第34章 クリスの過去
カミサマタスケテ
カミサマタスケテ
カミサマタスケテカミサマタスケテカミサマタスケテ
それは搾り出すような私の願い。
なのにその声は神様に届かない。
願いは叶わない。
私は救われない。
みんな救われない。
世界は何も変わらない。
私は厳格なキリスト教徒の家に生まれ、幼い頃から神の教えを説かれてきた。
信じていれば救われる。必ず夢は実現する。
どんな困難も信仰と共に乗り切れる。
果たしてそれは本当だろうか? と、疑問に思う事もあった。
だが、幼い子供にとっては、親とは神以上に神なのだ。
だからこそ、親の言うことは鵜呑みに信じ、親に怒られぬよう、気に入られるように、いつしか私は親の顔色を見て育ち、まるで純粋培養のお嬢様のようになる事が義務付けられていた。
漫画やアニメやゲームなどは、当然与えられる事はない。
私の娯楽とは聖書だ。
清くあれ。正しくあれ。つつましくあれ。
それは悪い事だとは思わない。
けれど、子供社会にそんな大人のものさしは通じない。
私は金色の髪と青い瞳のせいで、幼稚園の頃からいじめに遭っていた。
私は泣いた。お腹を壊しやすくなった。
学校と名の付く全てが嫌いになった。
生きるのが嫌いになった。
なぜ耐えねばならないのか分からなかった。
一人くらい、いや、二、三人くらい殺したって、日本の人口に比べればささやかな数だ。
などと思ったけれど、思うだけで実行はしない。
それは神に背く事だから。
そんなある日、私は父に言った。
「私、学校に行きたくない」
「なぜだ?」
「いじめられるから」
「それはお前にも原因があるんじゃないか?
清く正しく、つつましく生きているか?
誰かを羨んだり、嫉妬したりしていないか?
嘘を吐いたりしていないか?」
「してません」
少なくとも、私は両親はおろか、神に背くような事などした覚えが無い。
私はあるがままに、神の欲するがままに生きてきた。間違いなどかけらも無い。
正しい私に、父はきっと良き言葉と良き方策を授けてくださる事だろう。
きっぱりと言い切る私に、父は満面の笑みを浮かべ、思い切り握りしめた拳で横っ面を殴りつける。
幼い私は風船のように浮かび上がり、気が付けば頬と打ち付けた右脇腹と右足に、鈍い痛みを感じていた。
なぜ?
どうして?
何が起こったの?
あれれ? おかしくない?
夢?
ふしぎ?
理解できずに混乱する私の髪を引っ張り上げて、父は醜く歪んだしかめつらをしながら、今度は軽く私の頬をひっぱたく。
それは一発で収まらず、二発、三発、四発と、いつしか忘れるほどに繰り返された。
「クリス、我が娘クリスよ。
お前は今私に嘘を吐いた。
だから、私は神に代わって、お前に罰を与えたのだ。
分かるかい?
分かるよね?
聡明なお前なら、分かるはずだ」
「痛い……よ……お父さん……なんで……?」
「その顔は、理解できてないようだね。
お前が清くないから、正しくないから、つつましくないから、神はお前に罰をお与えになったんだ。
試練をお与えになっているのに、お前はそれに気付いていない。
私だって辛いんだぞ、クリス?
目に入れても痛くない、大切な我が子を手に掛けているという、その心の痛みが分かるか?
だが、それ以上に私は情けない。
いじめに遭うなどというのは、お前の心がくすんでいるから、汚れているから、お前が嘘吐きのろくでなしだからだ。
神は信ずる者を救われる。神は試練をお与えになる。神は内省を促す。
お前は私の目を見て、もう一度さっきと同じ事を言えるか?」
「言えるよ……お父さん……」
その瞬間、今度はお腹に鈍い痛みが走る。
思わず胃の中身が少し飛び出し、爬虫類みたいな声が口から漏れた。
「もう一度言う。
いや、三度も同じことを言わせるなよクリス?
私は今、とても悲しいんだ」
「私は……悪い子でした……だから神様が罰をお与えになったのに……それに気付けませんでした……ごめんなさい……」
私が言い終わると、父はひざまずいて抱きしめ、声を殺して泣いた。
だが、それはとても嘘臭く感じる。
私には分からない。
何が正しくて何が正しくないのか。
何が本当で、何が嘘なのか。
父の抱擁は、本当なのか。
それを現実の世界で言葉にして言い切れるような力など、子供にあるはずもない。
だから私はその時、自分が間違っていて、父が正しいような気がした。
いや、そうであろうと思い込もうとしていた。
学校のいじめもみんなが正しくて、私が悪いような気がした。
そんな私に父は言う。
「祈れ。ただひたすらに祈れ。そして懺悔せよ」
「祈ります、お父さん」
「私も祈ろう。
母さんも祈ってくれるはずだ。
そして、神の国は常に心の内にあることを知ればいい」
目を閉じ、主のお姿を心に描き、祈りを捧げる。
その事に疑問を感じても、言葉になどするはずがない。
疑問を感じたこと自体、自分の心の中で殺す。
祈り続ける事で世界は祝福に包まれ、私は救われ、世界は救われる。
信じる者も信じぬ者も、神はいつしか救って下さる。
大丈夫。
きっと大丈夫。