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爪の音  作者: 一人旗目
23/42

第22章 救ってくれない神様ならば、殺してしまおうホトトギス

「平和やねえ」

「まったく、こんなに平和では色々なやる気が失せてきますね」

 気が付くと、いつも隣には敬一郎が居る。

 そもそも地球規模で一万人しか救われていないので、日本だけで言えば、少なく見積もれば千人も存在していないかもしれない。

 全員と会話をしたわけでも、数を数えたわけでもないが、ざっと観た限りではその程度の人数らしい。

 元々人付き合いが得意ではないし、金を手に入れるときに結束した仲間とは、あまり顔を合わせたくは無かった。

 三千万を手に入れる道中は、決して平坦ではなく、むしろ忘れてしまいたい。

 だが、誰かと何か話したい。そんな時、仲良くするわけでもなく、干渉してくるでもなく、必要に応じて何となく会話をする相手として、敬一郎はある意味ぴったりだった。

「なあ鈴木さん」

「何ですか」

「うちとセックスしたい?」

「別に、興味ありませんね」

「あはは、そっかあ」

「ええ」

 実にたんぱくで素っ気ない返事。

 だが、嘘でないことは態度や言葉で感じ取れる。

 露骨すぎる質問にさえ、彼はあっさりとして悪意も感じさせない。

 それが逆に、春乃にとっては空気のようで心地が良かった。

「ところで山上さん、外の世界にでも散歩に行きませんか?」

「へ? なんでまた」

「神様の罰ゲームというやつを、この目で見てみたいと思いまして」

 言っていることを理解するのに、若干の時間を必要とした。

 この平和な世界から、好きこのんで外に出る?

 元から危ない男だとは思っていたが、やっぱりおかしいのだろうか。

「何のためにそんなめんどいことすんの?」

「神のご意志を、確かめたいんです」

「はあ、ほんなら一人で行けば? うちはパス」

「いいですよ、それではまた夕食時にでもお会いしましょう」

 敬一郎は春乃に別れを告げると、一人で外の世界へと繋がる門の前に来た。

 途中出会う人々とは、こちらから大きな声で挨拶をするが、相手はどこか焦ったように慌てて会釈する。

 敬一郎はそれをとてもおかしいことだと感じていた。

 神の思し召しによって、自分達は楽園に入ったのだ。

 神が許可を出したのだ。

 だから我々は時に人を傷つけ、殺してまで金を奪い、そうしてこの場所に来た。

 主体的な判断で、私達は神のお膝元にやってきたのだ。

 それを恥じる事など無い。

 むしろ、それこそが神に対する冒涜ではないか。

「嘆かわしい、ああ実に嘆かわしい」

 今まで真面目に生きてきた。

 ひたむきに、正しく生きてきた。

 私は報われて然るべき人生を歩んできた。

 だからこそ、今ここに居ることは至極当然のこと。

 誰かに後ろ指を指されることなどあり得ない。

 そして今、正義の価値観はシフトしたのだ。

 それに従ったまでのこと。

 ああ、正しく生きる。

 胸を張って生きる。

 それはとても素敵なことだ。

 むしろ、こうした価値観の大転換にあたって、理解ができなかった愚民は取り残され、朽ち果ててゆく。

 その御心を瞬時に理解し、実行し得た者にだけ、光の扉は開かれる。

 世界を歩けば胸が高鳴る。

 ここは神の国、地上の楽園。

 そして、今目の前にそびえ立つ、まるでヨーロッパの古城を思わせるような重厚な鉄の門は、まさにあの世とこの世を分かつ境。

 人通りの全く無い楽園の片隅で、敬一郎は一人胸を高鳴らせる。

 神に見捨てられた人々は、今どんな地獄に居るのか。

 哀しみ泣きむせんでいる?

 それとも血で血を洗う内戦が起きている?

 悔い改め、静かに死を待っている?

 それとも、もっと想像できない何かが待っているだろうか。

 教えて下さい人類、あなた方の答えを!

 見せて下さい人類、あなた方の現在を!

 いざ行かん。

 大きな扉を開けて、再び戦争で荒れ果てた荒野に足を踏み入れる。

 少し饐えたような、嫌なにおいが鼻を突く。

 かつて日本の中心部であり、楽園競争の時はちょっとした町にも等しかったこの場所も、再び元の閑散とした雰囲気を漂わせている。

 その時、懐かしい音がした。

 蚊の飛ぶ羽音だ。

 まだ秋とは言え、人間以外の生物を見たことでどこか嬉しくなってしまう。

 例えそれが、人類に疫病をばらまく悪の権化だとしても。

「蚊に罪は無いのに、神も酷な事をなさる」

 見上げると、日は既に高く昇っている。

 果たして、残された人類にどのような神罰が下されたのだろう。

 ひょっとすると、もう滅亡してしまったのだろうか?

