第22章 救ってくれない神様ならば、殺してしまおうホトトギス
「平和やねえ」
「まったく、こんなに平和では色々なやる気が失せてきますね」
気が付くと、いつも隣には敬一郎が居る。
そもそも地球規模で一万人しか救われていないので、日本だけで言えば、少なく見積もれば千人も存在していないかもしれない。
全員と会話をしたわけでも、数を数えたわけでもないが、ざっと観た限りではその程度の人数らしい。
元々人付き合いが得意ではないし、金を手に入れるときに結束した仲間とは、あまり顔を合わせたくは無かった。
三千万を手に入れる道中は、決して平坦ではなく、むしろ忘れてしまいたい。
だが、誰かと何か話したい。そんな時、仲良くするわけでもなく、干渉してくるでもなく、必要に応じて何となく会話をする相手として、敬一郎はある意味ぴったりだった。
「なあ鈴木さん」
「何ですか」
「うちとセックスしたい?」
「別に、興味ありませんね」
「あはは、そっかあ」
「ええ」
実にたんぱくで素っ気ない返事。
だが、嘘でないことは態度や言葉で感じ取れる。
露骨すぎる質問にさえ、彼はあっさりとして悪意も感じさせない。
それが逆に、春乃にとっては空気のようで心地が良かった。
「ところで山上さん、外の世界にでも散歩に行きませんか?」
「へ? なんでまた」
「神様の罰ゲームというやつを、この目で見てみたいと思いまして」
言っていることを理解するのに、若干の時間を必要とした。
この平和な世界から、好きこのんで外に出る?
元から危ない男だとは思っていたが、やっぱりおかしいのだろうか。
「何のためにそんなめんどいことすんの?」
「神のご意志を、確かめたいんです」
「はあ、ほんなら一人で行けば? うちはパス」
「いいですよ、それではまた夕食時にでもお会いしましょう」
敬一郎は春乃に別れを告げると、一人で外の世界へと繋がる門の前に来た。
途中出会う人々とは、こちらから大きな声で挨拶をするが、相手はどこか焦ったように慌てて会釈する。
敬一郎はそれをとてもおかしいことだと感じていた。
神の思し召しによって、自分達は楽園に入ったのだ。
神が許可を出したのだ。
だから我々は時に人を傷つけ、殺してまで金を奪い、そうしてこの場所に来た。
主体的な判断で、私達は神のお膝元にやってきたのだ。
それを恥じる事など無い。
むしろ、それこそが神に対する冒涜ではないか。
「嘆かわしい、ああ実に嘆かわしい」
今まで真面目に生きてきた。
ひたむきに、正しく生きてきた。
私は報われて然るべき人生を歩んできた。
だからこそ、今ここに居ることは至極当然のこと。
誰かに後ろ指を指されることなどあり得ない。
そして今、正義の価値観はシフトしたのだ。
それに従ったまでのこと。
ああ、正しく生きる。
胸を張って生きる。
それはとても素敵なことだ。
むしろ、こうした価値観の大転換にあたって、理解ができなかった愚民は取り残され、朽ち果ててゆく。
その御心を瞬時に理解し、実行し得た者にだけ、光の扉は開かれる。
世界を歩けば胸が高鳴る。
ここは神の国、地上の楽園。
そして、今目の前にそびえ立つ、まるでヨーロッパの古城を思わせるような重厚な鉄の門は、まさにあの世とこの世を分かつ境。
人通りの全く無い楽園の片隅で、敬一郎は一人胸を高鳴らせる。
神に見捨てられた人々は、今どんな地獄に居るのか。
哀しみ泣きむせんでいる?
それとも血で血を洗う内戦が起きている?
悔い改め、静かに死を待っている?
それとも、もっと想像できない何かが待っているだろうか。
教えて下さい人類、あなた方の答えを!
見せて下さい人類、あなた方の現在を!
いざ行かん。
大きな扉を開けて、再び戦争で荒れ果てた荒野に足を踏み入れる。
少し饐えたような、嫌なにおいが鼻を突く。
かつて日本の中心部であり、楽園競争の時はちょっとした町にも等しかったこの場所も、再び元の閑散とした雰囲気を漂わせている。
その時、懐かしい音がした。
蚊の飛ぶ羽音だ。
まだ秋とは言え、人間以外の生物を見たことでどこか嬉しくなってしまう。
例えそれが、人類に疫病をばらまく悪の権化だとしても。
「蚊に罪は無いのに、神も酷な事をなさる」
見上げると、日は既に高く昇っている。
果たして、残された人類にどのような神罰が下されたのだろう。
ひょっとすると、もう滅亡してしまったのだろうか?
