一
その時分、俺は二十歳でアル中で精神安定剤中毒だった。酒とクスリをチャンポンして呑んで暴れて警察を呼ばれて交番へ引っ張られて説教を喰らって悪態を吐いて帰途につく。毎日がそんな按配だった。酒代と薬の代金は某書店でアルバイトをして稼いでいた。端金である。すぐに酒と煙草に消えた。その日暮らしだった。貯蓄も無ければ、未来に関するあらゆる展望も無かった。何もかもが暗闇に包まれ、おれは目隠しをされた馬のように荒れ回っていた。自殺する夢を毎晩見た。糞尿を垂れ流しながらの縊死、急行電車への飛び込み、高層ビルからの投身、冷たい水への入水、薬物自殺、練炭自殺、ピストル……あらゆるバリエーションの自決の夢だ。俺は狂えるオブセッションの化身だった。
俺が介護の仕事に就く契機を得たのは宗教勧誘だった。某日、斉藤と名乗るエホバの証人の勧誘人が拙宅を尋ねた。無論、エホバの証人へ勧誘するためにである。しかし僕はこのころ仏教等の東洋思想に没頭していた上、生涯死ぬまで手淫を禁止するような宗教など正気の沙汰ではないと思っていたから、入信については丁重にお断りした。代わりと言っては失礼だが、自分の様な人間にも金を稼ぐ手立ては何か無いものかと相談を持ち掛けた。何であれば宗教勧誘員でもいいと(あれはそもそも給与が支払われるのだろうか)。
斉藤氏は俺の言動に気分を害した様子も無く言った。
「介護の仕事はいかがですか?」
「介護?」
「そうです。ある意味では人助けですよ。それにいま介護業界は人手が少なく、引く手数多だと聞いています。これからは高齢化社会になりますし、給与も待遇もそれほど悪くないのでは?」
これは天地開闢以来、最低最悪の空言だった。斉藤氏はそれからしばらくして二度と現れなくなったが、もしこの男を見つけたら俺に代わって民主的制裁を加えて頂きたい。
俺はパソコンでN社へ資料請求を行い、数日後、届いた資料に住所、氏名、年齢等々を書き込んでそのままポストへ投函した。さらに数日後に別の資料が届き、記入……ということを繰り返して、ようやく講習を受ける段となった。