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金色(こんじき)の炎  作者: 秋山草介
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1、アルバイト募集


求めよ、されば与えられん。

新約聖書―マタイによる福音書26章46節



1、アルバイト募集


目を、開く。視界に飛び込んでくるのは、蒼。蒼一色の世界。窓から差し込む月の光、雲ひとつ無い、薄墨色の背景に数多の星光が煌く空から届くその澄み切った輝きが、自分が横になっているベッド、天井、床、目に映る全てを蒼く染め上げていた。

 ふと、左手首の腕時計を見る。蛍光塗料の塗られた2本の針が示したのは深夜1時ジャスト。蒼しかない世界の中で、長針と短針を彩るエメラルドグリーンが、ひどく異質に見えた。

 掲げた左腕を布団の中へ仕舞う。真夜中に突然目が覚めたのにも拘らず、不思議と意識はすっきりしている。とはいえ、何かしようという意欲も湧かない。眠気が戻るまでおとなしくしよう、そう考えて再び目を閉じる。

 寒々としたものさえ感じられる蒼。瞼の内側にある暗黒には、そんなものは一欠けらも無い。黒のみの視界、なぜか、そちらの方に違和感を覚えた。ぼうっとした頭の中でそんな事を考える。そこへ、音が響いた。部屋のドア、その蝶番が軋む、その音が。

 恐怖は無かった。むしろ、誰だろう、という疑問、好奇心の方が強かった。まぶたを開け、視線をゆっくりとそちらへ向ける。僅かに、だが蒼の滲む薄暗がりの中でもはっきりとわかる程度の角度に開かれた、何の変哲も無い木製のドア。ゆっくりと、あまりにもゆっくりと開かれてゆくその様子は、思わずこちらから手を貸したくなるほどの頼りなさすらあった。

 その光景を、ただ、見る。見つめ続ける。誰だろう、ただそれだけを知りたくて。

 やがて、子供一人がやっと通れるか程度だったドアのスキマが、大人が楽に通れる角度まで開ききった。ドアの向こう、月光の届かない夜の闇、そこに佇んでいる者は、皆無だった。握る者の無いドアノブが銀色の輝きを僅かに滲ませていた。

 風の悪戯か、だがドアを押し開ける程の風は吹いていないし、そんな感覚も無かった。

 誰だ、心中でそう呟いた時、視界が黒一色になった。部屋を見渡す。部屋の殆どがまるで当然のように黒に沈んでいる。光が遮られた?どこの?窓、窓が遮られた、それに気付いた瞬間、全身を悪寒が走った。

 部屋のカーテンは、反対側が透ける程度の薄さでしかない、月が雲に隠れた?それにしては暗すぎる、これは偶然の産物じゃない、ならば、故意に窓を遮っている?誰が?誰かが!

 物音一つしない、沈黙が蔓延しきった部屋の中、いつの間にか極限まで小さくしていた自らのか細い呼吸音すら酷く耳障りに聞こえる。振り返れば分かる、そんな事は分かりきっているはずなのに、首の神経が麻痺でもしたかのように、僅かに動かす事も叶わない。口中に唾が溜まっていく。飲み込みたいが音を出したくない。奴が聞き逃すはずが無い。

 冷静に考えれば窓を誰かが遮っているという証拠は無く、仮にいたとしても現状維持が有効であるはずがなかった。いや、現状維持ですらない。立ち向かうか、逃げ出すか、どちらを選ぶ事も出来ず、ただいたずらに時間を浪費していく。優柔不断と臆病が固く手を結んだ結果でしかなかった。

 ふと、これは夢じゃないかという考えが頭をよぎる。そうだ、こんな異常な事態が現実に起こりうるはずが無い、夢だ、夢に決まっている。きっと窓の傍にいるのは得体の知れない化け物か何かだろう。それを見て盛大に悲鳴を上げて、その声で目を覚ます。それでおしまい。ショッキングな非日常は終わり、退屈な現実に戻る。万々歳だ。

 胸がすっとする。硬く閉じた唇から滲み始めていた唾を飲み込んだ。ゴクッと普段よりも大きめに喉が鳴ったが、何を今更、と思わず笑い出したくなる。体が軽い。先程までひどく強張っていたはずの喉まわりの筋肉も同様だった。早く済ませよう、そう考えながら窓の方へ寝返りを打った。視線を向ける。人が、立っていた。窓を背にして。

 自分の手の平も見えないような暗がりの中、不思議と男のシルエットははっきりわかった。部屋を覆う暗黒をそのまま纏っているような黒のトレンチコートに、握られた両の拳を覆うやはり黒の皮手袋。フードらしき布に覆われた頭部は殆ど見えないが、僅かに見える顎から見え隠れする無精ひげが、男である事を示していた。

 男は微動だにしない。呼吸する様子すらみせず、頭を僅かに傾け、ただこちらをじっと見つめている様なそぶりを見せていた。化け物の方がまだましだ、震えだした身体と共に心底思う。見るもおぞましい外見ならば非現実なのだと逆に安心できたろうに、あの姿は、まるで本当に存在しているかのようなリアリティがひどく恐ろしかった。と、何かが頭の中で引っ掛かった。

 存在、現実、これは、夢、のはず。おかしい、何かがおかしい。あの男は、夢の、架空の産物のはず。リアルには存在しない、いないんだ。あんな男は。では、では何故、あの姿に見覚えがあると思ってしまうのだろう?

 突然、男が動き始めた。右腕を大きく掲げ、その手にはいつの間に握っていたのか、一本のナイフが僅かな輝きを滲ませている。逆手に握られたそれは、何を目的としているのか容易に想像がついた。

 夢だ、夢なんだ、これは。だから大丈夫、何が起きても気が付けばいつも通りの朝を迎えるだけだ、ひたすら夢、これは夢と念じ続ける。震えの余り、感覚の無くなった全身をさらに震えさせながらただ念じ続ける。夢、ただの悪夢だ。悪夢、悪夢。

 と、男の左手もまた、ゆっくりと上がっていった。音も無く掲げられていくその指先が男の頭部を覆うフードに触れた。そのまま男はフードを掴み、引き降ろす。反射的に男の顔面を見つめた。ナイフからの僅かな照り返しが男の浮かべる僅かな表情を照らした・

 そして、誰だか分かった。思い出した。ようやく思い出す事ができた。お前は、お前は。全身に纏わり付いていた恐怖は彼方へと消え去り、水分を絞りつくした舌を必死に動かし、声を上げる。お前には、言わなければならない事があるんだ。

「お前が・・・!」そこまで言って、激しく咳き込む。恐怖心で乾ききっていた喉には、それだけの台詞が限界だった。

 咳が治まり、顔を上げる。目の前が、銀と白で染まっていた。それが、男の握るナイフの刃の輝きなのだと理解した刹那、全身を激しい衝撃が襲った。




そこで、目が覚めた。

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