二
講習を受ける。
講習はO駅付近のビル内で行われた。缶ビールを二本呑んでから出席してみると、女性が十四人に対して男性が俺ひとり。いつものことだが今回も誤った選択をしたと思った。
まずは自己紹介から、と講師が小学校の教師みたいなことを言った。聞いているといろいろ「訳あり」の連中ばかりだ。神奈川の家が全焼したので働きに出たという四十絡みの女性。中国人留学生。慈善家、宗教家。「介護や福祉ってとっても素晴らしいことだと思う」と宗教家が言った。俺と、隣の家全焼の女が失笑した。悪夢の中にいるような気分だった。現実感は俺の尻の穴から逃げ出して大気圏の外まで吹っ飛んだようだ。
講習が始まった。お粗末としか言いようがなかった。講師自身が「この講習にはあまり意味がないです。厚生省が作ったテキストを基にやるんですが、どうやら現場について何も知らされていない相当な下っ端が作ったもののようなので」俺たちは笑った。その糞テキストを実際にやらされるのには参ったが。
まずは移乗。これがすべての基本であり最も腰を痛めやすい動作でもある。ベッドから車椅子へ、車椅子からベッドへ身体を移す。あるいは浴槽へ、または何かの台の上へ。「ボディメカニクス」と呼ばれる、筋力に頼らない移乗方法があり、これを使えば腰を痛めなくて済む、という建前はあるのだが、どうしても身体の小柄な人間、体力や膂力に自信のない人間には不向きだ。結局は力仕事である。
次は食事介助。これは最悪の場合、被介助者の「窒息死」という危険を伴う。相手が食べ物を飲み込むのを確認しながらやらなければならない。老人の中には身体の自由が利かなくなって眼も開かなくなって「起きているのか寝ているのかよく分からない」という人もいて、そういう人に介助するのはかなりのリスクを負う。
なお、この件については後述することになるだろう。なぜならば僕はそのリスクを負った結果、人をひとり殺した。
他、衣服の着脱、入浴介助などの基礎を教わる。それから机に向かって件の阿呆テキストでお勉強。何を学んだのか、ここに詳細を開示するのは困難だ。何一つ覚えていないから。
そうこうするうちに三ヶ月が経ち、俺はホームヘルパー2級の資格を取得した。こんなんでいいのか、と困惑した。なにせほとんど何も知らない素人である。不安ばかり残った。