第28章 ガール・ミーツ・カミサマ
シアワセ、フシアワセ、ふわふわしてて赤くて重い。
雨の土曜日はフシアワセ。
外で遊ぼうにも気分はブルー、空はグレー。
テスト最終日の放課後はシアワセ。
みんなで町に繰り出そう!
きっとこれが普通の人の、普通のシアワセ、フシアワセ。
だから私はノートのすみっこに落書きをする。
シャーペンを使って、暇なときには色々と描き込むよ。
ああ、今日の私は少し元気で正気だね。
気分上々、心の予報は曇りのち晴れ。
それじゃ今回は私の自画像だ。
頑張る私。
ユカイな私。
かしこい私。
良い子の私。
でもね、結局一番好きなのは、ナチュラルメークで髪も染めない、カラコンもしない、自然体のありのままの私だよ。
―心の中で呟くだけでも、吐き気で死んじゃいそう。
ブルーになる。
パパ、ママ、なんで私はガイジンなの?
日本人じゃない私は駄目なの?
ガイジンはモテモテ?
ああそうね。そうかも知れないね。
おかげさまでこの歳になるまでに三回はレイプされちゃって、経験豊富な夏の魔女なんて二つ名も頂いたよ。
友達はいる。
親友もいる。
たぶんいる。
でも、その中に裏切ってる奴が絶対にいる。
どうせしっぽは掴ませない。
みんな賢くて、優しい人の振りをするのは天才的だから。
神様、ねえ神様。
私の願いを聞いて下さい。
世界は、とってもくだらないんです。
地球は、もはや末期的なんです。
たぶん、すごく緊急事態です。
だから一度くらい、ドカーンと崩壊させちゃって、作り直した方がいいよ。
マジで。
一九九九年から出遅れたけれど、恐怖の大王とか、もう一度やってみたらどうかな?
そんな風に願ってみたり、目をつぶって呪文を唱えて、ついでにアニメとかで見たおまじないをしてみたって、地球も世界も無くならない。
無くならないけど死なないし、死ねないからくだらない会話で日常の時間を浪費して、いじめられても知らない振りして、いつも楽しい生活っぽく思ってみて、たまに悲しくて死にたくて、雨の日の真夜中に家の近所十分以内をうろついて、職務質問される前に帰ってくるだけ。
私はガイジン。
私はニンゲン。
私の回りはニホンジン。
私だって日本語喋るよ?
ほら見てよ。髪だってちゃんと黒く染めたし、カラーコンタクトも入れてみたんだから。
くるりと回れば、辺りに散るのは桜吹雪。
ねえねえ、どこから見てもヤマトナデシコって感じじゃないかな?
果てしなくオリエンタルでさ、そんな私はチョージャパンっぽい。
なのにみんなは私を馬鹿にする。
嘘吐きと言う。
と思ったら、カワイイとか言いながら近寄ってくる子もいるんだけど、表面だけならもういいよ。
疲れたよ。
帰れよ。
死ねよ。
うぜぇよ。
影に回れば私のこと、ビッチだとかヤリマンだとか、言いたい放題言ってるんだから。
机に祖国へ帰れって書いたの、誰?
私の上履きに男性器のマークを描いたの、誰?
