第36章 新しいカミサマ、古いセカイ
ある日、私が日常を生きるための、学校人格としてのクリスティ・カデルが生まれた。
彼女は髪を黒く染め、カラーコンタクトを付ける。
だけど言葉遣いはギャルそのもの。
それは私がノートに描いていた、単なる落書きだったけれど、いつしか現実の世界に現れていたものだ。
いや、現れたというのは不適切かも知れない。
私は自分の心を二つに分割し、本物の私は学校人格のクリスになった。
今度こそ本当に、神様がくれたプレゼント。
元気で明るくて、友達がいっぱいのクリスになれる。
ピュアで祈るしか能が無い私なんて要らない。
そんなの生きてても意味が無い。
お父さん、お母さん、神様、私は自由になります。
「あははーっ、チョーいい気分じゃね?
フリーダムって感じじゃね?」
飛び跳ねてベッドにダイビング。
姿見に映る私はどこから見てもニッポンジン。
名前はクリスティ・カデル。
だけど別人。
生まれ変わった私は素敵。
三千万円の事とか、学校の事とか、そんなの私は気にしない。
さよなら私。
グッバイ私。
こんにちは新しい私。
否定したいものは過去。
古くさい偶像は全て破壊。
それはまさに一人革命。
そして私は幸せへと続く、陽の当たる坂道を上っていく。
ああ、そのはずだったのに……
「クリス、お前は祈りが足りない。
三千万円をどうやって払えばいい?
あと二十年ものローン支払いを、どう乗り切ればいい?
お前の祈りさえ足りていれば!
足りていればこんなことには!」
現実、というものは私が変わろうが変わるまいが、必ず後から追い掛けてきて、私の肩にそっと冷たい手を載せる。
友達は増えない。
いじめられっ子のポジションもそのまま。
私は大切な事を見落としていた事に、今さらになって気が付いた。
私がどんなに変わっても、世界は何も変わりはしない。
そんな当たり前にさえ気付かないほど、子供の私の頭はおめでたくて、愚かだった。
だからといって、変化した私が元に戻るのも嫌だった。
昔は良かったのかと言われたら、別にそんなことはない。
祈ってもすがっても、どうせ同じだったのだ。
私は自由に見えてとても不自由。
取り繕って嘘の自分。
人格が変わっても、ただの変な子にチェンジしただけ。
それでも後悔はしていない。
チキチキチキチキ
カッターナイフよ教えておくれ。
チキチキチキチキ
世界と私はいったい何?
チキチキチキチキ
神様助けて。助けて神様。
チキチキチキチキ
お祈りなんてしてやるもんか。
神様はいなくても、人はいる。
人はこの世界を変えるはず。
きっと変えてくれるはず。
子供にできなかった事をできるのが大人だから、私の住むこの世界もいつか、きっと今より良くなるはず。今日より明日。明日より明後日。
きっと良い日が訪れる。
そんな風に思っていたから。
それを信じていたから。
私はあの日神様に出会った。
誰もいない独りぼっちの教室で、逢魔が時の放課後に。
宗方成安。
それは神様だったおじいさんの名前。
「クリスティ・カデル。君は誰よりも神を信じ、神の助けを心から願った」
放課後の教室で、私と神は向かい合う。
私はこくりと頷いた。
「君に神器をあげよう。
正確に言うならば、神器を選ぶ権利じゃ。
神器を手にした君は、私の跡を継いで神となり、この世界を見守るようになる。
そして、いつかこの世界を見守る仕事に疲れた時は、新しい人間にまた同じ権利を与えればいい。
その相手は君が選べばいいんじゃよ」
「神様、一つお聞きしていいですか?」
「何なりと」
「例えば私がこの世界を破壊したいと願ったなら、この世界は消えて無くなるのですか?」
「それは無理じゃな。
自分が創造したもの以外、消す事も壊す事もできない」
「自分が創ったものを壊す、なるほど。
王のものは王の元へ、神のものは神の元へと返すわけですね」
「ああ、そうじゃ」
成安は孫娘を慈しむような笑みを浮かべて、私の前で杖から刀を取り出す。
なるほど、この杖は仕込み杖になっているのか。
「刃物は時に人を殺し、時に守り、時に奪い、時に生み出す。
神器として君が選んで良いのは、必ず刃物となるのじゃよ。
君は善と悪を天秤で量りながら、目隠しをして夜道を進むに等しくなるじゃろう。
その際の君の共となるのが、神器としての刃物じゃ。
クリスティ・カデル。
君はその力の象徴に、はたして何を選ぶ?」
「私の神器はここにあります」
チキチキチキチキ
鳴くよ歌うよカッターナイフ
チキチキチキチキ
おめでとう。
君は今日から私の神器だ。
チキチキチキチキ
君は私を裏切らない。
私も君を裏切らない。
チキチキチキチキ
私が神様。私の神様。
「なるほど、了解しました」
「ありがとうございます」
神としての地位を譲り受けた瞬間、私の中には知識が濁流のように流れ込んできた。
何ができて何ができない。
何は良くて何が良くない。
何をすべきで何をしてはいけない。
OK、了解、アンダースタンド。
これで今日から私は神様。
誰も知らないけれど神様。
「ところでクリス、わしから一つ言っておくことがある」
「何でしょう」
「もしも君が神に不的確だと思ったら、わしは君を殺すことができる。
先代の神は、現在の神に対する責任を負うのだ。
そういう風に出来ている。
それが世界の仕組み、世界の意思、世界の規律だ」
「分かりました」
「それでは失礼するよ」
言い終わると、彼は空気の中に溶けていくように、夕闇迫る教室の中で消えてしまった。
それから三ヶ月、結局私は学校人格のクリスティ・カデルとして元通り。
神様だからって別に私の人生は、取り立てて面白くなるわけでもない。
二つに別れた人格も、別れたままで何も変わらない。
カッターナイフの刃は出したら引っ込めて、引っ込めたら出すだけ。
猟奇殺人事件も宇宙人襲来も、未来からの暗殺者もゾンビ軍団の復活も、何一つ起こらず平凡で平和で、私は相変わらずいじめられ、無視され、父に祈りが足りないと罵倒され、それでも地球は丸くて、回転し続けるだけの普通の世界。
でもきっと、いつかきっと、何か変化は訪れる。
私は変わって、世界は変わらなくても、きっといつかどうにかなる。
私の中の、もう一人のクリスが励ましてくれる。
だから私は頑張れる。
頑張れ私。頑張れ神様。頑張れ人類。頑張れ未来。
明日の地球と美味しいご飯、平和な世界とお日様のにおいのする布団のため。
きっと世界は曇りのち晴れ。