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金色(こんじき)の炎  作者: 秋山草介
4/13

1、アルバイト募集(4)

バスに乗り込む。最後尾から三つ目、右の窓際。入学式から変わらない秋雄の定位置だった。

 妹の表情を垣間見てから、何か、罪悪感のような息苦しさを感じた。その得体の知れない何かから逃れたい一心で、スマートフォンをスリープモードから起動させる。電話帳の知人友人にかたっぱしからメールを送る。どうということは無い朝の挨拶程度の内容の送信にひたすら没頭する。何でもいいから気を逸らしたかった。

 メールを送る。受信する。それにさらに返信。大学前のバス停まで30分弱の間、受信フォルダ2ページ分は楽に消費していた。画面上を滑る親指の動きをようやっと止めたのは、次は椿市立大学前、のアナウンスだった。

 慌てて降車ボタンを押す。窓から見える学び舎のシルエットが、バス停まであと数分も無い事を教えていた。

 定期を財布に仕舞いながらバス停へと降り立つ。交通の便だけはいいよな、そう思いながら1分後には大学の正門を潜っていた。

 秋雄がこの大学を選んだのは、特に興味のあった学問があったからではない。とりたてて将来への目標も無く、かといって直ぐに就職、というのもしっくりこなかった。正直な話、まだ学生でいたかった、というのが本音かもしれない。学部も文学部を選んだのも、一番定員数が多かったからという理由だった。

 足を止めた。サークルの募集、落し物の届け等が無節操に張られた掲示板にざっと目を通していく。割のいいバイトでもないかと思ったが、それらしいチラシは見かけなかった。

「おっす、御堂」横合いからの声に振り向く。

「誰だお前」警戒の表情で秋雄は言った。

「誰だじゃねえだろ、友達に向かって」不貞腐れた表情で、ジーパンとTシャツ姿のラフな格好の、秋雄と同年代であろう青年はいった。

「そう言われると、どっかで見覚えが・・・」

「おっ、そうだろそうだろ」

「あーダメだ、やっぱ思い出せない」

 このやろ、と秋雄にヘッドロックをかける。天野恭一、大学で知り合った友人の一人で、秋雄に今日の昼食を奢る運命を背負った男でもあった。

「お前がこんな時間に来るなんて、雪が降るなこりゃ」そう言いながら秋雄は天野の腕を振りほどく。

「へっへっへっ、大学まで徒歩3分は伊達じゃないよ」たっぷりのワックスで固めた流行りの髪型を揺らしながら天野は頷く。

「くそっ、俺も早くバイト探して家出たいぜ」秋雄の乗るバスは、朝一番の講義に間に合おうと思ったら今の便しか間に合うものがない。

「女呼べるような部屋じゃないけどな、さて、同士御堂、例のブツは?」

「おお、同士天野、ここにあるぜ」秋雄はアタッシェケースを開き、一冊のノートを取り出す。

「ありがてぇ、では・・・」手を伸ばす天野。が、その手は空を切る。

「おっと、待った」ノートを天野の手の届かない高さに掲げる。

「何だよ?」

「昼飯、何を奢ってくれるのかな?」秋雄は悪人の笑みを浮かべて言った。

「・・・『どくだみ』のラーメン!」

「さよなら、教授にぶっ殺されろ」

「わかった、チャーハンもつけるから」

「さーて、ロビーで2度寝すっか」

「よし、チャーハン大盛りにしよう!」満面の笑みで叫ぶ。それを無視して秋雄はキャンパスへとさっさと歩いてゆく。

 ラーメン屋『どくだみ』。近隣住民も恐れて前も歩かぬと評判の不味さを誇る脅威の店舗である。天野恭一、大学一の味オンチとして名が知られている男だった。

その後、天野とひとしきり味覚の一般的概念について討論した後、結局学食の300円定食で手を打った。議論に勝って値段に負けた、予習範囲が書き込まれたノートを片手に足取りも軽く24時間稼動のコピー機へ向かう天野の後ろ姿を見ながら、微妙な敗北感だけが残った。

 校舎本館へ入る。地元では随一の面積を誇るだけあって、20ヘクタール余りの敷地に講堂や事務関係の部署が入る本館、講義の大半が行われる講義棟、教授や理工学系の研究室が詰める研究棟、図書館、博物館、体育館等々の施設が点々と配置されていた。

