は、目立った痛みは無かった。身に着けている衣服は、倒れた時と変わっていない。隙間から光が差し込むカーテンを開く。初夏の早朝の光景が、ガラスの向こうに広がっていた。

(なんだったんだろう)窓枠に両手をつきながら秋雄は述懐する。衣服が同じという事は、恐らくあれから余り時間は経っていない。誰が自分を家まで運んだんだろう。あの男だろうか。

男。そうだ、あの男。奴は何者なんだ。ようやく見つけた犯人なのか。いや、あの怪物は何だ。自分の幻覚?幻覚じゃない、痣もある。では、あの男は?俺を殴ったのは、銀色の長髪、女?男の仲間?男、あの男は本当にあの時の犯人なのか。見間違いじゃない証拠は?

 一つの疑問がねずみ算式に疑問を招く。その全てに答えを見出す事など、今の秋雄に出来るはずも無く、やがて深いため息が漏れた。壁に掛かった時計を仰ぐ。2本の針は6時5分を示し、デジタル表記の画面は日付が一日進んでいた。家族は誰も起きていないだろう。そこへ、昨夜の夕飯を食べ損ねた胃袋が空腹を訴えた。

朝食を待ちきれず、適当に台所を漁ろうとドアへ歩きながら両手をポケットに突っ込む。財布と携帯電話は入ったままになっているのを確認し、アタッシェケースを探す。テーブルの上に置かれているのを見て、安心して昭雄は1階へと向かった。

 台所の棚にあった菓子パンと、冷蔵庫のスポーツドリンクを胃に納めてから、玄関に向かう。サンダルを突っかけ、外の新聞受けへと向かう。ドアを開けると、早朝の冷気が、全身をなでる。新聞受けから半分はみ出ている、ビニールに包まれた新聞を引きずり出す。そこへ、足元に何かが滑り落ちた感触があった。チラシでもはみ出したか、そう思い覗き込むと、茶封筒が1通、落ちていた。封筒の左下には、ロゴのようなものが印刷されている。ゴシック調の太字で、『椿市立大学』の印字があった。

 学生課に未提出の書類でもあっただろうか。何気なく拾い上げ、気付いた。何も書かれていない。切手も貼られていない。封筒を裏返す。御堂秋雄様、と左下に印刷された文字が並んでいた。奇妙に思いながらも踵を返し、家へ戻る。居間へ入りテーブルに新聞を投げ出すと、ソファに座り封筒を破る。入っていたのは一枚の紙切れと、カラーコピーのA4サイズの地図だった。

紙切れを開く。たった一文が、印刷されていた。

『お互い、納得のいく説明が必要でしょう。本日15時、同封の地図に記された場所でお待ちしています』

 硬直した手から、紙が滑り落ちる。まず頭に浮かんだのは、財布の学生証の有無だった。すぐさまポケットの財布を引っ張り出し、開いた。カード入れの一番上に、見慣れた学生証が収まっていたのを確かめ、安堵のため息をつきながら財布をポケットに戻し、床に落ちた手紙を拾い直す。再び文面を辿りつつ秋雄は思った。

 住所と名前、これは財布を漁って知ったのだろう。では、これはどういう事だ。テーブルに置かれた封筒に目をやる。大学からの合格通知や必要書類の送付で何度も家に届いた大学公式の封筒。市販されていないこれを、どうやって手に入れたのか。

 幾らでも考えられる。大学から直接盗んだ、ロゴの印刷用データをハッキングした、だが、問題はそれを一晩で行い、新聞配達より早く家のポストに放り込む芸当をして見せたことだ。

 示威行為。それだけの事が出来るという脅しのつもりか。さらにいえば午後2時という時間を指定してきたのも、秋雄が今日取っている講義は午前中までという事を知った上での選択と考えるのが妥当だろう。

 不思議と恐れは無かった。むしろ、望むところだ、と思う気持ちが強かった。冷静に考えれば、人外の化け物に襲われ、命の危機に陥ったばかりだというのに、秋雄の頭を占めているのは、あの時の命の恩人の個人情報をどう暴くかという考えのみだった。

元々、幼い頃のおぼろげな記憶である以上、改めて思い返しても同一人物である確証が今の秋雄には無かった。しかし、秋雄の中のもう一つの声がこうも囁いてくる。間違い無い、本人だ、と。

