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爪の音  作者: 一人旗目
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第26章 イエーイおめでとう! 神は死んだよ!

 楽園って何だろう?

 温かい?

 涼しい?

 お腹が空かない?

 寝たいときに寝られる?

 普通に生きていた時、春乃はそんなことを考えたことさえ無かった。

 決められた時間に起き、だいたいの時間で着替えて食事を家畜のように流し込み、自転車で駅まで走って、満員電車に揺られて職場に行く。

 嫌いな上司もいるけれど、同僚達とは結構仲良し。

 嫌なお客様もいるけれど、とりあえずは何の問題も無く、商品を買ったらどこへともなく消えていく。

 一通りの仕事が終わってタイムカードを押したら、そのまま町に繰り出したり、繰り出さずに帰ったり。

 お土産に自分へのご褒美スイーツを買ったり買わなかったり。

ついでに立ち寄ったスーパーで、値引きシールの貼られたお総菜とサラダを購入。

 ご飯を食べたらお風呂に入って、合間合間にケータイで友達と連絡。

 モバイル日記に色々書いたら眠りに就く。

 面白くもなく退屈で、未来も見えないけど不幸でも無い。

 けれど、社会は漠然と不安だったし、無くなってもいいと思っていた。

 別に痛くなきゃいいよ。

 きっと私の未来に幸せなんて待ってないから。

 フリーターが何の未来を見る?

 学歴の無い私がどんな将来を考える?

 だから戦争が起きた時だって、そのまま全て無くなっちまえと思った。

 酒を飲んで暴れるだけしか能が無い、クズの親父も。余所で男を作って、自分も体を売ってカネを稼ぎ、ついでに私にまでそれを勧めてくるゴミの母親も。

 みんなみんな死ねばいい。

 ああだけど、痛くないようにだけはお願い。

 それくらいはいいでしょ、神様?

 山上春乃が見た世界。

 それは子供と大人の間に生きる中途半端な、少女と呼ぶにも遅すぎる、そんな春乃が見たセカイ。

 楽園などという言葉とは、およそ対極にあるだろう。

 それでも人に暴力を振るう事も、万引きなどで欲しいものを手に入れる事も、絶対にする事は無かった。

 それだけのリスクに対して、リターンが求められないからだ。

 誰かを殴ればその場でスカッとするかも知れないが、警察に突き出されれば暴力沙汰として訴えられる。

 万引きなど、割と成功率は高いらしいが、捕まれば窃盗犯として逮捕されてしまう。

どんなに地獄でも、楽園とはかけ離れていても、そこにルールがある限りは、それに沿って生きること。

 小器用に生きられなくとも、後ろ指さえさされなければいい。

 だが、ある日突然にルールは無くなった。

 春乃は金庫の前に座り込んだり、裏金を溜め込んでいた老人を捜し出し、男達と徒党を組んで現金を奪い、楽園に入った。

 決して気分が良い事ではない。

 ただ、自分の手は汚れていない、などと言い訳をしたくなくて、自分でも一人老人を殺した。

 ナイフで心臓を一突きしてやれば、血が胸からにじみ出して、ぴくりとも動かなくなる。

 死とは案外あっけない。

 リーダー格の男に良くやったと言われたが、大して嬉しくもなかっった。

 むしろ、ついにこんな事をしても、平気な顔をしていられるほどに感覚が麻痺してしまった事に、我ながら情けなさと悲しさが込み上げて、鏡を見るのが怖くなった。

 そこにいるのは名無しのモンスター。

 見るに耐えない鏡の国のアリス。

 けれども、それは紛れもない自分。

 角が生えて口が裂けて、目が光って舌が長い、そんな風なら良かったのに。

 その怪物は今までとまったく変わらない山上春乃の姿をしていて、泣いたり笑ったりするのだ。

 だからこそ、自分の姿が一番怖い。

 鏡なんて覗けたもんじゃない。

 だけど、それが私。

 しょうがないじゃない。

 生きたかったんだから。

 自分に言い聞かせ、ごろりと横になる。

 その日、敬一郎は帰ってこなかった。

 まあ、別にどうでもいい。

 好きというわけでもなく、単なる話し相手だ。

 周囲には他にも色々いるけれど、別に話したいとも思わない。

 だって、みんな人の姿をした、バケモノ以外に居ないんだから。

「つまらなそーだねキミ。楽園は嫌いかな?」

 ふと横を向くと、特徴のない高校の制服に身を包んだ、髪の長い女の子が座っていた。

 よく見ると、頭には天使の輪が乗っていない。

 なぜだろう?