お弁当箱にいっぱい縫い針を入れたの、男子トイレに私の教科書捨てたの、カバンの中にレトルトカレーぶちまけたの、どこの誰なのよ。
私疲れちゃったよ。生きるの疲れちゃった。
助けてよ神様。
神様助けて。
心の底から願ってた。
叫んでた。
そしたらさ、ある日神様がやってきた。
放課後の教室、四階の窓をコンコンって叩く上品な雰囲気のおじいさん。
ぺこりとお辞儀をしたから、私も演劇部みたいに大げさに頭を下げてみた。
どう考えても不審過ぎだけど、私の頭がおかしくなって、幻覚が見えてるだけかもね。
鬼も悪魔も、空飛ぶおじいさんも、何が見えたって怖くない。
まだ先だけれど、来るなら来いよ世紀末。
私は逃げも隠れもしないから、矢でも鉄砲でも持ってきやがれって感じだよ。
などと思いながら、まばたきしたり頬をつねったりしてみたけれど、おじいさんは消えたりしない。
ただぼんやりと観察してると、窓を開けてと言いたそうに杖を当てるから、開けたら中に入ってきた。
「初めましてお嬢さん。
わしの名前は宗方成安、横浜で小さな貿易商を営んでおります」
さて、いきなり自己紹介されたけど、あまりにうさんくさいので黙っておくことにした。
すると、いつの間にか私の前には、湯気を立てるお茶と草餅が、ちゃんと二個ずつ用意されていた。
「立ち話もなんじゃし、食わぬか?」
「ケーキと紅茶の方が好きだけど、和菓子も嫌いじゃないんだよねー」
毒入りかも知れないとか、そもそも知らない人にものをもらっちゃいけないとか、そんなことは知ったこっちゃない。
据え膳食わぬは女子高生の恥だよ、うん。
「ふぁふぁふぁ、よく食べるのう」
「悪くないよ。ごちそうさま」
お茶を飲み干し、改めて目の前の老人と向き合う。
さて、取られるのは魂か。
それとも?
何でもいい。
さあ持っていっちゃえ。
さよならワタシ。
グッバイ現世。
「お嬢さん、わしの事を悪魔と思っとるんじゃないかね」
「少なくとも神様じゃあないんじゃない?」
「その神様だとしたら、どうするかね」
「どうもしないよ。
祈りもしないし願いもしない。
私に天罰でも与えに来たなら、さっさと殺して空に帰ればいいんだし」
きびすを返して教室を出ようとした時、不意に出口が遠ざかる。
いつもの教室のはずなのに、地平線の果てまで黒板が、机の列が、ずっと続いている。
夕陽が照らす彼方には、外に出るためのドアがある。
のだろう、きっと。
「魔法? 催眠術?
すごいね。拍手したら帰らせてくれる?
それが嫌なら殺してくれる?」
私はぱちぱちと小さく拍手をしてみせる。
もちろん、少し小馬鹿にしてるだけ。
どっちにしたって興味無い。
テレビ局にでも売り込めばいい。
「少し話をしたいんじゃよ。
お嬢さん、お茶をご馳走したのだから、少しくらいわしに付き合ってくれてもいいんじゃないかね」
「セクハラかな。嫌いなんだけど、そういうの」
そう言いつつも、もはや逃げ場の無い私。
まるで鍵の掛けられたうさぎ小屋の中にいるうさぎみたい。
そう思いながら、いつものくせでカバンの中からノートを取りだし、どうでもいい落書きをする。
その時、世界はぐにゃりと歪み、突然視界が遠ざかる。
あ、ヤバイ。
今はだめ。そう思ったらもう遅かった。
いらいらする私の心は曇りのち雨。
雨のち雨。
ゲリラ豪雨。
見たこともない言葉の字幕が世界を包み込み、パノラマとなってぐるぐる回る。
聞いたことも無い音楽が流れ、知らない人達の言葉が響きわたる。
泣き声、怒鳴り声、心の底から笑い声。
血、骨、肉、風、空、死、灰。
イメージしてみる。
イメージしてみよう。
飛ぶような感じ、吐き出すような感じで。
私の中がお祭り騒ぎ。
酒盛りをしたり会議をしたり、必死でそれを抑え込む。
あはははーっ!
笑えてきたよ!
おかしいよ!
畜生、またかよ!
私は私は良い子で良い子でありつづけようとしているんだよ!
分かってくれよ!
あいつが来る! あいつが来る!
来なくていいのにあいつが来る!
「どうしましたかな。顔色が真っ青ですぞ」
「ううううるさいわねっ。
私が死のうが生きようが、私の勝手で自由でしょう」
「もう一杯、お茶でもどうじゃろう」
「はぁっ……はぁっ……いらないってば……」
心臓の鼓動が一際高く鳴った時、世界は一度幕を下ろし、そして再び開かれる。
「こんにちは」
静謐の中に声が響く。
それは生まれ変わった私の声。もう一人の私。
「どうも、二度目の初めましてですかな」
「はい。私の名前はクリス。クリスティ・カデルです」