1、アルバイト募集(8)
声が聞こえる。男と、もう一人。
「・・・社長、今回のテリトリー内の反応、全てクリアしました。広域、及びチーム単位の精密サーチ、共に二度の確認作業完了」女の声。若い感じがする。
「テリトリーレベルとクリア対象のレベル差異は?」
「誤差0.02です」
「ほぼ一致だね。結構だ」
「社長、彼は?」
「ああ、どっちだと思う?」
「分かりません」
「たぶん、当たりだよ」
「そうですか」
「・・・興味、ない?」
「はい」
「・・・あ、そう」
数歩分の足音がする。
「君、大丈夫かい、意識ある?」
「無理もないな。奴ら弱い分、声量だけは無駄にあるからね。間近で聞けば卒倒の一つや二つ・・・」
朦朧とした意識、ぼやける視界の中央に、男の顔が大写しになる。どこにでもいそうな、線の細い顔つき。初対面の人間に、警戒ではなく安堵を与える雰囲気を持つ穏やかな印象の相貌。
恐ろしかった。
人外の魔物をたやすく打ち滅ぼしたからではない。
手から黄金の刀を生み出したからでもない。
その顔。今秋雄を見つめる、気遣わしげな表情を浮かべる顔かたちが、何よりも恐ろしかった。
「・・・し」我知らず、震える唇が言葉を発していた。
「え?」
「・・・ろ・・・し」一度口をついて出た言葉は、もう止まらなかった。
「君、大丈夫か?」男の口調が多少、真剣味を帯びたものになる。
俺はお前の正体を知っている。男がその右手を光で満たした瞬間、克明に照らし出されたその風貌。秋雄は彼を知っていた。遠い昔に、知っていた。
「リコリス、ここから一番近いチームは?」
「バーソロミューです」
「そうか、悪いがバートに連絡してくれ。『種子体』一名を発見するも軽度の負傷。至急・・・」
「ひとごろし!」秋雄はそう叫ぶと共に、ふらつく足取りで立ち上がっていた。
「やっと・・・やっと見つけた・・・」
連日のように続いた事情聴取。何度も何度も繰り返し語った忌まわしい記憶。脳内で蘇るその光景をたどりながら絞り出す一言一言が、ヤスリのように心を磨耗させていった。
よく分からなかった。真っ暗でよく見えなかった。大人達の穏やかな、それでいて子供でも分かるほどの苛立ちを薄皮一枚で誤魔化した質問の嵐にたどたどしく答えながら、たった一つ確信を持って言える事柄があった。
「お前が・・・」
目、鼻、唇。無数のパターンから組み合わせ、その成果は何万枚もコピーされ、無数の人々の視線を浴びている。男と同様の、あるいはそれ以上の惨劇を引き起こした者達のそれと組み合わされて。
「お前が・・・」身体が震える。真っ直ぐに立つ事ができない。今夜の異常事態が原因か、あるいは怒りか。もしくはもっと別の何かだろうか。
連日のように訪れていた警察の人間も、年を経る事にその回数を減らしていき、最後に訪れたのはいつだったか、もう覚えていない。それでもどこかに発見や目撃、あわよくば逮捕の知らせがないかと新聞やインターネットでそれらしき記事を探しては落胆する、そんな毎日の連続だった。
だが、ようやく見つけた。それも、自分の手で。これで終わる。終わるんだ、やっと。
「お前が殺したんだ!ばあちゃんを!」
拳を振り上げる。憎き敵の顔面に一撃を叩き込む。その試みは、棒立ちになっている男の頬に触れる紙一重の所で阻まれた。
「・・・?」身体が動かない。動かない、というよりも四肢に力が入らない。ふと、腹の辺りに違和感を覚え、視線を向けると、男のものではない細腕が、秋雄の鳩尾に正確なストレートをめり込ませていた。
次の瞬間、腹部から吐き気にも似た不快な痛みがじわりと全身に広がり、それと同時に肺の中の酸素が開いた口中より吐き出されていく。情けないあえぎ声と共に秋雄の意識は燃え尽きる寸前のロウソクのように徐々に闇に沈みこんでいき、崩れゆく秋雄の体躯が起こした僅かな風圧で、月光を編み上げたが如き銀髪が、ふわり、と、僅かに揺らめいた。
「・・・・・・リコリス」
「必要と判断しました」
「指揮車に連絡、想定事項A―3発生。・・・車を誘導してくれ」
「了解」体重を感じさせない、軽やかな駆け足が遠ざかってゆく。それに重なるように微かな衣擦れの音と、金属の擦過音が響く。煙草の僅かな灯火が、男の横顔に深い陰影を浮かびあげ、たゆたう紫煙が虚空へと静かに伸びてゆく。
「逃れられない、か・・・」
そっと、呟く。右の手首に着けられた腕時計のメタルバンドが、鈍く輝いた。