それに比べれば、あの触手の塊のような生物が宇宙人のペットだろうが突然変異のナメクジだろうが一向に構わなかった。

「上等だよ」一人呟く。目の前の男の幻影に向かって、意志を込めた眼差しを突きつけた。

2階に戻り、手紙と地図をアタッシェへ放り込み1階に戻ると、台所へ向かう母と出くわした。

「あら、もう起きたの。大丈夫なの、歩いたりして?」

「ん、ああ、大丈夫。」

 そういえば、気を失ったあの後、どうやって家まで辿り着いたのだろう。尋ねようとするより先に、喜久子が口を開いた。

「あんた昨日ビックリしたんだから。大学の職員の人があんた担いで来たとき何事かと」

「・・・その職員の人って、男の人?」

「そうよ、眼鏡かけた痩せた人。割と優しそうな顔だったわね」

「何て、言ってた?」

 何にも覚えてないの、と呆れ顔で前置きした後、喜久子は続けた。

「昨日の晩に、あんた背負った職員さんが、息子さんが大学で頭打って気絶したからって送ってくれたのよ。今日ちゃんとお礼言ってくるのよ」

「・・・わかってるよ。ところで、その職員の人、見覚えなかった?」

 返ってきたのは、訝しげな表情だった。

「無いわよ、そんなの。初対面に決まってるじゃない」

「・・・そう」

「どうかしたの?」

「いや、何でもない」

「本当に大丈夫なの?病院、いく?」

「平気だって」思わず腹を撫でる。気のせいかパンチを喰らった箇所が痛み始めた気がした。

「そう、ならいいけど。けど、あんたもドジねぇ、階段から転ぶなんて」

「いや、つい、うっかり」

 喜久子は台所の冷蔵庫を開いた。

「あら、卵もう無いわ、買ってこなきゃ」

 もし、今母に、実は昨日ナメクジの化け物に食い殺されそうになり、手から伸ばした魔法の剣で救ってくれたのが祖母を殺した殺人犯だった、などと告白したらなんと言ってくるだろう。居間のソファに座りながら、ふと秋雄は思った。

 間違いなく病院行きだな、そう思い、改めて今の自分の立場が如何に異常かを思い知らされた。あの怪物は何だろう。男の正体も気になるが、あの怪物に対する疑問も今また膨れ上がってくる。聞いたことも見たことも無い、人一人引きずり倒す膂力を備えた肉の蔓を操り、暗黒で塗り固めたような皮膚を滴らせる、大人の体躯に比肩する体格。人を躊躇なく襲う凶暴性。昔テレビの再放送で見た、数十年前の特撮番組に出てきても違和感はなかった。

 祖母殺しの犯人と瓜二つの男に、常識外れの生物の襲撃。盛り沢山にも程がある。自分が昨日まで身を浸していた常識と平穏の世界はどこへ行ったのだろう。ため息をつく秋雄に、焼いたベーコンの香りが纏わりついてきた。

 程なくして起きだした、今にも泣き出さんばかりの表情でしきりに兄に健康状態を問いただす妹を適当にあしらいながら、秋雄はいつもより大分早く家を出た。こちらを気遣う妹を御しかねたというのもあるが、妹の、茅の顔を見ている内に、昨夜の怪物が今度は我が家を襲うかもしれないと考えが頭をよぎり、腰が落ち着かなくなったのが本音だった。狙われるのは、自分だけで充分だ。知らず知らずの内に歩調を速めながら、秋雄は思った。

 大学に着いたのは、いつもより1時間近くも早い7時頃だった。鳥のさえずりが響く無人のキャンパスは、青空の下でもどこか陰気に思えた。今日は1コマ目が無いので、2コマ目が始まる約3時間半を潰さなければならないが、さすがに二度寝には長すぎた。

駅前の繁華街にでもいけば良かった。考え無しに大学行きのバスに乗った事を後悔しながら、正門から本館まで続くレンガ道をだらだらと歩いていく。が、1,2分歩いた所で唐突に学習意欲が完全に消え去った。

 命狙われた次の日から真面目に勉強。そこまで勉学に勤しみたくないし、何より、今の心境で何を言われても頭に入るとは思えなかった。

 駅前の本屋かゲームセンターにでもいこう。そう思いながら回れ右をする。目の前に人が立っていた。

「うわっ」思わず仰け反る。正面に立つ人物は、身じろぎもしない。

「す、すいません」反射的に頭を下げる。見覚えのある銀色が、目に飛び込んできた。

驚嘆と呆然が混じった、間の抜けた表情で視界のピントを修正する。

 秋雄より頭一つ半は下回る身長に、あまり凹凸が目立たない華奢なボディラインを黒のポロシャツとジーパンで覆った姿は一見すれば少年のそれと見間違えそうになるが、ゆるくウェーブのかかったロングの銀髪が、雄弁にそれを否定していた。

 朝陽の黄金色の光線で、一瞬の煌めきをみせる月光のような銀糸の波が、わずかに風にそよいでなびく。煩わしそうにそれをかき上げ、改めてこちらを見つめ返す双眸も、刀剣のような冷ややかさを思わせる銀色だった。

「近すぎる」

 唐突に、血の色が透けたような唇が日本語で言い放つ。

「・・・え」

「近すぎる、離れろ」上司が部下に命ずるように、はっきりとした口調だった。

「あ、はい・・・」思わず秋雄も敬語で応じる。後ろ足で3歩ほど後退してみせると、

「よし」どうにか許可が出た。

 状況を飲み込めず、2,3秒呆然とした後、自分が彼女の進路を塞いでいる事に思い当たり、慌てて秋雄は横へずれ、恥ずかしさから多少早足で歩き出した。秋雄の足音に重なるように、彼女のスニーカーだろうか、もう一つの足音も聞こえてきた。

 見かけない顔だ、秋雄は歩きながら思った。最も、在籍している学生だけでも1000人を軽く超えるこの大学の生徒の顔を全て把握している訳ではないから確かな事は言えない。しかし、あれだけ目立つ姿ならそれなりに周囲の耳目を引くはずだ。特に、あの銀髪。そういえば昨日見たような。

 銀髪。脳裏に浮かんだその単語と昨夜の記憶が結合し、身体が即座に反応した。踏み出した右足を軸に回れ右を行なう。目の前に、さっきの少女がいた。

「近すぎる」ぽかんと口を開ける大学一年生に、少女は冷静な口ぶりで現状を指摘した。

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