第32章 ハツコイエンペラーの終焉
「くしゅん」
「大丈夫か藤次? あっちで待ってても良かったんだぞ」
「ううん。僕のためのお薬なんだもん、自分で探さなきゃ駄目だよ」
昨日の夜、少し寒かったというのもあって、藤次が風邪気味になっている。
くしゃみや鼻水の症状があり、心なしか熱っぽいような感じもある。
本来であれば、夏子のところで留守番させておく方がよいのだが、足手まといになりたくない。
僕は男の子だとあまりにも強く主張したために、根負けした仁が、風邪薬を探しにドラッグストアを漁りに行く際に、藤次も同行して一緒に探す事になったのだ。
女性を一人で残すのも気が引けたが、一応拳銃は渡してあるし、二発ほど練習に撃ち方を教えた。
食糧事情はまだ急を要する程悪化していない事を考えれば、たいていは威嚇射撃で何とかなる。
いや、暴漢の一人や二人来たところで、拳銃がある以上、自分で何とかしてもらわなければ困るのだ。
そうでなくとも、藤次という幼いパートナーの存在も、自分にとっては足枷となっている。
こんなご時世であれば、女子供など足手まといもいいところだ。
昔の自分であれば、何のためらいも無く射殺していた事だろう。
だが、お互いに極限状況の中で過ごすうちに、仁もまた、自分の中に人間らしい感情が芽生えている事を自分でも感じ、同時に戸惑いを憶えていた。
人間らしい感情、それは行動に対して「ぶれ」を起こす。
その「ぶれ」は思考を濁し、行動を遅らせ、場合によっては死にも繋がりかねない。
何かを守ろうとする時、人は強くなるというのが映画やアニメの鉄則だが、そんなものは現実世界では通用しない。
守るものなど邪魔なだけで、殺し屋も薬の売人も、何らかの事情で逃避行などをしていた場合、女連れであれば、考えられないほど愚かな死に方をする事が多い。
そして、仕事を終えた後に酒を酌み交わしながら、
「アイツがビリー・ザ・キッドなら、俺はクリント・イーストウッドだ」
などと皮肉を言い、笑うのだ。
およそ年に一度は必ずある。
馬鹿な者、愚かな者がこの世界から退場する時、そいつらがヘマをしたり裏切る事で、表の世界とのバランスを崩したりする可能性が減る。
それはとても喜ばしい出来事であり、そんな時は一際酒が旨い。
だが、今自分はまさに、そんな馬鹿で愚かな事に手を貸している。
まさにビリー・ザ・キッドを気取っているだけの、三流ピエロが舞台に立っている状態だ。
思わず苦笑が漏れるものの、たまにはこんな家族ごっこもいいかも知れない。
そんな風に思えるようになってきたのだから、自分の中の変化はかなり大きい。
「ねえ陣内さん。ブルーオーシャンとハツコイエンペラー、元気かな」
「お前はまだアイツらのことを心配してるのか。さっさと忘れて、自分の体の事だけ考えろって言ってるだろう」
「でも、陣内さんも本当は寂しいよね」
「別に」
「本当に?」
「当然だ」
「そっかあ……」
寂しそうに俯く藤次。
実際のところ、かつて秋葉原でお互いに頂点を目指して争った戦友達が、こんな事件のせいで死ぬというのは悲しい。
だが、現実世界で小悪党だったり、既に感染してしまったりした人間達と行動を共にすることはできない。
せめて彼らが苦しまずに死に、冥福を祈ってやることが、自分にできる最大限の手向けというものだろう。
「僕ね、もし今が平和な世界だったら、ロンドンキャットとブルーオーシャンとハツコイエンペラーと僕と、四人で対戦したかったな」
「そうだな。あいつらは素晴らしいプレーヤーだった」
「ぐすっ、ごめんね陣内さん。僕が子供で」
「子供ってのはな、思ったことをつい口にしちまうのが仕事みたいなもんだ。
ついでに、きれい事を言ってみたり、正論を振りかざしたり、理想を追い求めたりもそう。
お前は何も悪くない。