「おああああああああ!」
斜め前方で叫び声が上がった。
がりがりと、何かを引っ掻く音がする。
見ると、バールのようなもので自分の背中をしきりと擦り上げている。
血涙を流し、獣のような咆吼を上げる。
彼の身に何が起こっているのかはわからない。
だが、その気が狂わんばかりの姿態が全てを物語っていた。
「ははっ……あははは……あははははははは!
神罰です! 神罰なんですよ! 背いた者を神は容赦しないんです!」
「あんた、助けてくれ! 頼むよ、背中が、背中があああああ」
「知った事じゃありません。救われなかったあなたが悪いのですから」
「畜生畜生! 地獄に落ちろクソ!」
「楽園に入れなかった者は等しく地獄行きなんですよ。ふふふ」
これが見たかった。
この姿が。
救われなかった者達が、悶え苦しみ呪いの言葉を吐いて死ぬ。
私のような神に忠実な者は生き、そうではない者は死ぬ。
人生は単純明快で、シンプルなのがいい。
「もっともっと、たくさん死ねばいいのに」
思わず言葉にしてしまう。
塵は塵に、灰は灰に。
救われない人間など、死んで燃えればそれ以上でも以下でもないのだから。
「天使様、わしら恵まれない者にもお恵みをいただけませんかのう」
「誰だ?」
「取るに足らない、救われなかった年寄りですじゃ」
声のする方に振り返ると、そこにはまさに、今にも倒れそうに震えながら杖を突いた男が立っていた。
だが、なぜか着ているスーツは新品同様の小綺麗さがあり、泥などに汚れてはいない。
上品なひげを蓄えた、物腰の穏やかな好々爺。
だが、こんな世界に於いては、見た目や第一印象など、もはや意味を為さない。
彼の頭には当然天使の輪も無く、救われていないのだ。
「わかってるでしょうけど、そのような姿で油断をさせ、仮に伏兵でも仕込んで私を襲っても無駄ですよ」
「存じておりますじゃ、それよりもあなた、楽園の方じゃろう」
「いかにも、そうですが」
「わしの名前は宗方成安、戦前は横浜にて、小さな貿易商を営んでおりました」
「そうですか、それでは私は失礼します」
放っておいてもいずれ死ぬ。
むしろ、ほんの少しでも足下の不注意で転べば、それだけでもう一環の終わりだろう。
そのようなものを見ても、何の感慨も湧かない。
「あんた、わしの作った宗教に入らんかね」
「はあ? 何を寝ぼけた事をおっしゃってるんですか」
「わしの宗教『三世の会』は、ただいまキャンペーン中ですじゃ」
ああ、この老人は体だけではない、頭までやられてしまっているらしい。
とても哀れだ。
けれども、自分はこのような老人に付き合う暇も、哀れむ余裕も持ち合わせていない。
「三千万を既に唯一神に支払ってしまったのでね、手持ちは一円もありません」
「ふぉふぉふぉ、わしなど神に三十億円を支払いましたぞ」
「そうですか、それは結構な事ですね。では、失礼します」
「待ちなされ」
「しつこいですよご老人、あなたと違って私は忙しいのです」
「三世の会は本物の神を祀るもの。神を裁く神の会。それを証明して進ぜよう」
「それが終わったら解放してくれますね?」
「ええ、すぐに終わりますじゃよ」
「では早くしてください。どうするというんですか」
「あなたを、殺してみせましょう」
「どうぞ、私達天使に傷を付ける事ができるなら、是非やってみて下さい」
「ふぉふぉふぉ、血気盛んな若い命、舌なめずりをしてしまいますぞ」
上品な老人の顔は、いつしか醜い化け物のように歪んでいた。
よく見ると、黄色く濁ったようなその瞳で、嬉しそうに笑っている。
言いようもない悪寒が背筋に走った。
気が付くと、手にべっとりと嫌な汗がにじみ出ている。
この老人に怯えているとでも?
