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爪の音  作者: 一人旗目
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第15章 夜が来る。長い夜が

 痛い。

 すごく痛い。

 いつまで私はここで寝ているの?

 寒くて、暗くて、そして痛い。

「くうっ」

「目が覚めた? まだ動いちゃ駄目だよ」

「ここは……?」

 ぼんやりとした意識の中、辺りを見回す。

 古いテレビの電源が入ったように、周りの風景は徐々に輪郭を取り戻し始める。

 夕暮れ時、瓦礫の匂い。

 ぐう~。

 どれほどの間何も食べていなかったのだろう。

 気が付くと、腹の虫が鳴いている。

「僕が見えるかい?」

「ひっ!」

 改めて、自分が今置かれている状況に気が付く。

 ビルが崩壊し、その下敷きになりそうになった姉を助けて、それで――

「僕の名前は谷村光樹たにむらみつき、大丈夫、君に危害を加えるつもりは無いよ」

 ぼろぼろのシャツとジーパンに身を包んだ少年が、形をとどめないほど壊れたトラックの荷台に腰を下ろしていた。

 逆光を受けるその姿は、どこか幻想的で、神様のようだと彼女はぼんやり考える。

「君は名前は何て言うの?」

「えっと、私は木戸睦美きどむつみ

「木戸さんだね、応急手当、って言えるかわからないけど、消毒だけはしておいたよ」

 そう言って、胸からへしゃげた薬の容器を取り出す。

 有名メーカーの薬だ。

 幼い頃に、怪我をすると母に塗ってもらったことがあった。

「別に、助けてなんて頼んでないわ」

 思わず考えていた事と反対の返事を口にする。

 本当はお礼を言おうと思った。

 けれど、いっそ死んでいれば良かったような現実が、目の前に横たわっている。

 なぜ生きているのだろう?