むしろ、今その気持ちを大切にして、これから生きていくんだ。
そしてこの国がもう一度立ち直って、また秋葉原みたいな電脳都市ができたなら、そこにもう一度ゲームセンターを作ろう。
そしたら、ブルーオーシャンもハツコイエンペラーも、また遊びに来てくれるかも知れない」
「来て……くれるかなあ……」
「ここにいる俺は誰だ?」
「陣内さん」
「違うだろう? 俺の名は――」
そこで言葉を切る仁。
視線を送られた藤次は、最初何が言いたいか分からなかったが、すぐにはっとする。
「ロンドンキャット……えへへ……かっこいいなあ」
「今度は藤次、お前がでっかくなるんだ。
そして、秋葉原ゴッドスリーではなく、秋葉原四天王と呼ばれるようになろうじゃないか」
「なりたいなあ。くしゅんっ」
「おっと、薬を探さなきゃいけないな。
ぼやぼやしてると日が暮れちまいかねない」
「はい! 頑張ります!」
「お前は本当にいい返事をするなあ」
「返事だけじゃないよ。頑張るよ!」
「よーし、頑張ろう!」
それから一時間ほど、ドラッグストア跡を色々と漁ってみたが、出てくるのは痔の薬やら口内炎の薬やら、本当に関係の無いものばかりだ。
だが、かゆみ止めも出てきたので、縁起でもないとは思いつつも、仁はそれをポケットにしまった。
「藤次、そっちはあったか?」
「ビタミン剤と栄養補助食品、それにダイエットの薬しかないよ」
「ダイエットか。はははっ、戦前なら君島さんにプレゼントしてやりゃあ喜んだだろうな」
「ビタミン剤と栄養補助食品はいるよね」
「ああ。他にも便利そうなものがあったら取っておけ」
背中を向けて作業を再開したとき、ぺちっと小さい音がする。
振り返ると、藤次が手のひらを覗き込んでいた。
その手のひらの上には、小さな黒い点のようになった蚊が死んでいる。
理由はよく分からないが、神が死んだ以上、もうあんなふざけた病気も無いだろう。
だが、変な伝染病が流行ってもおかしくはない衛生状態だ。
虫除けスプレーや蚊取り線香もできるだけ確保しておいた方がいいかも知れない。
「かまれちゃった」
「あまり掻くんじゃないぞ。掻いたらよけい痒くなるからな。かゆみ止めを見つけたら、とっといてやるよ」
「お願いします」
もう一度前を見ると、遠くからゾンビのようなよたよたとした足取りで、男が一人近付いてくる。
映画やドラマで見るような山高帽を頭に被り、シャツも破けてぼろぼろになり、ところどころに血が付いているが、その姿に懐かしさを感じ、思わず手を振った。
「三木原さん、生きてたのか!」
「え? ハツコイエンペラー?」
こちらに気が付くと、三木原は顔を少し上を向かせて、にたりと歯を見せて笑った。
その姿は痛ましく、同時に心の中に言いようもないもやもやを感じさせる。
自分は一度、彼を追放したのだ。神が死んだ今となっては、あの病気も恐らくは治ったのかも知れない。
少なくとも、そうでなければ姿は現さないはずだ。
だが、もしも病気が治っていないままだったなら?
想像はしたくないが、その時は再びご退場願うしかない。
最悪の場合も想定して、胸の内ポケットには、今もグロックがあることを改めて確認する。
「ここここ、こんにちは陣内さん、藤次くん。神、死んだんだってね? あはははーっ」
目がぎょろぎょろと前に出っ張って、口から涎が垂れている。
手も薬物中毒のように震えていて、時々奇妙な笑い声が漏れる。
ああ、駄目だ。色々な意味で駄目だ。
その笑顔そのものが犯罪だ。
殺すとかそれ以前に、さっさとこいつの視界から消えなければならない。
藤次の教育上もよろしくないだろう。
「こわいよお……」
露骨すぎる変化に、さすがの藤次も仁の後ろに回り込む。
さてどうするかな。
殺すか逃げるか。
できれば穏便に済ませたいところだ。
「こわい? こわいなあ。
あはははっ!