 ひょっとしたらこれが神?

 まさかね。

 だからどうしたって事もないけど。

「面白くはないなあ。

 そりゃまあ、外の世界は地獄やろけどさ。

 ここが楽園かって言われたら、それは無いと思うわ」

「なんでかな?」

「メシ食わせてもろて、寒くも暑くもなくて、寝る場所がきちんとしてりゃあ楽園やって言うん?」

「十分に楽園だと思うけどなあ。

 バカやらかした人類に、神からの最高のプレゼントよ」

「ほんまに、そんな風に思ってんの?」

「思ってなきゃ、神なんてやってられないしぃー」

 くすくすと笑う女子高生もどき。

 なるほど、やっぱりこいつが神か。

 一応礼くらい言うべきだろうか。

 でも、何だかムカつくので、やめておこう。

「神って全知全能で万能と思う?」

「あんた見て、そんな風に思える奴がおったら、そいつは嘘吐きやで」

「あははーっ、面白いよキミ! チョーうける!」

「そりゃどうも。うちは眠いねん。ほっといてえや」

 ごろりと横に寝そべって、視線を神から逸らす。

 自分以上にこの女はモンスターだ。

 どこかの偉い人が言っていた。

 深淵を覗き込むとき、自分も深淵に覗き込まれているのだと。

 この女の顔を見ていて、つくづくそう思った。

 この楽園の中にあふれている、助かったと思って、人間らしい顔をしている『救われた人間達』なんてのは、どいつもこいつも嘘吐きだ。

 どうせみんな人殺し。

 どうせみんなまともな世界に居れば罪人。

 狂ったり狂わなかったりして、平気な顔でこんにちは、こんばんは、さようなら、いただきます、ごちそうさま、おやすみなさい、そしておはようございます。

 人の言葉を喋るケダモノ。

 人間らしく振る舞うバケモノ。

 神も悪魔も人も馬鹿者。

「私、多分もうすぐ死ぬんだ」

「あっそ。神が死ぬなんて、おもろもないネタやね」

「死ぬ前にもう一度だけ、同世代の女の子と喋りたかったんだ」

「ふーん」

「それで、最後に否定して欲しかったの」

「なんで?」

「私は正しくないって」

 言いながら、神だと名乗る彼女は笑った。

 少しだけ、分かったような分からないような、複雑な気分になる。

 けれども、一度はやってみたかったいたずらが成功したのに、やらなければ良かったと後悔するような、そんな気分かも知れない。

 そもそも神様だって、全知全能で、それこそ「神みたいな奴」だなんて、勝手に決めつけられたら迷惑じゃないだろうか。

 破壊するのに、創造するのに、殺すのに、生かすのに、維持するのに、放棄するのに、いちいち理由とか考えるのだって、人間だけのような気がする。

 でも、神様には神様の理屈があるのかも知れない。

 それこそ、神のみぞ知る世界だ。

「なあ、この楽園ごっこやってみて、後悔してへん?」

「後悔するなら、やらなきゃいいんじゃないかな。恋も同じだよ」

 その言葉を聞いた時、ほんの少し春乃は考え、小さく頷く。

「あんたの事あんまり好きちゃうけど、今少しだけ納得したわ」

「あははっ、ありがと♪」

「なあ、神様なんで死ぬかも知れんの?」

「悪いことをしたからだよ」

 ぺろりと舌を出して笑う。

 その姿はどこか人懐っこくて、およそこの大虐殺を提案した、世紀の大悪魔。

 神という名のペテン師には相応しくないように思える。

 だが、紛れもなくこの服装や言動から考えて、彼女こそが神なのだろう。

 だが、そんな神が死ぬという。

 神が死んだら、世界はどうなる?

