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爪の音  作者: 一人旗目
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第31章 まちがいさがし

 神様は一人じゃなくてもいい。

 もっと一杯いてもいい。助けてくれるならなんでもいい。

 だからね神様、あんなのじゃなくて、もっとまともで人類を助けてくれる奴を一人寄越してくれないかな?

 その神様は万能で、このサバイバルゲームも無かったことにしてくれて、戦争も無かったことにしてくれて、生き返った人類には思いっきり説教をするんだけど、もうするなよって言って、笑って許してくれる。

 まるでお父さんみたいな神様。

 まずは手始めに、こんな蚊帳をつり下げて、私がニューナンブとか言われるリボルバー式拳銃を持たないでも、お留守番ができるような仕組みが一番いいんだけどね。

 君島夏子は殺虫剤でしつこいくらいに消毒された蚊帳の中で、ぼんやりと網目の向こうに見える世界を見つめていた。

 結局楽園には入ることができず、大きなスーパーがあったらしき跡地で蚊帳を見つけ、仁と藤次と共に、移動することもできずに悶々と過ごしていた。

 三木原毅がいなくなったという変化はあるが、捜しに行かない方がいいということで、見事に仁と意見が一致した。

 藤次はハツコイエンペラーを助けてと強く哀願したが、現実を直視すれば、いくら子供のお願いでも、こればかりは聞くことができない。

 藤次もそれを渋々理解したようだった。

 そして、蚊と物取りに怯えるままに日々を過ごしていると、今度は神が死んだという、あのふざけた影法師のような空に浮かぶメッセージが流れた。

「んなもん、信じて何か良いことありますかって言われると、答えはノーなんだよね」

 寝転がって空を見上げる。

 もはやあのメッセージも消えて、今日もまた、血のように濃い夕暮れが迫ってきている。

 逢魔ヶ時と言うけれど、あの神様が現れた時もこんな夕暮れだった。

 そういえばあの声、どこかで聞き覚えがある気がする。

 それがまるで、喉の奥に刺さった魚の骨のように、微妙に気になる。

 どこで聞いた?

 近所のよく買い物するスーパーの店員さん?

 以前振られた彼氏の妹?

 従姉妹の弓恵?

 何度考えても、良い回答が浮かんでこない。

 別に誰だったか思い出せたからと言って、今さらどうでも良いことのはずなのに、なぜかそれが、とても大切な事の気がする。

 うんうん唸りながら寝返りを打つと、少し遠くから、こちらに向かって歩いてくる人影がある。

 まだかなり遠いが、全身がべっとりと乾いた血らしきもので、赤黒く染まっている。

 仁が帰ってくる気配も無く、ここは自分一人でなんとかするしかないらしい。

 やれやれ、神がいてもいなくても、救われない私は、きっと最悪なのだろう。

「練習がてら二発撃ったけど、全然思ったところに当たらないんだよね……」

 護身用のニューナンブを握りしめ、体を起こして相手を待つ。

 だが、そこにやってきたのは少しだけ見慣れた少女だった。

 いや、少女と言うにはあまりにも大人びた風貌を持っている――

「クリス?」

「ああ、先生お久しぶりです」

 そう言って、不肖の教え子はぺこりと丁寧に頭を下げる。

 夏子はかつて、高校の教師をしていた。

 都内の進学校と言うにはギリギリといったレベルの学校で、彼女はクラスの中でも唯一のドイツ人としても知られていた。

 最初の頃は校内でも有名な、綺麗な金髪で碧眼のとても美しい少女だった。

 だが、三年生になった時を境にして、彼女は髪を黒く染め、茶色に近い黒のカラーコンタクトをして学校に来るようになった。

 校則としては間違っていないし、教師達も文句を言うわけではなかったが、誰もがもったいないと首を傾げたものだ。

 そんな彼女が金髪碧眼に戻っている。

 それだけではなく、自分を「先生」と呼んだ。

 彼女はいつも、ファーストネームで「夏子」と自分を呼び捨てにする。

 言葉遣いについても、噂に聞く「絶滅寸前の大和撫子」とはほど遠い、渋谷のセンター街辺りをうろつく、典型的なギャル系の女の子だった。

 昔、ちらりと金髪で碧眼の後ろ姿を見たことはあるものの、ただそれだけで、印象には乏しい。

 だが、その声、その顔立ちはまさに、自分の教え子であるクリスティ・カデルだとすぐに分かった。

「髪、いつの間に金色に戻したの? カラーコンタクトも外したみたいだけど」

「ありのままの私の方が、私らしいと思いませんか先生?」

「まあ……良いこと言ってるんだけど……何で血まみれなのかしら……」

 手に持った銃を離す事はできそうにない。

 こんな格好でいきなりやってきて、信頼しろと言われても困るのだ。

 そもそも、まるで修道女を思わせるような不思議な服装も、いったいどこで手に入れたのだろう。

 コスプレというやつだろうか?