 本館の玄関を入って左にしばらく歩く。懇談室と名づけられ、学生達が通称ロビーと称するスペースには、ソファやテーブル、椅子、ベンチが大量に配置されており、それらは本館内だけでなく、ガラス戸を挟んで本館の中庭にまで張り出すように並べられていた。

 秋雄は中庭の方へは行かず、冷房の効いた屋内側のソファの一つにアタッシェケースを投げ出し、それを枕に横になった。

 1限目のある日は、講義の始まるまでの空いた時間を懇談室で寝て過ごすのが秋雄の日課だった。分かるか分からないかの感覚で肌に触れる人工の冷風が、たまらなく心地よい。閉じた目蓋を引き上げるのが、ひどくおっくうになるのに時間はかからなかった。

 世界が、揺れた。

 即座に意識が覚醒する。弾かれたバネの様に飛び上がって周囲を見渡す。周囲に何一つ変わった所はない。地震ではないようだ、ではなんだろう。

 奇妙におもいながらも、寝起きの気の抜けた表情で、とりあえずソファに腰を下ろす。

 再び揺れた。が、周りは相変わらず変化が無い。と、ようやく察した。

「根性悪いっすよ、先輩」

 振り向いてソファの影を覗き込む。茶髪のボブカットが一人、蹲っていた。

「ちぇー、もうバレちゃった」悔しげな表情で立ち上がる。薄手の半袖のワンピースに身を包んだ、先輩と呼ばれたその女性は、女子大生としては、かなり体格が幼かった。

「次やったら、今度から“145センチの剣菱先輩”って呼びますよ」

「いいもん、そしたら秋雄君の事、ロリコンって皆に言いふらすから」

 ソファの背もたれによりかかりながら腕を組み、剣菱ゆかりは子供のような無邪気な笑顔で秋雄の社会的抹殺を予告した。

「・・・ワルだ」

「ありがと」回りこんで、ゆかりは秋雄の隣に座る。

「先輩、今日早いですね」

「うん、秋雄君に一日でも早く会いたくって」

「・・・用件を聞こう」渋面で言った。この人は男の操縦法を心得ている。三ヶ月の付き合いで得た唯一の教訓だった。

「朝一の講義のノート見せてくれたらゆかり、とっても嬉しいなって思うの」小首を傾げて上目遣い。必勝パターンで落とした男は星の数。

「・・・学食の杏仁豆腐ドンブリ盛り310円」

「ぶー、ケチ。学食のプリン」

「あれ100円じゃないすか、天野は300円出しましたよ」

「あ、ひどーい。天野君の方が安いじゃない」上目遣いの眉が段々せり上がってくる。

「10円違いじゃないですか」

「・・・ケチのロリコン」そっぽを向いて呟く。そろそろヤバイとやはり経験で学んだ秋雄はやむなく折れた。

「分かりました、プリンでいいですよ」

「50円のラスクでもいい?」とびっきりの笑顔に、秋雄は軽く両頬をつねる事で答えた。


「業突く張りのロリコン!」と背中に罵声を浴びながら秋雄は歩く。ノートは貸し出し中だというと、取りに行って来いの鶴の一声だった。

(俺、貸す側なのにな)