「なあ、神様死んだら楽園は?」

「多分元に戻っちゃうんじゃないかな」

「うちら救われたんやないん?」

「今までは救われたでしょ。ご飯も食べたし、今はこうして何の苦も無い」

「なんやー、結局は救われへんのやん」

「人を殺して、奪って、憎んで憎まれて、それでも救われる。未来に希望があるなんて、都合良すぎと思わなかった?」

「えへへー、ちょっと思っててん」

「でしょう?」

 もやもやしていたのが、何だかスッキリした気分だ。

 結局世の中はそんなもの。

 この後私達はどうなるのだろう。

 また神も仏も無い世界に放り出されたあげくに、謎の病気に怯えながら、そして実際にそれにかかってしまい、苦しみ抜いて死ぬんだろうか。

 ああでも、それ以前にこの楽園から外に出たら、多分色々な人々に袋叩きにされてから、腹や胸をかっさばかれたり、レイプされたりして、ごみのように捨てられるのだろう。

 最低で最悪で、クソみたいな死に様だけれど、私も含めたここにいる奴らには、とてもお似合いに違いない。

「あっ、そろそろ来ちゃったみたい」

「あのおじいさん?」

「じゃあ私、行かなくちゃ」

 そう言って、神である少女は立ち上がると、小さくバイバイと手を振って、少し離れた老人のところに向かっていく。

 上品な仕立ての綺麗な服。

 杖を突いて、少しよぼよぼとした足取り。

 でも、頭には天使の輪を載せてはいない。

 なるほど、彼もまた、何らかの同族なのだろう。

 二人が対峙しても、楽園の住人は別に気にする風もなく、寝転がったりおしゃべりしたりと、まるで眼中に無いらしい。

 呑気なものだ。

 ある意味一番平和なのは、ここにいる奴らの頭の中身かも知れない。

「久しぶりじゃのう。元気にしていたかね」

「元気だったよ」

 そう言いながら、彼女はぺこりと頭を下げる。

「満足したかね、小僧の神様」

「満足したよ。私はとっても正しかったのだ」

「君にとって正しくても、世界中のみんなにとっては正しくなかったかも知れんのう」

「ふーん。正しくなかった私はどうなるかな?」

「死刑じゃろうな」

「あははーっ、ごめんで済んだら警察いらないもんね♪」

「残念じゃったよ。君は最高の神様と信じておったのに」

「最低の神様だったみたいだよ。ごめんね、元神様」

「ああ。それじゃあ、さよならじゃ」

 そう言いながら、老人は杖に手を掛け、中からぎらぎら光る刃を抜く。

 時代劇などで見たことのある、仕込み杖だ。

 春乃が固唾を呑んで見守る中、ひゅんと風を切る音がする。

 一瞬時が止まったような静寂に包まれ、次の瞬間に女の首は地面に転がる。

 主を失った胴体は、辺りに血の雨を降らせながらゆっくりと倒れ込んだ。

「人が神になろうと思ったり、神が人になろうと思ったり、どちらも不完全で無理があったのかも知れんなあ」

 今まで気にも止めていなかった二人の方に、楽園に住む全員の視線が注がれる。

 沈黙、そして慟哭。

 誰もが叫び声を上げ、沈没する船から逃れるように、出口へと殺到する。

 押し合いへし合い、倒れた者は踏まれ、顔が吐瀉物にまみれては立ち上がり、再び外を目指して走る。

 狭い楽園の中は一転して、小さな混乱の地獄絵図に包まれる。

「お嬢さん、逃げないのかね」

「うち? まあ、どうせ逃げても殺されるんちゃうかなーて思うし」

「殺したりせぬよ。神だから人を裁く権利があるとでも言うのなら、その神こそがおこがましいんじゃからな」

 そう言って、老人は笑う。

 目の前で神であったはずの女が殺されているのに、不思議と恐怖感は湧かない。

 むしろ、命乞いをするように、我先にと出入り口に殺到する人々を見て、言いようのない不快感を憶えた。

 無責任な大人ばかり。

 こんな奴らばかりだから、この世界は崩壊したんだろう。

 少しは反省したらどう?

