エピローグ ブルー・オーシャン・アフター
楽園は崩壊し、サバの塩焼き定食のような温かいご飯にも巡り会えなくなった。
頭から天使の輪っかは消え、洋服は近くにあった服屋っぽい建物の中からとってきたので、とりあえずは人心地ついた感じだ。
食糧と水は同じく、その隣にあったらしいコンビニっぽい建物から、クッキーとチョコ、それにペットボトルのスポーツドリンクを見つけたので大丈夫だろう。
春乃はふんと鼻息も荒く、前を見据えて気を引き締める。
準備は万端、後は頑張るだけ。
足下を見れば、アリとゴキブリがわさわさと元気に動き回っている。
「負けへんねんで。人間はなあ、あんた達より遥かにしぶといんや」
結局闇市は楽園の入園終了と共に崩壊し、誰もがその辺のがれきの下から服や食い物を引っぱり出して生きる生活に帰っていった。
だが、それも長くはないだろう。
そう、アリやゴキブリよりもしぶとい人間は、こんな焦土から再び立ち上がる。
神がいなくても、仏がいなくても、人は生きていかねばならない。
なぜなら、生きているからだ。
ごくりと水を喉に流し込み、小高くなったごみの山を越えると、春乃は目の前に広がる光景にしばし息を呑んだ。
信じられない。そこには緑の草原が広がり、白く小さな花がぽつぽつと咲いている。
そして、そんな緑の絨毯の横の方で、一生懸命に何かを振り上げては、地面に振り下ろす作業をしている男の姿が目に留まった。
山を下りて近付いていくと、こちらに気が付いた男が、首から掛けたタオルで汗を拭きながら、にっこりと笑った。
「こんにちは」
「うち、山上春乃いいます。初めまして」
「僕は柳勉って言うんだ。よろしく」
「さっそくやけど、この辺に咲いてる小さい綺麗な花、何なん?」
「どくだみって言うんだよ。
広島が原爆で焼かれた時、真っ先に生えてきたのはこのどくだみだった。
名前はやたら悪いけど、こんなに綺麗で可愛い花が咲くんだ。
それに、民間医療では原爆症にも効果があるって言われてる。
植物が生え始めたなら、そろそろ他の野菜や果物だって、できてもいいんじゃないかなあと思ってさ。
今、実験的に畑を作ってるところなんだ。
何を植えるか、見つかった種次第だけどね」
そう言って、彼は水筒の中から、自分が作ったどくだみ茶を春乃に渡す。
「お、もろてええのん?」
「どうぞ」
「うわ、まずっ!」
「あははっ。
飲みづらいけれど、体にはすごくいいからさ。
よかったら飲んでおきなよ」
「はぁー……やけにお兄さんさわやかやねえ……」
「そんな事言われたの、生まれて初めてだな。
ちょっと嬉しいよ」
勉はちらりと、そばにある小さな盛り土の山を見る。
それは木戸優美が埋葬された、何の飾り気も無い墓。
死体の女の子に勇気をもらったなんて、口が裂けても言えないなあ。
そう思い、勉は苦笑する。
「なあ、うちも畑仕事やってもええ?」
「え? あ、いいけど」
「やっぱなあ、いつまでもくよくよしてたらアカンでなあ。
人生に必要なのって、無意味にポジティブな心やと思わん?」
「そうかも知れない」
「その農具、手作りやろ?
作り方教えてえな」
「ああ、それじゃまず、何か適当な棒を探そうか」
「おっけー、がんばるでー」
ぽかぽかと当たる太陽の光は、秋にしては暖かい。
けれども、これから冬がやってくる。
でも、それを超えればまた春は訪れる。
人生も同じだ。
冬は長く感じて、春や夏はあっと言う間に終わってしまう。
人は失敗して、間違って、失って、そしてまた生きていく。
春夏秋冬めぐる季節。
人生は終わらない。
いつか死ぬまで生きるしかない。
楽園は無ければ、これから自分の手で作るだけだ。
さあ耕そう、これからの未来を。
そして私の人生を。