こわいこわいこわーい!」
「元気そうで何よりだな。
それじゃ、俺と藤次は忙しいから、失礼させてもらう」
「ちょっと待ってくださいよ、少しばかり久々の再会じゃないですか」
「いや、忙しいんだよ。悪いな」
「良いことを教えてあげますから、もう少しだけここにいませんか?」
「いらん。興味が無い」
「神が死んだはずなのに、この病気が治らない」
肩に置かれた手を強引にふりほどき、藤次の手を引いてその場を離れようとした時に、毅はぼそりと呟いた。
その言葉は、あまりにも心に重くのし掛かる十字架だった。
そんなこともあるのではないかと、かすかに予想はしていた。
だが、まさかあり得ないだろうと思ったのだ。
神は死んだ。
死んだならば、その神がいたずらに作った病気など、消え失せてもいい。
いや、消え失せ、二度とこの世に現れてはならないもののはず。
そうでなければならない。
物語にも映画にも、必ず終わりがあるものだ。
エンディングを過ぎて、ページやスクリーンから目を移せば、そこには平和でつまらない日常がある。
それが続くなど、あってはならない。
「ふふっ、あははははっ!
あーははははははははっ!
痒いのが治らない!
治らないんだよお!
どうする?
どうすればいい?
これで陣内さんも感染するかも知れないなあ?
さあ、あんたも俺達の仲間になれよ!」
ぐっと肩を持つ力に手を入れる。
だが、それ以上の殺気を感じない。
黙ったままで振り返らず、仁はその場を動こうとしない。
「おい、どうしたんだよお?
殺せよ?
お前や藤次くんの敵だぞ?
早く殺さなきゃ、間に合わなくなっても知らないぞ?
だからさ、ほら、その銃でパーンとさあ……」
「それは、お前の願いか?」
「願いって何だよ。
お前、自分の身を守れよ。
ほらほら、藤次くんも心配そうに見てるだろうが。
守ってやらなきゃ、何が起こるか分からないだろう?」
「殺意の無い奴を殺すのは、目端の利かない三流だ」
その言葉を聞いた刹那、酔ったような、踊ったような毅の体は、時間が止まったように動かなくなる。
「なんですか……それ……カッコつけてるつもりですか……」
「自分で死ぬ勇気も無いからって、狂った振りして他人にケツ持ってくるんじゃねえよ」
「悪かったな……死ぬ勇気も無いクズで……」
「分かってるなら自分でやれ。
俺は生きるのに忙しいんだ」
「あんたに何が分かるんだよ……地方の私立だけど高校も卒業して、ちゃんとした会社に就職して、結婚もして、まともに生きるはずだったのに、残業続きで鬱病になり、妻に逃げられ、結局は日雇い労働者になって……それでも真面目に生きてきた……」
「だから何だ」
「真面目に、精一杯、誠実に生きてきたんだ!
なのにどん底に落ちて、死ぬこともできずさまよって、秋葉原のゲームセンターで憂さ晴らしをするだけの日々。
そこにしか居場所が無いような、つまらない俺でも、つつましく生きてたんだ!
なのに何だよ?
戦争に巻き込まれ、楽園にたどり着く事もできず、謎の奇病に悩まされて、狂おうとしたけれど狂いきれず、むしろ頭の皮を剥がした後になって、どんどんと正気が戻って来るんだ!
見ろよほら!
哀れだろう?
悲惨だろう?
悲劇だろう?
せめて笑ってくれ!
嘲笑ってくれ!
そして俺を殺してくれ!」
彼は被っていたベレー帽を投げ捨てると、軽く頭を下げて、二人にいやがおうにも見えるように、頭をずいと近付ける。
骨の乳白色と、乾いた血が赤黒くなって混ざり合った半球形の頭の上に、幾筋もの細い爪痕がくっきりと残っている。
藤次は思わず目を逸らすと、近くの車の後ろに走り込み、胃の中のものを吐き出す。
だが、仁はその場に立ち尽くしたまま、眉根一つ動かそうとはしない。
彼の反応が鈍いことを見て取ると、毅はさらに頭を近付けてくる。
「どうしたんだ?
言葉も出ないか?
裏社会の人間でも、これはびっくりしただろう?」
「俺達の世界で不義理をしたら、こんなモンじゃ済まされないな」
「こんなモン?
