第4章 戦争とヤクザとアキハバラ
「おお神よ、他の奴がどこで何がどうなろうと知ったことじゃねえ。だから答えろ、今この状況、これは今まで汚れ仕事をしてきた俺に対する神罰か」
陣内仁は、既に元がマンションだったことをかろうじて認識させる、既に倒壊した建物の前で、途方に暮れて立ち尽くしていた。
第三次世界大戦で、まさか核兵器が使われるとは思わなかったと言えば嘘になる。
だが、さすがにいくら人類が馬鹿でも、これは使わないだろうと思っていた。
あくまでもお互いの抑止力のためには必要、しかし、使わないと言うのが暗黙のルール。
つーか使うな。
今時小学生の子供でもわかるだろ?
もはや怒りの矛先をどこに向けていいかわからない状態になっている。
ソロモンハウスカンパニー極東法人代表取締役、それが仁の肩書きだった。
仕事は主に農作物の輸出入を手がけているが、裏ではアジア随一の闇の武器商人としてその名を知られていた。
華僑社会に強力なパイプを持ち、ロシアマフィアが何度も手玉に取られている。
黄色死と呼ばれ、その莫大な資産と兵力の後ろ盾にはユダヤ人の影が常にちらついていた。
彼は女、金、名誉、およそ考えられる全てを、十分過ぎるほど手に入れていた。
だが、そんな彼にも人に言えない秘密がある。
「俺のフィギュアコレクション、全部パーかよ?! 以前秋葉原で二日間徹夜して買った、魔法少女シャイニングアヤの等身大フィギュアなんて、通販限定は三体のみで二十八万円もしたんだぞ?! 十三年かかって集めたアニモエキングなんて、創刊号から先月号までコンプリート。美晴たんの抱き枕シリーズなんて、抽選限定の通販で買ったんだ!」
陣内仁、彼は重度のアキバ系おたくだった。
萌えキャラと呼ばれるものに極端な嗜好を持っており、実在するどんな美女にさえ目もくれることはない。
仕事柄、銀座や歌舞伎町、香港や上海の歓楽街に顔は利くが、あくまでもビジネスとしてであり、性的な意味での好奇心、欲望は微塵も存在していない。
彼の趣味を知らない一部の女達は、ストイックでダンディだと彼を評したが、単純に女性に興味が無いだけであり、その態度がクールに見えるだけだ。
そんな彼が、人生最初で最後となるであろう大取引を終え、一息吐いた時に第三次世界大戦は始まった。
世界の大国は互いに核の撃ち合いとなり、その炎は地球の全てを焼き尽くす。
そんな中にあって、彼もまたごきぶりのようにしぶとく生き残った一人であった。
だが、命からがらに戻った自宅では、迎えてくれるはずのアキバ系キャラクター達は姿を消し、残されているのは、元それらだったであろう塵芥のみ。
何かが焼け、残された灰にそっと手を入れ、掬い上げてみる。
だが、ぱらぱらとそれは零れ落ち、やがて地面に降り注ぐ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
いつも冷静な、氷河のようとも言われる男が吼えた。
今の仁には心も理性も無い。ただ一匹の獣がそこにいる。
彼にとって彼女達の消失は、結婚を翌日に控えた婚約者をレイプされた上に殺される程のショックだった。
慟哭。
それはまさに純粋なる叫び。
響き渡る仁の声は、そのまま空に溶けていく。
もし彼が元はただの善良な一市民ならば、この時静かに近付いてくる気配に気が付いていなかっただろう。
叫び声の中に姿を隠しながら、何者かがその背中のすぐそばまで来ていた。
壊れた車の陰で、じっと息を潜める小さな背中。
それはまだ年端もゆかぬ少年だ。
両親を先の戦争で失った彼は、水と食料を捜し求めていた。
重いものを自力で動かすこともできず、ただ飢え、渇いている。