「おああああああああ!」

 斜め前方で叫び声が上がった。

 がりがりと、何かを引っ掻く音がする。

 見ると、バールのようなもので自分の背中をしきりと擦り上げている。

 血涙を流し、獣のような咆吼を上げる。

 彼の身に何が起こっているのかはわからない。

 だが、その気が狂わんばかりの姿態が全てを物語っていた。

「ははっ……あははは……あははははははは!

 神罰です! 神罰なんですよ! 背いた者を神は容赦しないんです!」

「あんた、助けてくれ! 頼むよ、背中が、背中があああああ」

「知った事じゃありません。救われなかったあなたが悪いのですから」

「畜生畜生! 地獄に落ちろクソ!」

「楽園に入れなかった者は等しく地獄行きなんですよ。ふふふ」

 これが見たかった。

 この姿が。

 救われなかった者達が、悶え苦しみ呪いの言葉を吐いて死ぬ。

 私のような神に忠実な者は生き、そうではない者は死ぬ。

 人生は単純明快で、シンプルなのがいい。

「もっともっと、たくさん死ねばいいのに」

 思わず言葉にしてしまう。

 塵は塵に、灰は灰に。

 救われない人間など、死んで燃えればそれ以上でも以下でもないのだから。

「天使様、わしら恵まれない者にもお恵みをいただけませんかのう」

「誰だ?」

「取るに足らない、救われなかった年寄りですじゃ」

 声のする方に振り返ると、そこにはまさに、今にも倒れそうに震えながら杖を突いた男が立っていた。

 だが、なぜか着ているスーツは新品同様の小綺麗さがあり、泥などに汚れてはいない。

 上品なひげを蓄えた、物腰の穏やかな好々爺。

 だが、こんな世界に於いては、見た目や第一印象など、もはや意味を為さない。

 彼の頭には当然天使の輪も無く、救われていないのだ。

「わかってるでしょうけど、そのような姿で油断をさせ、仮に伏兵でも仕込んで私を襲っても無駄ですよ」

「存じておりますじゃ、それよりもあなた、楽園の方じゃろう」

「いかにも、そうですが」

「わしの名前は宗方成安むなかたせいあん、戦前は横浜にて、小さな貿易商を営んでおりました」

「そうですか、それでは私は失礼します」

 放っておいてもいずれ死ぬ。

 むしろ、ほんの少しでも足下の不注意で転べば、それだけでもう一環の終わりだろう。

 そのようなものを見ても、何の感慨も湧かない。

「あんた、わしの作った宗教に入らんかね」

「はあ? 何を寝ぼけた事をおっしゃってるんですか」

「わしの宗教『三世の会』は、ただいまキャンペーン中ですじゃ」

 ああ、この老人は体だけではない、頭までやられてしまっているらしい。

 とても哀れだ。

 けれども、自分はこのような老人に付き合う暇も、哀れむ余裕も持ち合わせていない。

「三千万を既に唯一神に支払ってしまったのでね、手持ちは一円もありません」

「ふぉふぉふぉ、わしなど神に三十億円を支払いましたぞ」

「そうですか、それは結構な事ですね。では、失礼します」

「待ちなされ」

「しつこいですよご老人、あなたと違って私は忙しいのです」

「三世の会は本物の神を祀るもの。神を裁く神の会。それを証明して進ぜよう」

「それが終わったら解放してくれますね?」

「ええ、すぐに終わりますじゃよ」

「では早くしてください。どうするというんですか」

「あなたを、殺してみせましょう」

「どうぞ、私達天使に傷を付ける事ができるなら、是非やってみて下さい」

「ふぉふぉふぉ、血気盛んな若い命、舌なめずりをしてしまいますぞ」

 上品な老人の顔は、いつしか醜い化け物のように歪んでいた。

 よく見ると、黄色く濁ったようなその瞳で、嬉しそうに笑っている。

 言いようもない悪寒が背筋に走った。

 気が付くと、手にべっとりと嫌な汗がにじみ出ている。

 この老人に怯えているとでも?