こんなモンだって?」
「自分が世界で一番不幸だって叫ぶ奴ほど、醜いものは無い」
仁は胸ポケットに入れてあった、小さなウイスキー瓶を取り出すと、一気にそれを半分まで飲み干す。
ジャケットの袖で口元を拭うと、毅の襟首を掴み、ぐっとこちらに引き寄せる。
「テメェは幸せなんだよ。
自分で生き死にを決められるんだ。
俺のサバイバルナイフを貸してやるから、勝手に喉笛でもかっ切って死にやがれ。
死ぬまで誰かに頼ろうっていう、まるでどら焼きにチョコレートをコーティングして、ハチミツと黒蜜を掛けたような気持ち悪いほどの甘い考え。
そんな事を考えられる奴は、まだ幸せなんだ。
むしろ生きようとして必死にあがく奴、生きたくても生きられない奴、死ぬ権利さえ持てない奴らが、どれだけ悲惨で残酷なのか、知りもしねぇで一人前の大人みたいなツラするんじゃねえ!
お前なんざ自分で死ね!
海でも山でも勝手に死ね!
俺達の前に汚いツラ見せてんじゃねえ!」
呆然として、やがて流れ落ちる涙。
苦しいだろう。悔しいだろう。
俺を殺したいだろう。
だが、それ以上に自分の情けなさが身に染みて、骨まで痛むことだろう。
一目見た時、爛々として狂ったように見える目をしていたが、その光に狂気は見られなかった。
彼は狂った振りをしているだけ。
そしてその予感は見事に的中する。
長年修羅場をくぐり抜けてきたせいか、相手がどんな思考をしているか、その目と声を聞くだけで、ある程度の予想はできるようになった。
彼は甘えているだけだ。
狂いきれず殺意も持てず、人に殺して欲しがっている。
自分を殺す事にさえ、手を汚したくないという、この期に及んで子供じみるにも程がある。
そのまま毅を捨て置いて、去ろうとする仁のところに藤次が駆け寄ってくる。
「陣内さん……ひどい……ハツコイエンペラーが泣いてる……」
「構うな。今アイツは自分が大人に、いや、一人前の男になれるかどうかで、自分と戦ってるんだ」
「戦ってるの?」
「ああ、次に会うときのアイツはきっと手強いぞ。
本物のニコライ・チャレンコフくらいに強くなっていて、北極のシロクマにだって勝つかも知れない」
「すごいね!」
「ああ、凄い奴だよ。
ハツコイエンペラーは俺が結局超えたくても超えられない、アキバで最強のロシアン・ソルジャーだ。それは今も昔も、何ら変わりゃしない。
なあそうだろう?
シベリアの白い悪魔、ハツコイエンペラー」
その言葉に、毅は苦笑いを浮かべながら、天を仰ぐように親指を立ててウインクする。
それは彼の使うキャラクターが、戦いに勝っても負けても、相手に行う別れの挨拶。
また会おう。
また戦おう。
そんな意味が込められている。
その仕草を見て、今まで我慢していた仁もまた胸に込み上げるものがあった。
「ありがとう、ロンドンキャット」
「どういたしまして、ハツコイエンペラー」
「ダスヴィダーニヤ! (さよならだ!)」
彼はその時、人生で最高の笑顔を見せた。
心なしか、暮れ始めた太陽の光を受けたその顔は、少しだけきらきらとしている。
そして、その手に持っているのは錆びた茶色いカッターナイフ。
それを喉元に突き刺すと、壊れた笛のような音が響き渡る。
一瞬、何が起きたか分からずに、しばし呆然となる。
やがて訪れるのは現実と、込み上げてくる悲しみ。
そして理解する目の前の全て。
「ハツコイエンペラー……?」
藤次が搾り出すような声で、ふらりと歩く。
一歩、二歩、よろよろとして、生まれたばかりの子馬のような足取りで。
「馬鹿野郎ォォォォッッッッ!」
「陣内さ……ハツコイ……死んで……」
「死んでねぇ!
死んでねえよ!
死ぬかよ馬鹿野郎!
シロクマより強ぇんだぞ!」
「血……いっぱい……ねえ……起きてよ……」
少しずつ、辺りに赤い水たまりが広がっていく。
未来は誰にも分からない。適当に投げたルーレットは、何色の何番に入るか分からない。
だが、今起きたことはルーレットではなく、何とかなるはずの事だった。
久しぶりの大失敗、あまりにも遅れ過ぎた大誤算。
それでも彼は、自分の力で決断を下した。
他人に頼らず、孤高に生き、そして死んだ。
生きていた時は不平不満でいっぱいだったかも知れない。
精一杯過ぎて袋小路だったかも知れない。
だが、その目は真っ直ぐ前を見続けた。
誰よりもお前は誇り高かった。
ニコライ・チャレンコフ以上にクールで熱い男さ。
胸ポケットの中から煙草を取り出そうとして、もう無くなっていた事に気が付き、苦笑する。
最後の手向けもしてやれない。
せめて酒でもどうだ?