途中出会った大人達を見ても、隠れてしまい上手く接することができない。
そんな状況の中で幾日かの時が過ぎ、ついに少年は決意した。
人を襲い、食料と水を奪おうと。
このまま静かに死ぬことを、少年の本能は確かに拒否した。
手に持っているのは、たまたま見つけた錆びたカッターナイフ。
チキチキと何度も出し入れしていくうちに、これで何とかしなければと、精一杯の勇気を振り絞ったのだ。
(あと少し……あと少しであのおじさんの首に……)
じっとりと、粘着質の汗でシャツが背中に張り付く。
呼吸を整える為、できるだけ一回一回の息を大きくする。
大丈夫だ、自分にもできるはず。
既に、少年は殺し合いを一度見ていた。
それは運が悪かったのか、或いは良かったのかはわからない。
たまたま潜伏していた廃車のそばで、食糧を巡って男達三人が争いを始めたのだ。
少年が居た地域は食料が乏しく、男達も若くて短気な者ばかりだった。
ある日、三人の男がいたが、その中の一人がよく分からない言葉を叫びながら殴りかかると、もう一人の若い男が後ろから角材で、叫ぶ男の頭にそれを叩きつけたのだ。
鈍い音がして血しぶきが飛び、被害者の中年男性は倒れ込む。
初めて見る本気の喧嘩。いや、一方的な殺戮。
倒れた男は虫けらのように蹴りを入れられ、腹に、胸に、顔に、何度も執拗な攻撃を受ける。
人とは思えないような叫び声が辺りをつんざく。
普通の子供であれば、ここで目を逸らして震えるか、思わず叫んでしまった事だろう。
だが、彼はそれを見つめていた。少しも見逃すまいと。
殺すか、殺されるか、目の前にあるのはそんな争いなのだ。
生きようという本能が目覚め、それが彼に麻薬のような陶酔感と、氷のような冷静さを与えていた。
殺らねば、殺られる。
男達が消えた後、少年はまじまじと死体を見つめる。
辺りに注意しながら車の影から身を乗り出し、男のズボンをまさぐると、ポケットから錆びたカッターナイフが出てきた。
今彼が手にしている、名も無い男の遺品。
(神様もあてにならない、自分で何とかしなくちゃ……)
ぎゅっと目をつぶる。
心臓が飛び出しそうな程高鳴っている。
その柔らかな首筋を狙う。
力の弱い自分では、失敗はすなわち死につながる。
嫌だ、怖い。ぎゅっと目を閉じ、心を無にする。
「小便ちびりそうだな坊や」
全身から血の気が引いた。
まぶたを開くと、隠れていた車のバンパーのすぐ横で、仁は煙草を吸いながら腰をかがめてこちらを見ている。
その手には、自分の錆びたカッターナイフよりも遥かに大きく、ぎらぎらとした夕暮れの光を反射する両刃のサバイバルナイフが握られていた。
「人を殺すのは、初めてなんだろう?」
「あ……うあ……」
「相手が悪かったなあ、俺がいくらアキバ系のおたくでも、実生活までおたおたしてねぇんだよ」
「ふぐうっ……ひぐっ……」
「おたくとおたおたを掛けてみたんだが、うーん、坊やにはちょっと高度すぎる洒落だったか。上手いこと言うじゃねえか俺! ってちょっとセルフ萌えしてたんだが」
困ったように頭を掻く仁の態度は、余裕に溢れていた。
この小さな暗殺者が次にどんな態度に出るのか、ちょっとした好奇心もある。
たとえかすり傷でも自分に付けられるのなら、将来はこっちの才能があるかも知れない。
こんな状況だというのに、目の前の子供の未来をぼんやりと思い浮かべる。
「すっ」
「す?」
「すびばぜん……」
「おお、予想はしていたが小便を漏らすんじゃねえ!」
「うあああああああん!」
やっぱり子供も二次元が良いかも知れない。
泣き喚くその姿を見ながら、仁は困ったように立ち尽くすだけだった。