 それにしたって、こんなご時世にそんな余裕は無いはずだ。

「先生、私が怖いですか?」

 唐突に彼女は尋ねる。

 だが、夏子もそれに素直に答える。

「悪いけど、そうね。今がどんな時代で、どんな状況なのかは、あなたもよく分かってるでしょう?

 かつての教え子だからって、背中から刺されないとも限らないわ。

 特にその血まみれの服装。

 誰か殺したりしたんじゃない?」

「この血は、大切な人から流れたものなのです」

「大切な人?」

「こんな時代にこんな私を、心から愛してくれた人です。

 私はずっと忘れません。

 忘れたくないと思っています」

「はあ、そりゃあロマンチックなことねえ。

 で、今さら私に何か用?」

「用というわけではないのですが、ただあてどもなく歩いていたところ、先生のお姿を拝見したのでつい、声を掛けた次第です」

 にこにことして、慇懃無礼な言葉を吐く。

 どこか抜けた感じもするが、演技という風にも感じられない。

 よく分からないが、誰でも彼でも疑うというのも、確かに良くないのかも知れない。

 そもそも自分に危害をくわえたいのなら、あんなに堂々と真正面からやってくるとも思えない。

 食糧や水ならまだそこらで手に入るし、三千万円の件が無い今、女一人で物取りをする理由も無い。

 かつての生徒に対して、あまり警戒するのも失礼だろうか?

 いつの間にか、心にそんな余裕も芽生えてきた。

「一人ぼっちでここまで来たの?」

「元は何人かの人と助け合っていたのですが、気が付けば自殺していたり、殺しあったり、殺されたりしました」

「本当に? あなたが殺したんじゃないの?」

「信じていただけなくても、この服装では仕方ないですね」

 そう言って、クリスは血にまみれた自分の腕を眺めて、少しだけ悲しそうに俯いた。

 だが、あまり表情に変化は見られない。

 どこか人形のような、作り物めいた雰囲気をしている。

 彼女が悪いわけではないのだろうけれど、何かとても嫌な違和感を感じる。

 その原因が何なのか考えていると、不意に腹の鳴る音がした。

 自分ではない。ちらりと目の前の元教え子に目線を戻す。

 だが、彼女はしれっとして、照れもせずにこちらを見ている。

 真実は常に一つ。犯人は目の前にいる。

「何か聞こえたわね」

「そうですね」

「ひょっとして、お腹空いてる?」

「おそらくですが、そうかと思います」

「いや、おそらくって……まあいいわ。こっちにおいで。別に食べ物にはまだ困ってないから、お菓子とか缶詰しか無いけど、食べていいよ」

 その言葉に、彼女はなぜかきょとんとした顔をする。

 自分が食糧をあげると言った事が、それほど珍しかっただろうか。

 その時ふと、最近鏡を見ていなかった事を思い出す。

 ぎすぎすしたこの場所で、常に自分の事ばかり考えてきたせいで、案外鬼のような形相になっていたのかも知れない。

 だとすれば、こんな状況とは言え、何だか悲しいことだ。

 仮にも自分には、教師としての誇りも職業意識もある。

 こんな状況であったとしても、自分は教職者であり、教育者なのだ。

 それは夏子にとって、今自分が人間であることの証明にも等しい。

「先生、ありがとうございます」

「ん? ああ、いや、別に礼なんていいんだけどね」

「私、先生に嫌われているかと思っていました」

 やはり、彼女の顔はどこか作り物じみた笑顔だ。

 けれども、久しぶりに感謝された事が素直に嬉しく、また照れくさくもあった。

 まあ入ってと言いながら蚊帳を開けると、クリスは向かい合って座った。

「しっかしまあ、そんなに血まみれだと大変でしょう。

 ここ、スーパー跡だから、服とかも探せばあると思うし、一緒に探そうか」

「よろしいのですか?」

「別にいいんだけど、なんで態度や言葉遣いが馬鹿丁寧になってるのかな。

 戦時中にどこか頭でも打った?

 それとも、何か変なモンでも食べた?」

「頭を打った、変なものを食べた、ですか。

 確かにその通りかも知れませんね」

 どこか作り物じみた笑みを浮かべ、彼女はころころと笑った。

 不愉快というわけじゃないのに、なぜか違和感はつのる一方だ。

 なぜこんな気持ちになるのだろう?

 外見?

 しゃべり方?

 それらが今までの彼女と違うから?

 いや、そんなことはないはずだ。

 もっと言いようのない、どんよりとした不快感。

 不気味さと言えばいいだろうか。

 原因も分からないまま、世間話を交わしつつ考えていた時、はたと気が付いてクリスの顔をじっと覗き込む。

「どうしました先生?

 さっきから、私の顔に何か付いてますか?」

「あははは、久しぶりに教え子の顔を見たからさ。

 嬉しくてつい気になっちゃって」

 嫌な脂汗が背中をつたう。

 乾いた笑い声で返事をし、やや強引な理由でごまかした。

 違和感の理由が、今やっとはっきり分かったのだ。

 クリスティ・カデル、通称クリス。

 彼女は最初に出会った時から、一度としてまばたきをしていない――

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