 いや、そんなはずはない。

「老人に優しいのは良いことですじゃ。老い先短いわしを哀れんで下され」

「ま、待って下さい。この腕に試しに傷を付けてみてください。どうせできないでしょうけどね」

「おやまあ、怖じ気づきましたかな?」

「ははは、そんなことはあるわけがない。

 神の庇護を受ける私が、今にも倒れそうなあなたに何を怯えるとおっしゃるので」

「ではその胸に、このナイフを一突きさせていただけませんかな」

 懐に手を入れると、そこには冷たい光を放つサバイバルナイフが握られている。

 本当に刺されれば、ほぼ間違いなく致命傷となるだろう。

 だが、自分は既に絶対的に、安全な身分を保障されている。

 それ以前に、こんな酔狂に付き合うなら、この老人を殺せばいいのではないか?

 敬一郎は今までに、四人の男女をその手で殺した。

 金を手に入れるため、神の意思に従うため。

 ならば、今もう一度この老人を殺せばいい。

 簡単なことじゃないか。

 だが、相手がこちらを傷つけられないのは知っているが、こちらは相手を傷付ける事は可能なのだろうか。

 悩むなら、やってみればいい。

「どうされました。怖いのですか、この老いぼれが」

 ふらふらと、まるで風に揺れる柳の枝のような、今にも倒れそうで死にそうな、こんな老人になぜ恐怖を感じる?

 自分は天使だぞ。

 楽園の民なんだぞ、私は!

「とりあえず、あなたは死んでくださいよォ!」

 かけ声と共に、そばにあった角材を振り上げ、その頭に力一杯叩き付ける。

 鈍い音を上げて、それは老人の頭にめり込んだ。

 やった!

 敬一郎は心の中でガッツポーズをする。

 久々の殺人に思わず目をつぶり、無我夢中で振り下ろすのが精一杯だった。

 だが、手応えは確かに伝わっている。

 人の頭蓋を打ち砕く、断末魔の音。

 老人の頭はへこみ、今頃血を流しているはずだった。

「不意打ちをするなど、最近の若い方は常識を知らないのですかのう」

「ひいっ?!」

「次はわしの番ですな。こいつを、思い切り胸に突き立ててよろしいかな?」

「ま、ままま、待って下さい」

「嫌ですなあ」

「ああああ、あなた何者ですか? 私は楽園の民ですよ? 天使ですよ?」

「わしは宗教法人、三世の会の教祖、宗方成安ですじゃよ」

「何なんだそれ?! なんだよ?! あんた人間じゃないのか?!」

「人間じゃよ。失礼をおっしゃる」

「かかかか神の愛子に背くのか?!」

「わがままで身勝手で、信じる者以外救わない。そんな神にわしらがなぜ従う必要が?」

「しししししかし、神だぞ? 神! 神が言ったんだぞ?!」

「だからわしは自分で宗教を開いて、わし自身が神になったんじゃよ」

「そんなこと、一度も聞いたことありませんよ?!」

「当たり前じゃよ、こんなものは若いあんた達の言葉で言えば、ゲームの裏技みたいなものじゃよ。

 ズルしてわしだけ無敵モード。気分爽快じゃて」

「卑怯だ!」

「先に角材で殴った、昨今のキレる若者の代表みたいなあんたが言ったら、説得力という日本語が死滅じゃよ」

「あれは不可抗力で、えっと、ああっ、あははは、これ、ドッキリとかですよね?!」

「腰が抜けて歩けんか? びっくりしたか? 冥土の土産に良い物を見れたじゃろう?」

「いいいいいやだ! 死にたくない! 死にたくないんだあ!」

「うるさいんじゃよ、あんた」

 ざくり

「ぎにゃああああああああ?!」

「ふぉふぉふぉ、良い声で鳴くのう若いの」

「やめて、たっ、たひゅけて」

 やっとの思いで立ち上がると、楽園の入り口に向かって全速力で走り抜ける。

 振り返る余裕も、考える暇も無い。

 今自分は未曾有の危機に立たされているのだ。

 早く門をくぐって、その扉を閉じてしまわねば。

 鬼が来る。悪鬼羅刹が群れを成し、我々の楽園になだれ込む。

 そうすれば、自分がしてきたことは無意味になる。

 自分がしてきたことは何だったのか。

 血で汚れてまで手に入れたものは何だったのか。

 私は正しい私は正しい私は正しい私は正しい。

 そうですよね神様?

 だから助けて!

 神様助けて!

 神様助けてえ!

 カミサマタスケテ

 カミサマタスケテカミサマタスケテカミサマタスケテ……

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