いや、そんなはずはない。
「老人に優しいのは良いことですじゃ。老い先短いわしを哀れんで下され」
「ま、待って下さい。この腕に試しに傷を付けてみてください。どうせできないでしょうけどね」
「おやまあ、怖じ気づきましたかな?」
「ははは、そんなことはあるわけがない。
神の庇護を受ける私が、今にも倒れそうなあなたに何を怯えるとおっしゃるので」
「ではその胸に、このナイフを一突きさせていただけませんかな」
懐に手を入れると、そこには冷たい光を放つサバイバルナイフが握られている。
本当に刺されれば、ほぼ間違いなく致命傷となるだろう。
だが、自分は既に絶対的に、安全な身分を保障されている。
それ以前に、こんな酔狂に付き合うなら、この老人を殺せばいいのではないか?
敬一郎は今までに、四人の男女をその手で殺した。
金を手に入れるため、神の意思に従うため。
ならば、今もう一度この老人を殺せばいい。
簡単なことじゃないか。
だが、相手がこちらを傷つけられないのは知っているが、こちらは相手を傷付ける事は可能なのだろうか。
悩むなら、やってみればいい。
「どうされました。怖いのですか、この老いぼれが」
ふらふらと、まるで風に揺れる柳の枝のような、今にも倒れそうで死にそうな、こんな老人になぜ恐怖を感じる?
自分は天使だぞ。
楽園の民なんだぞ、私は!
「とりあえず、あなたは死んでくださいよォ!」
かけ声と共に、そばにあった角材を振り上げ、その頭に力一杯叩き付ける。
鈍い音を上げて、それは老人の頭にめり込んだ。
やった!
敬一郎は心の中でガッツポーズをする。
久々の殺人に思わず目をつぶり、無我夢中で振り下ろすのが精一杯だった。
だが、手応えは確かに伝わっている。
人の頭蓋を打ち砕く、断末魔の音。
老人の頭はへこみ、今頃血を流しているはずだった。
「不意打ちをするなど、最近の若い方は常識を知らないのですかのう」
「ひいっ?!」
「次はわしの番ですな。こいつを、思い切り胸に突き立ててよろしいかな?」
「ま、ままま、待って下さい」
「嫌ですなあ」
「ああああ、あなた何者ですか? 私は楽園の民ですよ? 天使ですよ?」
「わしは宗教法人、三世の会の教祖、宗方成安ですじゃよ」
「何なんだそれ?! なんだよ?! あんた人間じゃないのか?!」
「人間じゃよ。失礼をおっしゃる」
「かかかか神の愛子に背くのか?!」
「わがままで身勝手で、信じる者以外救わない。そんな神にわしらがなぜ従う必要が?」
「しししししかし、神だぞ? 神! 神が言ったんだぞ?!」
「だからわしは自分で宗教を開いて、わし自身が神になったんじゃよ」
「そんなこと、一度も聞いたことありませんよ?!」
「当たり前じゃよ、こんなものは若いあんた達の言葉で言えば、ゲームの裏技みたいなものじゃよ。
ズルしてわしだけ無敵モード。気分爽快じゃて」
「卑怯だ!」
「先に角材で殴った、昨今のキレる若者の代表みたいなあんたが言ったら、説得力という日本語が死滅じゃよ」
「あれは不可抗力で、えっと、ああっ、あははは、これ、ドッキリとかですよね?!」
「腰が抜けて歩けんか? びっくりしたか? 冥土の土産に良い物を見れたじゃろう?」
「いいいいいやだ! 死にたくない! 死にたくないんだあ!」
「うるさいんじゃよ、あんた」
ざくり
「ぎにゃああああああああ?!」
「ふぉふぉふぉ、良い声で鳴くのう若いの」
「やめて、たっ、たひゅけて」
やっとの思いで立ち上がると、楽園の入り口に向かって全速力で走り抜ける。
振り返る余裕も、考える暇も無い。
今自分は未曾有の危機に立たされているのだ。
早く門をくぐって、その扉を閉じてしまわねば。
鬼が来る。悪鬼羅刹が群れを成し、我々の楽園になだれ込む。
そうすれば、自分がしてきたことは無意味になる。
自分がしてきたことは何だったのか。
血で汚れてまで手に入れたものは何だったのか。
私は正しい私は正しい私は正しい私は正しい。
そうですよね神様?
だから助けて!
神様助けて!
神様助けてえ!
カミサマタスケテ
カミサマタスケテカミサマタスケテカミサマタスケテ……