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26日の月  作者: 川島利宇
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奈緒 3

 家に帰ってドアノブをまわした時、ノブが回らなければまだ入ってはいけない、回ればもう入ってもいいというのは、私と母の間に暗黙のうちにできたルールだった。


 その日はノブが回ったので、私が扉を開けて中に入ると、普段聞いたことのないような母親の声が聞こえてきた。


 不思議に思って部屋へ続く扉を開けようとすると、中から、

 

 「奈緒、開けちゃだめ!入ったらだめだよ」


 と母の厳しい声がした。


 そしてその後、


 「なんだよまったく。もうあいつ施設かなんかに入れろよ」


 と男の人の声が続いた。


 「施設」が何を意味するのか、その頃の私にはわからなかったが、あの男が自分を捨てろといっているのだということは何となくわかった。


 「母親に捨てられる」それがいったい何を意味するのか。


 私にとってそれは全てを失うことだった。


 いや、たった一つしかないその一つを失うことだった。


 はたから見ればどんなにひどい母親でも、私と一緒にいてくれるのは母以外にはいなかった。


 母がいなければ自分はこの世でたった一人なのだ。


 私はそうなることを「死」よりも恐れた。


 幼かった私に「死」そのものの意味などわかるはずもない。


 しかし、私にとって「死」は、母と一緒にいられなくなるという意味においてしか恐ろしくなかった。


 母さえそばにいてくれたらどんなことでも我慢できた。


 私の母への思いは「好き」などという簡単な言葉では表現のしようもないほど強いものだった。


 母に捨てられるかもしれないと思った私は、一生懸命に良い子を演じた。


 お皿洗いを手伝ったり、洗濯物をたたんだり、母が喜びそうなことは何でもした。


 でも、男が私たちと一緒に暮らすようになると、だんだん母は私に冷たくなっていった。


 男は何かあると乱暴な口調で私を罵ったり叩いたりしたが、母はそれを知っていて止めようともしなかった。


 それでも私は母に嫌われたくなくて、その人の悪口を言ったりはしなかったし、言うこともよく聞いた。


 でも、だんだんその男の暴力はひどくなり、明るかった私はほとんど何も喋らない子に変わっていった。


 何か言って叱られるのなら、何も言わない方がましだと思ったのだ。


 自分を主張しない子が、母やその男にとっては良い子なのだと思った。


 しかし、私のその暗さが癇に障ったのだろう。


 男の暴力はどんどんエスカレートしていき、終いには母も私に手を上げるようになった。


 それでも私は母と一緒にいたかった。


 でも、学校の健康診断の時、身体のあざを見つけられて、私は母と引き離されてしまった。


 くすのきハウスへ来てからも、私は、母が迎えに来るのを来る日も来る日も待った。


 しかし結局、母は迎えに来なかった。


 私は母に捨てられたのだ。


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