黙ってウイスキー瓶を取り出すと、下を向いていた毅の体ごと上を向かせ、少し砂の付いた唇の所にとくとくとそれを垂らす。
「悪ィな。
こんな安物が死に水になっちまって」
「陣内さん……えぐっ……ハツコイエン……ぐすっ、ハツ……」
「泣くなよ藤次。お前、男の子だろう?」
「だってハツコイエンペラーが!
ハツコイエンペラー死んじゃった!」
「じゃあ、お前がハツコイエンペラーになってやれ」
「え?」
「死んだこいつの分まで、お前がそうなってやるんだ」
「僕が……なる……」
藤次の目線まで腰を曲げて、くしゃくしゃと頭を撫でる。
「誰よりカッコいい、ハツコイエンペラー二世になるんだ」
「でも、僕まだ子供で、ハツコイエンペラーは今そこで死んでて」
「お前の心の中のハツコイエンペラーは、生きてるだろう?」
きょとんとする藤次を抱きしめ、高く持ち上げる。
「僕の、心の中?」
「ああそうだ。
お前と俺の心の中だ。
目を閉じてみろよ、藤次」
「うん……」
「心の奥底に、ずっとずっと深いところに、ハツコイエンペラーが俺達に残したものが見えないか?」
「見えるよ……温かくて優しくて……でも、すごく強いんだ……」
「そうだ。北極のシロクマよりも強いし、誰よりクールで、なのに温かいだろう?
お前もそうなるんだ、藤次」
「なれるかなあ」
「なれるさ」
「ロンドンキャットがそう言ってくれるなら、頑張れるよ」
ああ、柄にもない事をしている。
泣く子も黙るとは言わないが、俺は汚れきっている。
こんな日の当たる坂道を上がっていくような子供には、自分は不釣り合いなことだろう。
だけれども、今はこうする事が正しい気がする。
いや、自分がしたいからしている。
ハツコイエンペラー、お前は死んでもその心は引き継がれていく。
世間から見ればジャラ銭を浪費するだけの、ちゃちでくだらないお遊びだっただろうが、俺達はみんな真剣だった。
お互い言葉は交わさなくても、通じ合うものがあった。
それがこんなどうしようもない壊れた世界で、芽吹いてる。
すげえだろう?
とんでもなくすげえ事だよ。
武器商人も建築労働者も、大学院の学生も子供も、俺達はみんな同じ仲間さ。
きっと俺達の行く天国にもゲームがあって、みんなあの頃みたいに、馬鹿みたいに技術を磨き合って、言葉にならない会話をしてるんだ。
神なんて知ったことじゃない。
あの世の存在なんて、実際に死んでみなきゃ分からない。
だから俺達だけの天国があったって、不思議でも何でもない。
どうせ近い内に俺も行く。
遠い未来には藤次も行くだろう。
そうしたらまた、遊ぼうじゃないか。
百円玉、たくさん用意して待っておけよ。
分かったか? ハツコイエンペラー。
「ねえ、陣内さん」
「何だ」
「かゆいよ」
「そりゃまあ、蚊に刺されりゃ痒いだろう」
「そうじゃなくて……背中の辺りかなあ……」
「ん? 背中が痒いのか」
持ち上げていた藤次を下ろし、背中の方を向けさせると、ぽりぽりと掻いてやる。
だが、藤次は不満そうにくねくねと体を動かす。
「どこが痒いんだよ。そんな動かれちゃ分からねえぞ」
「なんだろう。背中のもっと奥の方がかゆいんだ。それに、足の裏もかゆいなあ」
ぼりぼりぼりぼり。
爪の音が響く。
「おい、まさかさっきの……」
ぼりぼりぼりぼりぼりぼり。
「さっきの? 何?」
ばりぼりばりぼりばりぼりばりぼり。
爪の音だけが響き渡る。