 後悔が双肩に重くのし掛かる。

 睦美は思わず頭をくしゃくしゃと掻いた。

 とにかく落ち着かなければ。

 幸い腰のポケットにはまだ煙草が余っている。

 ライターも無事だったらしく、風を遮りながら火を点けた。

「あはは、やっぱり不良生徒さんだ」

「何よ、今さら未成年は煙草吸っちゃいけないってわけ?」

「髪の毛が赤かったから、そうかなあと思ったけど予想通り」

 この言葉には、助けられた睦美も思わずカッとなる。

「セーラー服着て、髪の毛が赤かったらみんな不良なわけ? 煙草を吸う未成年は死ねばいい?」

「あははは、本当に不良生徒さんだ」

「何よあんた、さっきからいちいち腹が立つわね。私より年下のくせに」

「僕は二十歳だよ、ほら、自動車免許」

 そう言って、ジーパンのポケットから皮のパスケースを取り出して投げた。

 そこには、確かに二十歳を表す生年月日が書かれている。

「げえっ、そんな顔してマジで二十歳? ロリコンじゃないの!」

「ロリコンって言葉の使い方間違ってるよ」

 免許証を戻すと、光樹は座っていたトラックの荷台から降りてきた。

 よく見ると、その手には小さな缶ジュースが握られている。

「スモールサイズだけど、飲む?」

「親切ね、何が目的?」

「別に何もいらないよ」

 睦美は思わず眉をひそめる。この状況で誰を信じろと言うのか。

 既に秩序が崩壊した社会で、他人ほど信用できないものは無い。

「君が寝てる間に、楽園のチケットも完売しちゃったしね」

「楽園?」

「うん、楽園というのはね」

 光樹は事の仔細をゆっくりと、分かりやすく睦美に語る。

 突如空から、神の掲示があったこと。

 現金で三千万円を持って来なければ地獄に堕ちること。

 一万人限定の救済は、残念ながら既に終了してしまったこと。そして、罰ゲームが始まること。

 全てはにわかに信じがたい。

 だが、雲間から射す不自然な光、まるでオーロラのような金色のカーテン。

 それはどこか神秘的で、言いようもない不安を煽る。

 あそこに天使が居ると言われると、逆に何も無いと言われるよりも合点がいく気がした。

「あんた、三千万円を探しに行かなかったの?」

「うん」

「何で?」

 疑わしい視線を向ける睦美に、光樹は笑顔で答える。

「倒れてた君を、ここに放っておくわけにいかないよ」

「本音は? 何か見返りが欲しかったんでしょう?」

「見返りなんていらないよ、ただ―」

「ただ?」

「話し相手が、欲しかったんだ」

「あきれた……」

 本気だろうか、この男は。

 始終にこにこと笑みを絶やさない、まるで無垢な少年のようだが、さっき見た免許証によれば自分より年上だという。

 睦美にとっては、およそ彼の行動が理解できるものではない。

 自分の事を看ていて、それで人生最大で最後とも言えるイベントを、ただ指をくわえるようにして見送ってしまったのだ。

「痛っ」

「まだ無理に動いちゃだめだよ」

「あんたに指図される覚えはないから!」

 そう言いながら、痛む部分をさする。

 どうやら右肩と左足をやられたらしい。

 動かそうとすると、鈍い痛みが走る。

 倒れてきたビルの下敷きになった時、死を覚悟した。

 いや、もういっその事、これで死ねれば楽だとさえ考えた。

 姉はうっかり者でドジで、不器用で、しかし頭が良く、常に親の期待を一身に受けて育ってきた。

 対する自分は、まるで欠陥品扱い。

 だからこそ、親に抗い、社会に背を向け、不良と呼ばれるような人生を歩んできた。

 しかし、姉はそんな自分に気を遣い、心から私を心配してくれた。

 自分の方がよほど心配されなければならないのに、妹の心配ばかりをして――

 元気だろうか。

 野暮な質問、答えなど分かるはずもない。

 でも、生きていて欲しい。私の方がよっぽど、死ぬべき人間だったのだから。

「ねえ」

「なにかな?」

「やっぱりあんた、救いようがない馬鹿野郎よね」

「あはは、そうかも」

 苦笑すると、光樹の手から缶ジュースを受け取る。

 黙って栓を開け、一気に飲み干す。

 ぬるい炭酸飲料の甘みが、五臓六腑に染み渡っていった。

「礼は言っておくわ。ありがと」

「うんうん、女の子はそうやって素直な方がかわいいよ」

「かわいい? 何それ、口説いてんの? 馬鹿?」

「馬鹿かも知れないなあ」

 こんなガキ臭い男にかわいいと言われたことに、喜びと戸惑いが入り交じる。

 小学生の時以来だろうか。

 周囲の男共は、基本的に自分の体しか見ていなかった。

 綺麗だとかエロいだとか、もはや褒め言葉にもなってない事も含めてよく言われるが、かわいいなんてのは久しぶり過ぎて、逆に照れくさい。

「ところでさ、あんたこれからどうすんのさ」

「どうって?」

「神にも見捨てられて、罰ゲームが始まるってのにさ、呑気にうかうかしてられるわけ?」

「そうだなあ」

 今気が付いたと言わんばかりに、顎を指で触りながら俯く。

 姉が男に生まれていたら、こんな風だったかも知れない。

 後先を考えず、行き当たりばったりで行動する。

 困っても何とかなると思っていて、実際それで何とかなってしまう。

 だが、今回ばかりは勝手が違う。助けてくれるような人間は、周囲にはいないのだ。

「木戸さんはどうしたらいいと思う?」

「何で私に聞くんだよ!」

「三人寄れば文殊の知恵って言うし」

「二人しか居ないけど」

「あ、そっか」

 さもひらめいたように手をたたく。

 自分はつくづく、こういう天然ボケのキャラに縁があるらしい。

「とりあえず吸血鬼対策。これはすぐにでもしないといけないよね」

「いや、あんた一人ですればいいじゃん」

「一緒にやろうよ」

「何で? あんたと行動を共にするなんて一言も言ってないけど」

「怪我してるのに、一人じゃ無理だよ」

「放っておいて」

「駄目だよ」

「うっさいわね!」

「じゃあ、協力してくれなくても僕は勝手に君を守る。

 それならいいだろう?

 君はまだほとんど動けないんだから、このままじゃ危ないよ」

「ふん、私は自分の事しか考えないからね。あと、変なことしようとしたら殺すわよ」

「それでいいよ」

 光樹はそう言いながら、近くにあった鉄パイプと、どこかから拝借してきたらしい麻紐を使って十字架を作り始める。

 何となく予想はしていたが、本気でそんなもので吸血鬼とやらが防げると思っているのだろうか。

 あんな映画か小説の中の作り話に。

 睦美は軽い頭痛を憶えた。

「あんたねえ、十字架作るくらいなら、それそのままで殴る方が早くない?」

「鉄パイプなんてそこら中にあるよ。これはこれで、備えておけばいい」

「まあ、あるにはあるけどさ……」

「懐中電灯、木戸さんも一個持っておいて」

「これはあった方がいいわね」

「にんにくは生ものだから手に入らないし、聖水なんてのも手に入りそうにもない。

 白木の杭も無いから、実質的には朝まで落ち着ける時間は無いかも」

「吸血鬼、ねえ」

 神というのがどういうものかはわからない。

 そもそも彼が自分に嘘を吐いていないという保証さえ無い。

 そんな中で、こんな狂ったような事を本気で始める。

 何を信じ、どうすればいいだろう。

 万が一の為に、武器だけは確保しておくべきか。

「そこの鉄パイプとってよ」

「はい、ついでに十字架もあげるよ」

「いらない。鉄パイプだけでいいわ」

「持っておきなよ、ひょっとするかも知れないんだし」

 無邪気な笑みを浮かべて、睦美の傍に片手で持てる程度の十字架を置く。

 気休めにもなりやしない。

 だが、それを無碍に断るのも気が引けた。

「よーし、後は少し日が暮れ終わるまでに休んでおこうかな」

 光樹は、睦美から少し離れた場所に腰を下ろす。

 怪しい行動は無い。

 ただ、彼は座ってすぐに腕を掻き始めた。

 ぼりぼり。

 ぼりぼりぼりぼり。

「あら、蚊に刺された?」

「季節はずれだっていうのに、まだ居るんだね」

「秋って言っても日中は少し暑いくらいだから」

 ぼりぼり。

「かゆみ止めなんて持ってないよね」

「あるわけないでしょ」

 ぼりぼり。

 ぼりぼりぼりぼり。

 爪の音がなぜか、いつもより大きく聞こえるような気がした。

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