釈然としないながらもコピー機の置いてある売店へと向かう。さすがにこの時間は閉まっているが、コピー機だけは売店のシャッターの外側にあり、誰でも利用する事が出来た。

通路の向こうから、人が歩いてくる。予想通り天野だった。

「あれ、今返しに行こうと思ってたのに」

「先輩も貸せって。早くしないと俺、ロリコンになる」仏頂面の秋雄を見て天野の顔がにやける。

「ああ、剣菱先輩か。そりゃ急がなくっちゃな」

 ありがとな、の一言と共に差し出されたノートを受け取る。

「参ったぜ、予習してないと全然授業分からんからな」

「先輩、お前みたいにバイトしてる訳じゃないんだから自分でやればいいのに」

「男を食い物にする悪女ってか?」にやけ顔を崩さない天野の台詞に、思わず噴出す。

「あの幼児体型でか?ないない、それは無いって」

「並んで歩いたら間違いなく職質食らうよな」

 ゆかりのデート相手が必死に警官相手に弁解する姿を想像し、二人並んで笑いを堪える。

「くくく・・・あ、やべ」秋雄の肩越しに視線を向け、天野が顔を青くする。

「何だよ」秋雄が振り向く。

 椿市立大学で屈指の低身長かつ幼児体型の二十歳が立っていた。仮面のような笑顔で。

「面白そうだね。私も混ぜてくれない?お兄ちゃん達?」最後の一言は特に力強く。

 後に天野は語る。

「30分その場で正座って、他の連中からじろじろ見られるんだよ、やっぱり。けど、それが段々楽しくなってきて、最終的にはもう、ご褒美?って感じで」

 天野恭一、一人の先輩によってマゾの気質に目覚めつつあった。


 時計が9時を回った。校内のそこかしこの教室で1時限目が一斉に始まる。

 講義棟の2階の一角、朝一の講義で眠たげな顔ばかりの学生達よりさらに眠たげな表情の老教授が壇上に立ち、挨拶もそこそこに小林多喜二の作品とその人間性について喋りだす。抑揚というものが無い機械的な語り口に耐え切れず、次々に机に突っ伏してゆく学生多数。特に気にするでもなく講義を続ける姿は、無関心というよりも、それ自体が一個の機械の如く見えた。

「知ってるか?あの爺さん、前に質問された時、驚いて心臓麻痺起こしたって」

「嘘つけ。幾らなんでもそれは無いだろ」教室のやや後ろに陣取り、秋雄と天野は小声で言葉を交わす。

「いや、マジだって。剣菱先輩が聞いたんだと。何年か前に洒落で講義中に質問した奴がいてさ、そしたら両手で胸押さえて」

 実際に天野がその光景を実演してみせる。その鬼気迫る表情に、秋雄は思わず噴出しかける。

「ちょっ、お前、うますぎだろ」

「いや、だからさ」じゃれ合う二人に、前の席に座っていた女子が鋭い目つきで睨んできた。無言のプレッシャーに、直ぐに口を閉じる。

 真摯な表情で講義に耳を傾け、重要と思う語句をルーズリーフに書き留めてゆく、フリをする。

 天野が、電子辞書を取り出した。熱心にキーボード状のボタンを叩く。と、電子辞書を秋雄に突き出してきた。液晶には文字が並んでいた。

『両手で胸押さえながら、そ、その質問はつまりって』

 再び吹き出しかけるのを、必死に堪える。天野から電子辞書を奪い、台詞を打ち込む。

『話題変えよう、堪えるのめっちゃつらい』

『この話、先輩が絶対ウケるって言っただけあるな』

『話し変えろって。前の姉ちゃんにまた睨まれるぞ』

『しょうがないな、うーん、何がいいかな』

『笑える話以外な』

『じゃーそうだな、都市伝説なんてどうだ?』

『おっ、いいじゃん』

『しかも地元、ここ椿市』

『なんかあったか?』

『あるよ、まぁ最近の話だけど』

『何だよ』

『黄金魔人』

『黄金???』昭和の冒険小説のようなネーミングだと秋雄は思った。

『そう、黄金。金色』

何故か、脳の奥を針でつつかれるような違和感を覚える。

『ふーん、それで?何だよ、それ』

『夜中に出て来るんだよ』

『金色の?』

『そう、全身金色で、夜中に走り回るんだよ』

『・・・それだけ?』

 興味が失せたような秋雄の文体と表情を見て、慌てたように天野がボタンを叩く。

『男と女の2種類いる!』

『・・・それで?』

『三回見たら死ぬんだ』

『定番だな』

『三回見た後、すぐにチョコレートパフェ』

『っていえば助かる』

『口裂け女かよ』

『口裂け女が進化して金色に光るんだと』

『女が男に進化するのかよ』

『男の方は弟なんだって』

『お前の即興じゃねーのか』

『即興じゃねーし。先輩も見たって』

『また幼女か』

『そう幼女』

 二人同時に顔を見合わせ、忍び笑いを漏らす。

 ちらと浮かんだ違和感は、どこかに消え去っていた。

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