エピローグ ワールド・クリエイト・ワンスモア
「陣内さん、この川の水はけっこう綺麗だよ」
「そうだなあ。飲むのは厳しいかも知れないが、色々と便利かも知れない」
河原に下りてきた藤次が指をさす方にかがみ、まじまじと水面を見つめる。
両手にそっとすくってみると、冷たさが指先から脳天に向かって突き抜けた。
ああ、なんだかとてもリアルだと仁は思う。
最近は生きているのか死んでいるのか、分からないような生活だった。
そんな中で、藤次の無邪気で無垢な声と表情こそが、一番身近に感じられるリアルだったせいもある。
五感で感じる何かというのは、案外貴重な経験なのだと、こんな時に改めて感じる。
「お魚さんはいないね」
「川をたどっていけば、そのうち海に出るだろう。俺、釣りは結構得意なんだ」
「おさしみ!」
「そうだなあ、早く海に行きたいな」
そんな会話をしていると、遠くから夏子の呼ぶ声が聞こえる。
「おーい、二人ともご飯ができたよ」
「ごはん!」
「ああ、食うこととは生きることだな」
戻ると、そこには携帯用コンロを使って作った、おじやが鍋に湯気を立てている。
具は乾燥したワカメくらいしか無いが、それでも温かな料理が食べられるというのは、この上なくありがたい事だ。
ホームセンターの跡地を漁っているうちに、調理道具なども見つかったおかげもあって、ミネラルウォーターを併用して、割と様々な料理ができるようになったのだ。
夏子達は今、少しずつだが人間らしい生活を取り戻しつつある。
けれども、気を抜けばすぐに生活は原始人に逆戻り。
江戸時代よりも遥か以前のものになってしまうことだろう。
「さっき通りすがった人達に聞いたら、海の方に小さな集落ができつつあるらしいわ」
「やっぱりな。農作物と比べて魚はすぐに釣れるし、生でも焼いても食える」
「海に行こうっていうあなたの提案、意外と正解じゃないかしら」
「意外とってのはひどいな、単純に考えただけなのに」
「最近は少しずつ、陣内さんの事を信用しても良いと思えるようになってきたかもね」
「はははっ、ヤクザ者なんて信じねえ方がいいぞ」
おじやを食べる仁の横で、ちょこんと腰を下ろしてもたれかかる藤次。
彼の目は、夏子の下腹部に注がれている。
「ねえ、少しは大きくなったかな」
「何が?」
「赤ちゃん」
「さあて、どうかなあ」
夏子はお腹をさすりながら、慈しむように目を細める。
死ぬ前にクリスがした最後の願い、それは自分の子供を産んで欲しいということ。
そんなことができるのかと聞いたが、できるとクリスは夏子に言った。
最後の別れ、神を殺す神器となったカッターナイフで、クリスの首を切り落とす。
後悔と血と涙にまみれて立ち尽くす。
肩で呼吸をしながら空を見上げたその時、夏子は自分の子宮に微妙な変化が起こった事を確かに感じた。
生命の誕生、それはまさに奇跡。
またの名を、処女懐胎――
まさに二千年と少し前に起きた、ありえないはずの出来事。
今の自分はひょっとすると、神の子を宿しているのかも知れない。
思わず思い浮かべた皮肉に、苦笑が漏れる。
「ねえねえ、生まれてくるの男の子かな? 女の子かな?」
「さあて、どっちかしらね」
「名前付けていい? 僕が名前、考えるの!」
「いいわよ」
「やったあ!」
微笑ましいとは、こういうことを言うのだろう。
人は絶望しても、悲しくても、罪を背負っても、なお生きねばならない。
それは死んだ人間から渡されたバトンを、次の世代に渡すリレーのようなもの。
神がいてもいなくても、私達の世界は消えて無くなりはしない。
だから私達は生きる。生きて生きて生き抜いて、そして死ぬ。
だが、今度こそ同じ過ちを繰り返さない世界を創ろう。
歴史となってしまった過去に、私達は学んだはずだ。
ねえ優美、もうすぐ青い月が上るよ。
星灯りは全てを平等に照らすよ。
さようならクリス。
また会う日まで。
この世界にはもう、爪の音は聞こえない。
(了)
以上、長々と書きましたが 『爪の音』 は終了です。
どこかコミカルな作風が入ってしまうのは、よくも悪くも私のクセだと思っています。
水疱瘡には、実際には24歳で発症し、その時の経験がベースになっています。
骨が痒いなら? 眼球が痒いなら? 他人が痒いなら……
勿論、想像上の世界です。
痒みというものが、実は医学上はまだ不思議と解明されていません。
だからこそ、と言ってはなんですが、こんなファンタジーホラーもあり、かな?
などと思ったりもしています。
宜しければ感想など頂けると嬉しいです。
今後とも、皆様お付き合いの程、よろしくお願いします!
追伸
ファンタジーライトノベル「超弩級要塞のサンタクロース」(完結)
を以下で掲載しています。
もし私の他作品にご興味があれば、ご覧下さい!
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