 そんな偽善ぶった心が湧いてきて、思わず首を左右に振る。

 今さらだ、何もかも、あらゆる意味で。

「わしの名前は宗方成安。

 今は人間のようなものでもあり、かつては神と呼ばれたものじゃよ」

「過去形なん?」

「歳と共に限界を感じてなあ。

 引退がてら、この娘に神の座を譲ったんじゃ」

「譲る相手、間違うたって思ってる?」

「いいや、間違ったなどと思ってはおらんよ」

 そう言って、成安は満足げに笑う。

 だが、その事に春乃は疑問を感じた。

「さっき、世界中のみんなにとって正しくないって言うてたやん」

「世界中のみんなにとって正しくなくても、彼女にとっては正しかった。

 誰も救えない神だったが、たった一人、自分自身を救ったんじゃ。

 そして彼女は納得し、然るべき罰を受けた。

 これからどれほど悲惨な地獄に堕ちたとて、きっとあの子は幸せなんじゃよ」

「おじいさんの言うこと、難しくてよく分からへんわ」

「分かる必要も無いんじゃて。

 それよりもお嬢さん、一つお願いがあるんじゃよ」

「なんやろ?」

「今彼女を殺したこの杖で、今度はわしの首を刎ねてくれんかな」

 血でべっとりと汚れた刃を、ずいと目の前に突きつける。

 ぎらぎらした光を反射するそれは、まるで怪物の目にも似ていた。

「うちは神になんかならへんよ。

 悪いけど、全身全霊でお断りや」

「神にならなくてもいいんじゃよ。

 神などいなくても、人は誰しも生きていける。

 いや、神がこの世におらずとも、人間は生きていかねばならんのじゃから」

「そんなん当たり前やん。

 神とか仏とかおらん思てても、うちは今まで生きてきたで」

「ふぁふぁふぁ、心強い言葉じゃなあ。

 それならば、安心して死ねるわい」

「なあ、おじいさんはなんで死ななあかんの?」

「それが死んだ者達への償い。

 神の贖罪、人類の背負った原罪じゃからな」

「あはは……うち、やっぱアホやからようわからんわ……」

「分からずともいいんじゃよ。それより、介錯はしてもらえるのかね」

「かいしゃく?」

 きょとんとする春乃に、成安は笑って答える。

「ああ、すまんことじゃて。

 つまりは首を切り落としてくださるか、ということじゃよ」

「ホンマうちアホですんません。

 なるほど、理解しました」

「で、していただけるかね」

「やったことないけど、せいいっぱい」

 成安は膝を突くと、神が流した血の海に手を入れ、指先で軽くもてあそぶ。

 そして、死んだ彼女のまぶたが開いたままになっているのを指先で閉じようとすると、魚のうろこのようなものが地面にこぼれ落ちた。

 涙? 死人が?

 春乃は不思議に思い、それを指で拾い上げてみる。

 落ちていたのは黒に近い焦げ茶色のカラーコンタクト。

 見ると、瞳孔の部分の色が違う。 

 ははあ、なるほど。

 案外彼女も苦労人なのかなあ?

 不意に神の人間くささが上がって、身近な存在に感じられる。

 せめて遺品として、これをもらっておこうかな。

 神様のカラーコンタクト。

 何だか洒落が利いている。

 そっと懐にそれをしまうと、軽く深呼吸をした。

「馬鹿じゃなあ本当に。

 神が全知全能なら、こんな風にはならなかったろうに……」

「おじいさん、あなたもこの子もかわいそうやわ。

 もちろん、うちもかわいそう」

「ああ、かわいそうな奴らばかりじゃ」

「でもなあ、これでまた始まるかも知れへんで?」

「そのために、わしらは死ななきゃならんのじゃよ」

 にやりと笑ったその顔は、不敵で素敵で最適の笑顔。

 世界に地球にセイグッバイ。

 神も仏も全部リセットボタンを押して、愚かな私達は生まれ変わる。

 いや、生まれ変われる。きっとそのはず。そうに違いない。

 だからいつか、遠い来世で会うかも知れないね。

 みんながみんなに、来世なんてあるならね。

 来年さえも分からないけどさ。

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